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14.新たなライバル

14.新たなライバル




 ここ丸亀陸上競技場はプロサッカーの公式戦も開催されたことのある競技場で、サブグランドが眼と鼻の先にあり試合前の調整を行うには最高の条件だった。


 恭子達は宿泊先のホテルに着くと早速練習着に着替え始めた。

着替え終わる頃に部屋の襖戸が開いて野村が顔を出した。

「キャー! ちょっと、野村先生」

すごい剣幕で美由紀は持っていた手鏡を野村に投げつけた。

野村はとっさに手を出したが、手鏡は野村の肩に命中し畳の上に落下した。

野村は手鏡を受けた痛みも忘れ、慌てて襖戸を閉めた。

「悪い!」

すぐに着替え終わった美由紀が襖戸を開けて手鏡を回収しに来た。

「気をつけて下さいよ。 乙女の部屋なんですから。 着替え終わったからもういいですよ」

野村は部屋に入るとテーブルの前に腰を下ろした。

「先生、大丈夫ですか?」

恭子は手鏡が命中した左肩を示して心配そうに尋ねた。

「ああ、大したことはない。 田中も多少は手加減してくれたみたいだしな」

美由紀はバツが悪そうに、お茶を淹れながら目をそらした。

「しかし、着いたばかりだって言うのに、もう練習を始める気なのか?」

そう言いながら野村は美由紀が淹れたお茶を一口すすった。

「流しても12秒切れるくらいでないと全国では通用しないと思うし、とにかく、東洋電機の合宿の後は体が軽くて、走りたくて走りたくて仕方ないんですよ」

そう訴える恭子と美由紀の目は合宿前に比べると明らかに自信を深めているようだった。

「そういえば、都大会の後はタイムを計ったことないなぁ・・・ よしっ! じゃあ、会場の下見を兼ねて軽~く競技場までランニングしていくか」

「はい!」

二人とも声を揃えて立ち上がると、野村の腕を引っ張って部屋を出た。

「ちょ、ちょっと待て! 俺も着替えてくるから先に外で待ってろ」


ホテルから競技場までは1km足らずの距離だった。

野村はホテルの従業員が通勤で使っている自転車を借りて、恭子と美由紀に伴走した。

あっと言う間に競技場に着くと、そこでは大会の準備も整い、最後の整備がおこなわれていた。

三人はサブグランドの方へ行った見ることにした。

 サブグランドに着くと、練習しているどこかの選手たちが次々と引き上げてくるところだった。

野村は事務室で1本タイムを取るだけだと頼み込んでグランドに入れてもらった。

「もう、閉門時間なんだから早く頼みますよ」

係員は鍵のついた紐をくるくる廻しながらそっけなく言うと、事務室の方へ歩いて行った。


 恭子と美由紀が夕日を見ながら準備運動を始めると、一人の選手が近付いてきた。

「東京の三浦さんでしょう? これから取るの?」

そう言って、ストップウォッチを手にしてゴールラインの方へ歩いて行く野村を見た。

「はい。 1本だけ」

「見させてもらってもいいかしら?」

「どうぞ・・・」

恭子がそう答えると、美由紀が恭子の腕を引っ張り耳打ちした。

「ダメだよ! あれ、埼玉(さいたま)光陽(こうよう)中の高部(たかべ)知美(ともみ)よ」

高部知美は11秒80の記録を持っていて、今、一番中学記録に近いと言われている選手だった。

「どうして? いいじゃない。 どうせ試合になればわかるんだし」

恭子はあっけらかんとして答えると、再び高部知美に向って微笑んだ。

「どうぞ、ごゆっくり」

高部知美は頷いてゴールラインの方へ歩いて行った。

「おーい! 準備はいいかーっ」

野村の声に恭子と美由紀は両手を頭の上で合わせて○(OK)の合図をして、先に恭子がスタートラインに着いた。

野村のピストルの音と同時に、恭子は地面を蹴った。

恭子がゴールする瞬間、高部知美の髪が風に舞った。

ストップウォッチを見た野村の表情が緩む。

「どうでした?」

「今ので何パーセントだ?」

「最後流したので80%くらいです」

「そうか! 見ろ」

野村が差し出したストップウォッチは11.92だった。

続いて、美由紀がゴールした。

「なんてこった!」

野村はさらに驚いた。

美由紀のタイムも12秒を切っていたのだ。

それを聞いた美由紀は「まさか!」という顔をして驚いていたが、最後流した恭子と違って自分は目いっぱいの走りだった。

「やっぱり恭子は凄いわ」

それを聞いていた高部知美は恭子位近づいて来て右手を差し出した。

「試合が楽しみになってきたわ。 お互い、頑張りましょうね」

「ええ!」

恭子も高部知美の手を握って微笑んだ。

そして、美由紀にも握手を求めてきた。

「どうしてあなたが出ていないのか不思議だわ」

「ありがとう。 私、大器晩成型なの。高校生になったら負けないわよ」

美由紀はそう言って高部知美の手を両手で包みこんだ。

「楽しみだわ。 それで、どこへ進学するのかしら?」

「決まってるでしょう! 一校よ」

「一校? 第一高校ね。 なるほど、東洋電機の西崎選手の母校ね」

「ええ、拓さんは恭子の・・・」

「美由紀!」

恭子は慌ててみゆきの口を塞いだ。

「あら? 何か意味ありげね。 そうだわ、私が優勝したら、その件、詳しく教えてね」

そして、高部知美は野村に会釈をすると、グランドを後にした。

「おい、今のは高部知美じゃないのか?」

「そうですよ。 雑誌の記事とかでみた時は、もう少し高飛車なイメージがあったけど、意外といい子ね」

美由紀は自分が褒められたので、高部知美が気に入ったようだ。


 ホテルに戻ると、シャワーを浴びて食事をとった。

「しかし、短期間でよくこれだけタイムを縮められたなあ」

「なに言ってるんですか先生。 そのために東洋電機の合宿に参加させたんでしょう?」

「まあ、そうだが・・・」

実際、野村もある程度は期待はしていたが、思った以上の成果に野村は改めて二人の資質の高さに驚いていた。

恭子はともかく、美由紀がこれだけのタイムを出すようになったのは予想外だった。

本人が言うように“大器晩成”というのもあながち冗談ではないと思った。

「とりあえず、やることはやったんだ。 後はレースに備えて無理な練習はするなよ」



 孝幸ら応援団は丸亀から少し離れた宇多津のホテルにチェックインした。

丸亀市内はビジネスホテルが多く、孝幸達のように家族単位で泊まる場合には勝手が良くない。

競技場からは遠いが、高橋がマイクロバスのレンタカーを手配してくれた。

もちろん、運転も高橋が自ら買って出た。

 そこは海に近く、瀬戸大橋もよく見える。

恭子の出番がない日は観光するのにも都合が良かった。

孝幸は、恭子達が宿泊しているホテルに泊まりたかったのだが、早紀は気が散るからやめた方がいいと孝幸を諭した。

孝幸も、メンバーを見渡して、確かにそうだと諦めた。


 高橋は借りてきたマイクロバスを入念にチェックしていたが、孝幸が様子を見に行くと、試運転がてらひとっ走りしないかと誘った。

「大事な命を預かるんだ。 しっかりチェックしとかないとな」

「そうそう、部長の腕前をまず確認しとかないと」

「ばか、プライベートでは部長と呼ぶなって言ってるだろう」

そう言って高橋は運転席に腰かけた。

孝幸は運転席わきのバスガイドが使う補助席を出して、そこに腰かけた。

「ところでどこまで行くんですか?」

「決まってるだろう!」

「やっぱり」

高橋は、一路丸亀へ向かってバスを出した。


 高橋と孝幸は丸亀陸上競技場の場所を確認すると、競技場の付近を一回りして恭子達が止まっているホテルへ向かった。

既に辺りは暗くなっている。

ホテルの駐車場にマイクロバスを止めると、フロントでまず、野村の部屋を訪ねた。

フロント係は、一応、野村に来客が来たことを伝えようと内線電話を手に取った。

受話器の向こう側で野村がすぐにロビーへ降りると答えたようだ。

フロント係は1階のロビーで待つように二人を案内した。

 間もなく、野村が恭子と美由紀を連れてやってきた。

「おじ様、遠いところわざわざありがとうございます」

恭子はそう言って高橋に抱きついた。

その様子をいぶかしそうに見ている孝幸に美由紀が声をかけた。

「はじめまして。 田中美由紀です」

「ああ、恭子の父です。 恭子がいつもお世話になってます」

5人はロビーの一角にある喫茶室に移動した。

「先生、どうですか? 恭子はどの辺まで行けるでしょうか?」

孝幸が野村に尋ねると、恭子も美由紀も聞き耳を立てた。

都大会で優勝したとはいえ、全国には数えきれないほどの強豪がひしめいている。

100分の1秒差で大きく順位が入れ替わる世界なのだ。

恭子も実際自分がどれくらいのところにるのか予想もつかない。

「都大会のタイムは悪くはないが、予選を勝ち抜くにはちょっと厳しいかもしれませんね」

野村は顔を引き締めてそう答えた。

孝幸と高橋は落胆の表情を浮かべたが、美由紀は目を輝かせて野村に質問した。

「都大会の時ならでしょう?」

すると、野村も表情を緩めて頷いた。

孝幸と高橋は二人のやり取りに何かあると感じて野村に言い寄った。

「どういうことですか?」

「実は、ここへ来る前に東洋電機の合宿に参加させたでしょう? あれが大当たりでした。 よっぽどいいコーチがいたんだと思います。 今日、都大会の後初めてタイムを取ったんですが三浦は最後流して12秒を切ってますからね。 更に、この田中も三浦が都大会で優勝した時のタイムを上回りましたから。 今なら、二人とも準決くらいまでは大丈夫でしょう」

それを聞いた美由紀は「ちぇっ!」と指を鳴らして悔しがった。

「それじゃあ、絶対恭子には優勝してもらわなきゃね!」

「そうか、田中さんは出られなかったんだよね」

孝幸は慰めるような口調で美由紀の方を見た。

「大丈夫ですよ。 わたし、大器晩成型なんで高校生になったら鮮烈デビューを飾るのよ」

美由紀はあっけらかんと言ってのけた。

孝幸も高橋も安心して胸をなでおろした。

「それを聞いて安心しました。 せっかく長期休暇をとってきたんだからな。 まあ、ちょっとは観光旅行気分みたいなところもあるがな」

高橋はそういうと、野村の肩に手を置いて激励した。

「それじゃあ、先生、恭子ちゃんをよろしく頼みますよ。 東京に帰ったらいい酒を飲みましょう」

「はい、きっといい酒が飲めるでしょう」



 華やかに執り行われた開会式の後、恭子と美由紀は高部知美と一緒にライバルたちの様子をうかがいに行った。

高部知美は2年の時にも全国大会に出場しているだけあって名だたる全国の強豪ランナーたちとも顔見知りらしく、友達のように会話している。

そして、皆に恭子を紹介して回った。

都大会の優勝者ということで誰もが一応、名前くらいは知っているようだったが、タイム的にはライバル視している者はほとんどいなかった。

「みんな分かってないなあ。 私が連れて歩くんだから『注意しなさいよ』ってことなのに、三浦さんのことを全然気にもかけないなんて。 都大会の時のタイムしか頭にないのね」

高部知美は、そう呟きながらライバルたちが本番で驚く顔を想像すると表情が緩んできた。

「さすがに、中学記録にいちばん近い女。 みんなが知美ちゃんには一目置いているのね」

美由紀はすっかり高部知美の友達気取りだ。

「わたしね、三浦さんの走りを一度見たことあるの。 強い人と一緒に走ればもっと伸びるんだろうなと思ったわ。 なにしろ、走り方が男の子のようなんだもの。 そう・・・ 日本記録保持者の西崎拓選手の走り方によく似ているわ」

高部知美がそういうのを聞いて、恭子と美由紀は顔を見合わせて笑った。

「あのね、恭子が本格的に陸上を始めたきっかけは拓さんなんだよ」

「えっ?」

高部知美が驚いた表所を浮かべたのを見て、美由紀は得意げに話を続けようとした。

しかし、恭子が赤い顔をして首を横に振ったので思いとどまった。

「そうだったわ。 話しの続きは知美ちゃんが優勝したらだったわね」

「もしかして、二人はそういう中なの?」

「違うってば!」

高部知美が妙な風に勘ぐるので、恭子はむきになって否定した。

「何となくわかったわ。 この大会はきっと、あなたが台風の目になるわね。 みんなびっくりするわよ」



 高部知美が思った通り、恭子は難なく予選を突破した。

しかし、組み合わせが良かったのか、タイム的には準決に残ったメンバーの中では下から3番目だった。

だから、この時点では、まだ誰も注目していなかった。

高部知美だけが恭子と顔を合わせるたびにVサインを出して見せた。

準決勝第1組、恭子が出場する。 

高部知美は第2組なので、決勝に残らなければ一緒に走ることはできない。

予選通過タイムでは恭子がいちばん下だった。


 スターターが位置についてピストルを持った右手を高々と上げた。

恭子はいつものように集中した。

ピストルの弾がはじき出されるようなスタートダッシュを決めると、体一つ抜け出した。

他の選手たちには黒い影が通り過ぎたようにしか見えなかった。

気がついた時には恭子の背中だけが視界に入ってきた。

なんとかその背中を捕まえようと必死に追いかけるが、届きそうでなかなか届かない。

「そんなバカな・・・」

きっとだれもがそう思ったに違いない。

その差をキープしながらゴール前20メートルでさらに加速した。

その瞬間、他の選手たちは完全に戦意を失った。

 恭子がゴールした瞬間、高部知美だけが飛び上がってガッツポーズをしていた。

第2組は言うまでもなく、高部知美がトップで決勝進出を決めた。


 スタンドでは恭子の応援団が第一中学の校旗と応援旗を振りながら全員がお祭り騒ぎを演じている。

誰もが恭子だけしか見ていなかった。

孝幸と高橋は抱き合って大喜びしている。

スタンドの最前列で仁美と一緒に大声で恭子に声援を送っていた悠斗は、近づいて来た人影に気がつかなかった。

ポンと肩をたたかれ振り向くと、そこには拓が立っていた。

「あれっ? 来るのは明日じゃなかったのか?」

「ああ。 シノさんが気を使ってくれてね」

「今のレース見たか?」

「たった今、着いたところなんだ」

「そいつは残念だったな。 恭子ちゃんの走り、凄かったぞ」

「大体わかるさ」

「ちぇっ、面白くないヤツだな」


 恭子はすぐに拓の姿に気が付いた。

高部知美が横にいたので、ちらっとその存在を確認しただけだったが、高部知美はそのしぐさを見逃さなかった。

「に、西崎選手じゃない! まさか、あなたの応援に?」

恭子は何も言わずに、うつむいた。

そして顔をあげると少しだけ微笑んで頷いた。

「行こう! ほら、せっかくなんだから向こうに行こうよ。 きっと他の連中がやきもちを焼くわよ」

「そ、そんな・・・」

照れ臭そうにしている恭子の腕を引っ張って高部知美はスタンドの方へ歩きだした。




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