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18.意識の中

18.意識の中




 東洋電機の寮は高速のインターからほど近い場所にある。

拓は迷わずに高速道路へ車をすすめた。

土曜日だということもあって、反対車線は既に切れ目なく車の列ができている。

都内へ向かう拓たちは、そんな風景には目もくれず、ひたすら道路の先を見据えている。

「悪戯だったらいいのに・・・」

知美がポツリとつぶやいた。

「運命なんだ」

「えっ?」

知美は拓の横顔を見つめたが、拓はまっすぐに前を向いたままそれ以上口を開こうとはしなかった。

「運命?」

この二人の間には何か特別なものがあるのだろう・・・

初めて出会ったときからそんな感じを持っていた知美は、もしかしたら拓はこうなることが分かっていたのかもしれないと思った。



 悠斗達が病院に着いた時には陸上部の連中や町内の見慣れた顔が待合室を占領していた。

優子と浩人は両親の顔を見つけるとそばに駆け寄った。

「お姉ちゃんは大丈夫?」

浩人が心配そうに早紀に尋ねた。

「大丈夫だから心配しないで」

優子はソファに腰掛けていた孝幸の隣に座った。

「主人公はそう簡単には死なないのよ」

「主人公?」

孝幸は優子の顔を見た。

「そう! お姉ちゃんは主人公なの。 私たちがいるのは物語の中なのよ。 ある少女が色々な苦難を乗り越えて陸上競技で日本一になるの。 そんな物語の主人公がお姉ちゃんなの。 だから、きっと大丈夫。手術も無事に成功して、すぐによくなるわ」

孝幸は驚いた。

ちょっと前まで子供だと思っていた優子が、自分を励ましているのだ。

それにしても、何とも不思議な発想をするものだ。

「・・・困るの」

「えっ?」

「そうじゃないと困るのよ!」

そう言うと優子は立ち上がった。

「主人公には素晴らしい家族がいるの。 きれいでやさしいお母さん、一流の建築エンジニアのお父さん、将来を有望視されているサッカー選手の弟、日本記録保持者のスプリンターが恋人で、そして売れっ子女流作家の妹。 お姉ちゃんの知名度を利用して私も世に出るつもりなのに・・・」

孝幸はさらに驚いた。

「優子? おまえ・・・」

しかし孝幸はそれ以上話し掛けるのをやめることにした。

立ち上がった優子はしっかりとこぶしを握り締めて震えている。

目からは涙が溢れてそのこぶしに降り注いでいる。

そして、優子は孝幸に抱きついた。

「大丈夫だよねぇ? お姉ちゃん、大丈夫だよねぇ?」

ついさっきまで、まるで他人事のように事務的に振る舞っていた優子が廻りを気にするそぶりさえ見せずに泣き崩れた。

その声は鼻水をすする音にかき消されそうなほどか細い声だった。

孝幸はギュっと優子の体を抱きしめた。

「大丈夫だよ。 主人公は最強さ!」



 都内の環状線に入ると少し混んできた。

知美が横でイライラしているのが手に取るように分かる。

拓はそんな知美には目もくれず、高速道路を降りて一般道に入った。

「あと10分で着くよ」

知美は拓にそう言われて、イライラしていた自分を見透かされていたことに気がついた。

「まだまだだな」

「何がだい?」

「こんなに気持ちが外に出ちゃうんじゃ、選手としては失格だね」

「そんなことはないさ! 今はレースをしているわけじゃない。 俺達は走るロボットじゃないんだ。 人を思いやる心があるからこそ記録を創れる。 そう思わないか?」

「はい! その通りだと思います。」

拓の車が交差点に差し掛かる直前に、待ってましたとばかりに信号が青に変わった。

拓は左ウインカーを点滅させると、“聖都大学病院前”の交差点を左折した。

すぐに駐車場の入口が見えてきた。

警備員の指示に従い、車を止めるや否や知美が飛び出していった。

「拓さ~ん、先に行ってますよ」

拓は手を振って“わかった”と合図すると、ドアをロックすると隣に停まっているひときわ目立つキャンピングカーを見てニヤリと笑った。

“仁美命”と書かれている。



 ロビーへ入ると、知美がキョロキョロしながら立ちすくんでいる。

「まだこんなところにいたのか?」

拓に声を掛けられると泣きそうな声ですがりついた。

「こんな大きな病院じゃ絶対に迷子になるわよ。 いったいどこへ行けばいいのかさっぱり分からないよ」

拓は正面にある総合案内板を確認して、エレベーターホールの方へ歩いて行った。

知美も拓の服の裾を掴んでついて行った。



 待合室に到着すると、そこは暮の空港の出発ロビーのようにごった返していた。

拓の姿に気が付いた悠斗がすぐに駆け寄ってきた。

「思ったより早かったじゃないか」

「ああ! 割と空いてたからな。 それより、いつからそういう仲なんだ?」

「そいう仲って?」

「車を見たよ」

「ああ! あれか! あれは、その・・・ 仁美のヤツが勝手に・・・」

「私が勝手にどうしたって?」

仁美が後から悠斗の頭をひっぱたいた。

「拓さん、お久しぶりです」

横にいる知美に眼をやって、不振の眼差しを拓に向けた。

今度は悠斗が仁美の頭を軽く叩いて言った。

「バカな想像をするんじゃない。 この子は恭子ちゃんのライバルでもあり親友でもあり、今は大将と同じ東洋電機の陸上部に所属している・・・」

「高部知美!」

悠斗が言うより先に仁美が叫んだ。

「思い出したわ。 恭子の次に早かった人ね」

知美は苦笑いしながら頷いた。

「恭子の様子はどうなの?」

「今、手術中。 夕方までかかるらしいわ。」

「夕方? そんな大手術なの?」

「ええ、何しろ脳ですからね。 でも命には別状ないみたいだよ」

「後遺症は残らないのかしら?」

「そこまで詳しいことは聞いてないわ。 だって、聞けないでしょう?」

仁美はそう言って、恭子の家族の方を指した。



 恭子は手術中に夢を見ていた。

首に風呂敷のマントをくくりつけて、ジャングルジムの天辺で腕を組み、遠くを見つめているの男の子の姿。

体も大きく力も強い。この幼稚園の、いわゆる番長格に違いない。

それでいて、思いやりがあり、年中、年少のチビ助たちからは絶大なる人気があるようだ。

風呂敷のマントは今時珍しいスタイルだが、本人はそれが気に入っているらしい。

お昼寝開けのお迎えまでの間はいつも、こうやってジャングルジムの上で迎えが来るまでの間の時間を過ごしているのだろう。

「タクちゃ~ん、危ないから降りてらっしゃい。」


えっ? タク? 拓さんなの?


担任の先生が声を掛けても知らぬ顔をして遠くを見つめている。

その男の子が見ているのは日が沈む西の方角だ。

「タイショウ、何を見てるの?」

一の子分らしい男の子がジャングルジムに登ってきた。

「神様って本当にいると思うか?」

「神様?」

「そうさ。ボクは絶対いると思う。」

そして、ある日、その男の子が近所の公園で遊んでいると、白いヒゲを生やしたおじいさんが現れてこう言った。

「西崎拓、良く聞け。今日、お日様が沈む方角にある町で一人の女の子が産まれる。15年後にお前はそのこと仲良くなるじゃろう。そしてその女の子はそれから1年後に歩けなくなってしまうじゃろう。お前は決してその子を見捨ててはいかんぞ。そして、お前が支えてやればきっと奇跡が起こるじゃろう。」

その男の子は、逃げたくても動くことが出来ずに、そのおじいさんの話をずっと聞いていた。

体が動くようになって、ハッと思った瞬間には、既に、おじいさんは消えていた。

そして、布団から顔を出したのは大きくなった男の子の姿だった。

それは、まぎれもなく拓だった。

次の瞬間、“オギャー”元気な産声とともに、一つの新しい命がこの世に誕生した。

孝幸はその瞬間、腰を抜かして、その場にへたり込んだ。


えっ? なに? 今度はお父さん? あの赤ちゃんって・・・


医師に手を差し出され、やっとの思いで立ち上がると、その場にいたすべての人たちから祝福されていた。

「おめでとうございます。女の子ですよ。」

「ご主人よく頑張りましたねえ。でも、いちばんのお手柄は奥さんですからね。」

孝幸は、早紀に歩み寄りねぎらいの言葉をかけた。

「よく頑張ったね。君は本当に偉いよ。それに比べたら、ボクなんか…」

孝幸の目からは、見る見るうちに涙がこぼれ落ちてきた。

その涙が、早紀のほっぺたに落ちた。

早紀はそれを舌でなめて「しょっぱいよ。」と孝幸を見つめた。

「ねえ、疲れたから、少し休むね。」

そいって早紀は眼を閉じた。

「うん。うん。ゆっくり休めばいいよ。」


お母さん・・・


なんだか不思議。

今のは私が生まれた時のことみたいね。

きっと、今頃、お父さんやお母さんがその時のことを思い出しているのかもね。

そうか! 拓さんはその時から知っていたんだわ。

初めて拓さんに会った時、昔から知っているような気がしたのはこういうことだったのね。

でも、待って・・・ ということはどういうこと? 私、歩けなくなるの? そんな・・・だけど、拓さんがささえてくれるのよね。 そして奇蹟が起こる。 奇蹟ってどんなことかしら?

今度はその映像が浮かんでくるのかしら・・・

恭子は夢の中でそんなことを感じていたが、やがて夢の中の恭子は意識を失い深い眠りに落ちて行った。



 再び目が覚めると、そこは病院の病室のようだった。

意識がまだはっきりしない。

体も動かない。

頭の方が何だか窮屈に感じた。

眼だけで廻りを見ると、ベッドの脇のソファで孝幸が横になっている。

お父さん・・・

声になったのかどうかも分からないが、そう呟いてみた。

すると、孝幸が跳び起きた。

「恭子! 気が付いたのか? お父さんのことが分かるんだな」

恭子の顔を覗きこむ孝幸の目から大粒の涙が恭子のほほに落ちてきた。

その涙は頬を伝って恭子の口元へ流れて行った。

「おとうさん、しょっぱいよ」

「そうか、しょっぱいか。 よく頑張ったな」

あれっ? これって・・・

そうだ。 恭子が生まれた時と同じだ。

「私が生まれた時と同じだね」

恭子がそういうと、孝幸は恭子が生まれた時のことを思い出した。

確かにこんなことがあった。

もっとも、その時ベッドにいたのは早紀だったのだが。

「どうしてそんなこと知ってるんだ?」

「うん、なんとなくそんな気がした。 ねえ、お母さんは?」

「優子や浩人の世話もあるし、ここは完全看護だから付き添いで一緒に泊まることができないんだ。 だから無理言ってお父さんだけ何とか泊めて貰ったんだ」

孝幸は、恭子に意識障害が出ていないようなので安心した。

そこへ、担当の看護師が様子を見にやってきた。

「あら、気がつかれたようですね。 今、先生を呼んできますね」

孝幸は看護師に深々と頭を下げた。

「ねえ、お父さん。 私、歩けなくなったの?」

孝幸は一瞬、ギョッとした。

恭子は病気のことを知らないはずなのに・・・ それに、生まれた時のことも知っていた。

手術を受けている間に、いろんな情報が意識の中に出入りしたようだ。

人間の脳には無限の可能性があるらしいから、決して不思議なことではないのだろうが。

それよりも、恭子が意外と冷静なのに孝幸は驚いていた。

そして、今の恭子の姿を見たら父親である孝幸でさえ、不安を隠す自信はなかった。

「大丈夫だよ。 まあ、大きな手術をしたんだ。 少し時間がかかるかもしれないけれど、きっと歩けるようになるさ」

今はただ、そう言うしかない。


 手術が終わったばかりなので仕方ないのだが、まだ頭から管が差しこまれている。

鼻からも同じような管が差し込まれていて、手からは点滴の管が。

そして、見たこともない機械がベッドの周りに並べられていて例外なく恭子の体につながっている。

早紀は恭子のこんな姿を見ていられないと言った。

それは孝幸も同じだった。

恭子が目を覚ましたときに知らない場所で独りぼっちだったらきっと不安になるに違いない。

最初だけでも傍に居てやりたい。

孝幸はそう思ったからこそ、病院に無理を言って泊めてもらうことにした。

明日になれば早紀や子供たちも気持ちの整理ができているだろう。


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