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17.全員集合

17.全員集合




 第一報が拓の耳に入ったのは朝の8時30分だった。

この日は土曜日だということもあって、会社は休みで陸上部も朝練はなかった。

拓の部屋は無人だった。

誰もいない部屋で、ベッドの上におかれた携帯電話がマナーモードでブルブルと震えていた。


拓は軽くランニングするつもりで寮の玄関で靴を履いているところだった。

靴の紐を結び終わり立ち上がったときに、寮母から声をかけられた。

「西崎君、電話だよ」

拓は事務室へ廻ると置かれている受話器を取った。

「もしもし、西崎です・・・」

電話の相手は悠斗だった。



 孝幸は最初に家に電話して高橋に状況を説明した。

次に“ばれしょ”へ電話した。

拓の携帯や亮の電話番号を知らなかったから、仁美から連絡を取ってもらおうと思ったのだ。

電話に出たマスターに大まかな事情を話しすると、すぐに仁美に代わってもらった。

仁美は驚いて放心状態だったが、すぐに気を取り直して、すぐに連絡を取ると孝幸に告げた。

 仁美はすぐに拓の携帯に電話した。

拓はなかなか電話に出なかった。

呼び出しコールが10回を過ぎると、留守番電話に切り替わった。

仁美は仕方なく、すぐに電話するようメッセージを残すと、すぐに悠斗に電話した。


 仁美から悲報を聞いた悠斗は「信じられない・・・」と言いながら、例の話を思い出していた。

『まさか、本当にこんなことが起きるなんて』

そう思いながら、仁美に言った。

「あいつのことだから、多分、部屋に携帯置きっ放しでランニングにでも行ってるんだろう。 一応、寮にかけてみるよ。 それで、仁美はどうするんだ? 病院に行くのか? だったら迎えに行くから用意しろ」

「手術が終わるのは夕方近くになるみたいだから、先に恭子ん家に行って身の回りの物を持ってくるようにおじさんに頼まれてるの」

「そうか、わかった。 どっちにしても迎えに行くよ。 浩人たちも心配してるだろう」

悠斗は電話を切ると、すぐに東洋電機陸上部の寮に電話した。



 「・・・ 悠斗か? 悪い! 携帯、部屋に置きっ放しだ」

「そんなことより、つかまって良かった。 恭子ちゃんが大変なんだ! すぐに戻って来られないか?」

悠斗の口調から、拓は、ついにその日が来たのだと理解した。

 拓は受話器を置くと、寮母に礼を言って部屋に戻った。

ベッドの上に置かれた携帯電話は、着信があったことを知らせるランプが点滅していた。

留守電のメッセージを聞きながら、私服に着替えると、通用口を出て寮の裏手にある駐車場へ向かった。

東洋電機陸上部の寮は、交通の便があまり良くない場所にあるので、寮生のほとんどが車を持っていた。

拓も、寮に入ってすぐに免許を取り、車を買った。

 駐車場に止められている車の中でも、ひときわ目を引く赤いRV車のドアにキーを差し込むと、拓は一瞬空を見上げて呟いた。

「頑張れよ!」



 三浦家では、高橋が朝食の支度をしていた。

高橋は、この年まで独身だということもあり、料理の腕前は大したものだ。

卵を溶いて、牛乳・バター・ツナ・千切りにしたキャベツを混ぜてオムレツを作る。

フライパンの返しが鮮やかに決まった。

「おじさん上手なんだね。 でも、どうしてここにいるの?」

優子が起きてきて、不思議そうに高橋を見た。

「優子か。 おはよう! まあ、待ってろ」

続いて浩人も起きてきた。

「お母さん達は?」

高橋はオムレツを皿に盛り付けると、テーブルに運んだ。

「二人とも、とりあえず、飯を食え。 説明はそれからだ」

優子と浩人は席について、お互いに顔を見合せながら手を合わせた。

「いただきます」

テーブルには、オムレツの他にもサラダ・ソーセージ・トースト・味噌汁が並べられていた。

「パンのときはいつもコンソメスープだよ」

浩人が味噌汁をすすりながら言った。

「たまにはいいだろう」

「まあね。 これ、全部おじさんが作ったの?」

「なかなかのもんだろう?」

「うん。 でも、お母さんの方がうまいよ」

そんな会話をしている浩人と高橋をよそに、優子は食事中、ずっと無言だった。

「ごちそうさま」

食事が終わり、テーブルの上を片付けると、高橋は改めて二人を席に着かせた。

「いいか、よく聞くんだ」

高橋は二人の目をじっと見つめた。

二人とも、真剣な表情で高橋の目を見据えている。

「実は、昨日の夜中に恭子が病院に運ばれた」

「お姉ちゃんが?」

二人は声を揃えて尋ねた。

「どうして?」

高橋も詳しいことはまだ聞かされていないが、自分が知りうる限りの情報を二人に話した。

二人とも充分に理解できる年齢だと判断したからだ。

優子は、高橋の話を聞きながら涙を流している。

しかし、一度も下を向いたり目をそらしたりせずに最後まで高橋の話を聞いた。

「俺も、詳しいことはまだ分からないが、とにかくそういうことだ。 だから、これから三人の身の回りの物を持って病院に行くぞ。 分かったら支度をするんだ。 いいな」

「わかった!」

浩人はそう答えると、孝幸のボストンバッグにタオルや洗面道具を詰め込み始めた。

「みんなにはもう連絡したの?」

「ああ、多分、病院から孝幸が連絡してるはずだ」

「そう、なら、みんな病院に集合だね」

優子も涙を拭いて席を立った。



 孝幸は待合室のベンチに座って頭を抱えたまま動こうとしなかった。

ベンチとは言っても、脳外科の手術室専用の待合室はホテルのロビーのように豪華な内装が施されていた。

孝幸が座っているベンチも会社の応接セットよりはるかに豪華なものに見えた。

そのスペースには孝幸達の他には誰もいない。

静まり返ったその空間に、空腹を告げる孝幸の腹の虫の声が響き渡った。

早紀は思わず吹き出した。

孝幸もフッと声を漏らした。

「ここにきてから何も食べてないものね。 さすがに、私もお腹が減ったわ。 近くにコンビニがあったから何か買ってくるわね。 あなた、何か食べたいものはある?」

「そうだな、なんか温まるものが食べたいな」

「わかったわ。適当に見繕ってくるわ」

早紀が去ると孝幸は立ち上がり窓から外を眺めた。

どんよりと曇った空は孝幸の心を不安から解放してはくれなかった。

「俺がこんなことじゃダメだな!」

そう言って、孝幸は自分を励ました。

手術室に運ばれて行く時、恭子が見せたVサインが脳裏に浮かび、それが恭子の意志であり、両親に対する“心配しないで”という願いなのだと。



 三浦家では、高橋と子供たちが病院にいる3人の身の回りの物を用意していた。

しかし、こんなことは今までに経験がないだけに、何をどのくらい用意すればいいのか皆目見当がつかなかった。

浩人は旅行気分で、ゲームや漫画の本を自分のリュックに詰め始めた。

優子は部屋に戻ったきり出てこないし、高橋も、女性の着替えとなると手が付けられずにいた。

そんなとき、ちょうど仁美と悠斗がやってきた。


 仁美は部屋に入るなり、驚いた。

「なに? これ? 引っ越しでも始める気?」

辺り一面に着替えやら雑誌やらが散乱しているのだ。

「おう! ちょうどいいところに来てくれたな。 病院に行っている早紀ちゃん達の身の回りの物を持って見舞いに行こうと思ったんだが、何を持って行こうか悩んでいるうちにこんなになっちまって・・・ いや、だが、ほとんどは浩人がやったんだぞ」

「まったく! 両親揃って病院で暮らすわけじゃないんだから、とりあえず、恭子の着替えや洗面道具があればいいわよ。 あとはその都度運べばいいんだから」

仁美はそう言いながら、散らかり放題になったリビングを片付け始めた。

「これじゃあ、二人が病院から帰ってきたら、泥棒にでも入られたんじゃないかと心配するわ」

 悠斗は優子の姿が見えないのが気になった。

優子の部屋のドアをノックすると、中から返事が聞こえてきた。

「優子ちゃん? 大丈夫かい?」

「悠斗コーチ? 入ってもいいですよ」

悠斗は恐る恐る優子の部屋のドアを開けた。

優子はパソコンに向かって何か調べているようだった。

それは、恭子の病気についての記述が記されているホームページだった。

さらに、恭子の携帯電話を手にしてメールをしているようだった。

「何してるんだい?」

「うん、お姉ちゃんの一大事だもん。 みんなに知られなきゃ! おじさんはお母さんとお父さんがみんなに連絡したって言ったけど、たかが知れてるわよ。 だから私がみんなにメールしてあげてるの」

「まるほど、恭子ちゃんの携帯ならすべての情報が入っているからね。 でも、携帯を見たことばれたら怒られるんじゃないのかい?」

「大丈夫! お姉ちゃんはそういうの無頓着だから・・・ あっ! 返信来た。 高部知美だって。 コーチ知ってる?」

さすが、今時の小学生は違う。

悠斗は、優子が部屋に閉じ込もって泣いているのではないかと心配した自分が恥ずかしくなった。

恭子の妹だけのことはある。



 知美は最初冗談かと思った。

今、手術しているはずの人間から手術中などというメールが来るなんて馬鹿げている。

『変な冗談はやめて。 あなたらしくないし、笑えないから』

そう返信すると、すぐに返事が返ってきた。

『本当だよ。 私は妹の優子です。』

「なんてことなの!」

知美はすぐに拓の部屋へ走った。


この時、既に、知美は東洋電機の陸上部に入って拓と同じ寮に入っていた。

女子寮と男子寮は棟が分かれていて2階の渡り廊下でつながっている。

知美が渡り廊下を走っている時駐車場へ向かう拓を見かけた。

「西崎さ~ん!」

知美は大声で拓を呼んだが、拓には聞こえていないようだった。

拓がこれから恭子の所へ行くのだと察した知美は、当りを見渡し下に降りられるような足がかりがないか探した。

うまい具合に渡り廊下の下の階にある食堂の屋根伝いに進めば、一段低くなった通用口の庇がある。

そこからなら飛び降りることができそうだった。

知美はすぐに窓から飛び出し、屋根を走って通用口の庇に飛び移ったと同時に地面に着地した。

そして、そのまま駐車場まで走った。


 車に乗ってエンジンを掛け、アクセルを踏もうとした瞬間、フロントガラスの前に知美が現れた。

拓は慌ててアクセルから足を放した。

知美の表情を見た瞬間、恭子のことを知らされたのだと感じた拓は、助手席のドアを開けて手招きした。

「早く乗れ。これから病院へ向かうところだ」

「ありがとうございます」

知美は、どうにか息を整え、やっとの思いでそれだけ言うと助手席に飛び乗った。



 優子のメール作戦は効果的だった。

恭子の携帯電話に登録しているすべてのメールアドレスに、恭子が入院したことと、入院先の病院名を一斉送信したのだ。

ひっきりなしに帰ってくる返信メールの対応に優子は一苦労だった。

日頃、メールなどやり慣れていない優子にとっては相当面倒くさい仕事だった。

見かねた悠斗が、優子から携帯電話を取り上げた。

「俺がやってあげるから、優子ちゃんも出かける支度をした方がいいよ。 行き先が病院だといっても、パジャマのまま出掛けるつもりじゃないだろう?」

「悠斗コーチありがとう。 じゃあ、着替えるから出てくれる?」

「ああ! わかったよ」



 早紀はコンビニで、弁当や雑誌、スポーツ新聞などを買って病院に戻ると、救急病棟のエレベーターホールで田中美由紀や陸上部のメンバーに会った。

「あら? どうしたの? 誰かのお見舞いかしら?」

その声に振り向いた美由紀は、血相を変えて早紀に駆け寄った。

「あばさん、恭子はどうなんですか? 手術だなんて・・・」

他のメンバーも心配そうにしている。

「あら、恭子のお見舞いに来てくれたの? まだ、手術が終わるまで、けっこうかかるわよ。 でも、あなた達が来てくれた、退屈せずに済みそうね」

早紀の様子が意外と明るいので、美由紀たちは少し安心した。

「ところで、どうして知ってるの?」

「優子ちゃんが恭子の携帯を使ってみんなにメールしてるみたいですから、これからもっとにぎやかになりますよ」

「まあ! 困ったわね。 待合室に入りきれるかしら・・・」



 悠斗は大変な役目を引き受けたと後悔していた。

返信メールを打ち込んでいるそばから、次々とメールが返ってくる。

悠斗も自分が知っている相手には直接電話して状況を報告したが、陸上関係の知り合いがこんなに多いとは思いもしなかった。

さすがに、日本記録を塗り替えるくらいの大物になると、知り合いの数も半端じゃないし、日本中のあちこちからメールが入ってくる。

 悠斗はたまりかねて、『詳しいことが分かり次第、こちらからまたご連絡いたしますのでしばらくの間メールの返信はご遠慮ください。 緊急の連絡が取れなくなると本人及び、本人の家族に迷惑がかかりますのでよろしくお願いします』という内容のメールを一斉送信した。

しばらくすると、メールは来なくなった。

「準備はできたか?」

悠斗は高橋や浩人たちに向って声をかけた。

「いいよ」

「じゃあ、出かけるぞ」



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