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8.心の内側を覗くこと

 先輩との出会いは大学一年の四月まで遡る。

 これは地元からこちらへ引っ越してきて、業者が部屋まで運んでくれたものを荷ほどきしていた時の話だ。

 ほとんど本ばかりだったけれど、棚は買い直しで一から組み立てなきゃいけないし、家具も移動させなきゃいけないしで男の僕でも苦難を強いられていた。

 もう疲れた、ダメだ、明日やろう。そう思っていた時に、当時大学二年の七瀬先輩が僕の部屋を覗きにきたのだ。

 部屋の惨状を見て、まず先輩は綺麗な顔に笑みを浮かべた。

 そして自己紹介も何もしていないのに「手伝ってあげるよ、少年」と言ったのだ。女性に手伝わせるのはさすがにと思ったけれど、先輩は有無を言わせぬスピードで部屋に上がり込んできて、ダンボールの中のものを取り出して整理してくれた。

 変な人だけど優しい人だ。

 僕はそう思って、素直に先輩の好意に甘えることにした。一日じゃ無理だと思っていた荷ほどきは、先輩の活躍により見事その日中に終わった。

 そして僕がお礼のお茶を入れている時、たまたま偶然にも、先輩はとある紙の束を見つけてしまったのだ。

……いや、あれは偶然とは言えない。先輩は棚の奥を興味深げに物色していた。 

 たぶん、エロ本でもないかなと思って漁っていたんだろう。

 僕にとって、それはエロ本よりもまずいものだった。

「へぇーいい趣味してるじゃん。なになに〜」

「やめてください! それは見ないでください!」

 取り上げようと腕を伸ばしても何度もかわされて、僕は息を切らして諦めた。もう数ページは見られているから、全部見られても同じだと思ったのだ。

「その紙の束の正体は?」

「ちょっと待ってて」

 華怜も先輩と同じく興味深げに訊いてくる。実物を見せた方が分かりやすいと思い、ノートパソコンを起動させた。

 その中の奥深くにあるテキストファイルを開き、画面上へ広げる。そこには膨大な数の文章が羅列されていて、彼女は目を丸めた。

「もしかして、小説ですか?」

 恥ずかしくなって、顔が焼けたように熱くなる。

「ごめん、やっぱり恥ずかしいから……」

「ちょっと静かにしててください」

 僕はその純粋な興味に気圧されて、黙らざるを得なかった。自分の書いたものを見られるというのは、とても恥ずかしい行為なのに。

 ましてやそれが自分のいる前で、というのならなおさらだ。相手が自分の好きな人であれば、羞恥は何倍にも膨れ上がる。小説を読まれるということは、その人の心の内側を覗いていることと同じだと、僕は思う。

 華怜の甘い柑橘系の匂いも相まって、本当にどうにかなってしまいそうだった。このまま押し倒して、そのまま……

「これ、面白いです」

「ごめんなさい!」

「……? どうして謝るんですか?」

 本当に疑問に満ちた目で僕を見てきて、ようやく手のひらを離してくれた。

 解放された手は画面右上に向かうはずだったのに、冷静になって中央へ思いとどまっている。

 華怜の言った言葉が、頭の中で上手く咀嚼できなかった。

「あの、なんて……? ごめん、もう一回言ってくれる?」

 すると華怜は笑顔になって「この小説、面白いですよ。恥ずかしがることなんて、一つもないです」と言った。

 それでも僕は未だ理解ができなくて、頭の中を三周ぐらい言葉が回って、ようやく元の位置へ戻ってきた。

「面白いって、この小説が……?」

「そうです。面白いです!」

 僕は、なんというか、嬉しくて、嬉しくて。

 きっと、この時、この瞬間の時のために、ずっとこれを書いていたんだと思えるぐらいに、心の中が温かいものに包まれて、満たされていた。

 ずっと誰にも見せずに、納得が出来ずに自己完結で済ませて、誰かに見せるということをしてこなかった。

 怖かったんだ。

 面白くないと言われるのが、怖かった。

 それなのに、今一番大切な人に「面白い」と言われて、平然としていられないわけがない。

 ずっとこのまま、夢半ばに挫折すると思っていた。それが今、ようやく報われた気がした……

「公生さん……?」

 華怜は僕のことを見つめてくる。いつもよりずっと近くにいて、あぁ、またこの子を不安にさせてしまったと思った。

だけどそれは違った。

 今度の華怜は、柔らかく微笑んでくれた。

「泣くほど嬉しかったんですか?」

「な、泣いてなんか……!」

「とかいって、身体はずっと正直ですよ」

 くそっ、不便な身体だ。好きな人に泣き顔を見られるなんて、これから一生うなされそうだ。

「小説家、目指さないんですか?」

 優しく問いかけてくれて、塞ぎ込んで凍っていたものが、ゆっくり氷解していくのがわかった。華怜のためなら、もう一度だけ頑張れるような気がした。

「……頑張るよ」

「一緒に、頑張りましょう」

 一緒に。その言葉は僕の心の中心に違和感なく座り込んで、内側から暖かく包み込んでくれた。

「どんな物語も、隅っこで埃をかぶってるのはかわいそうです。一緒にお外へ出してあげましょうね」

「うん……」


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