兄妹なのに
都合の悪い時というのは重なりやすいもので、僕の場合、卯月との関係の改善に取り掛かった矢先のコレである。
まあ、何があったかと言えば、ただ祝日であった。それだけだ。
結局、昨日はお昼を一緒に食べることはなく、ある意味絶妙なタイミングで会話がなかった。
その翌日がまた、なんともタイミングの悪い事に祝日であったのだ。
いくら幼馴染と言えども、休日に会って遊んだりするかと言えばそうではない。まして、異性ならば尚更である。
以前の僕と卯月との関係ならば、まだ休日に会うくらいならば気軽にできたのであろうが、可愛い異性になった代償だと思えば妥当なのかもしれない。
尤も、そこで彼女を誘えないヘタレの僕に問題があるのだが。
『あべこべ世界になったんだから、そこは誘えよ』なんて思うかもしれないが、つい先日までクラスの中で埋もれていたような奴にそんな大胆な事が出来るわけがない。
電車の中でのアレはノーカウントだ。
そんな事で、こちらからメッセージを送れるような度胸も無い僕は、休日にただ1人リビングに寝転がっているのである。
「…ふぅ」
思えば3日。この世界になってしまってまだ、たったの3日であるのだ。
未だに母と妹との関係改善すらままならないのに『幼馴染と』など無謀だったのかもしれない。
「…はぁ」
結局、母さんには泣かれた以来会ってすらいないし、弥生とも固まられて以来だ。
弁当は食べてくれていたみたいだから、少なくとも嫌われていることはないのだろうが、イマイチ距離を測りかねている節がある。
「…あぁ」
「…ど、どうしたのお兄ちゃん」
噂をすればなんとやら。声の方を向いてみれば、リビングに入ってきたばかりの弥生が、僕の嘆きを聞いて怪訝な顔を浮かべていた。
「いや…うん…」
「…え、…っと、私のせい?…ごめんなさい」
僕の返事が歯切れが悪かったせいか、今にも泣きそうな顔で謝られた。
放っておけば土下座でもしてしまいそうな勢いだ。
「いやそうじゃないけどさ…」
そこまで言って、口を紡いでしまう。
即座にその続きが出ないのだ。言葉巧みに上手いこと口を動かせるのは物語の中の住民、残念ながら僕はその範疇に入れなかったようである。
そうじゃなければなんなのか、一概に弥生が関係無いとは言えない。
その点においては『私のせい』発言を否定できないのだ。
勝手に色々考えて、結局、微妙な間を作ってしまっている。弥生もはっきりとしない雰囲気に不安げな顔をしていた。
…駄目だな、歯切れが悪い。はっきりしろよ如月睦月、お前は男だろ。
「あのさ、弥生は今日暇?」
「…へ?」
「いや…、今日空いてるか聞いたんだけど、埋まってるならいいや」
なんだか少し、ぼんやりと考え事をしていたようだし、もしかしたらこれから予定があるのかもしれない。
弥生も女子中学生。そういうコミュニティを重視するお年頃なのだ。
休日になればどこかに遊びに行く事は別に不思議では無い。
兄としては、心配ではあるが。
「弥生も大変だな」
「…え?」
「いやな、女の子は付き合いが大変そうだなって」
なんだったか、あのプリクラっていうやつ。以前、弥生が友達と嬉しそうに写っていたのを見たことがある。
最近では男でも撮るそうだが、リア充の『リ』の字が無く、寧ろ『非』がついてしまっている僕には遠い話だ。
「暇だったら付き合って欲しいところがあったんだけどさ。…まあ、1人で行ってくるから、お昼はいらないよ」
「だっ!だだ駄目だよお兄ちゃん!1人でなんて危ないよ!」
「…ど、どした?」
ぼんやりした顔をしていると思ったら、急に目を見開いて前のめりに詰め寄られた。
この世界になってしまってから、少し情緒不安定なところがあったけど、お兄ちゃんちょっと心配。
「え、あ…、わっ、私が付いていくから!」
「いや、でも予定あるんだろ?」
「え?」
「え?」
何故だろう、この会話が成立してない感。すれ違いとは違うが、どうにも噛み合っていない。
「てっきり、何か予定があるもんだと」
「い、いやいや!私に予定なんてないよ。…だって、私女だし、ね。皆、休みの日は寝てるだろうし」
「どこか遊びに行ったりは?」
「そんな、滅多にない、かな」
どうやら僕の早とちりだったようで。
そもそも、男女の価値観が変わってしまった以上、以前のように『プリクラ』なるものが蔓延ってないのかもしれない。
それ以前に、女子のコミュニティ云々も何か違ったものになっている可能性もあった。
会話の齟齬もどうやら僕が原因のようだ。
どうにも、ぼんやりしているのは僕の方だった。
「…じゃあさ、今日買い物に付き合って欲しいんだけど、頼める?」
「…う、うん。不束者ですが、よろしくお願いします」
その言葉は何か違うような気がするが、僕もあまり言葉を知っているわけじゃない。
さして問題もないだろうし、まあいいか。
「じゃあ、準備して来なよ。色々あるだろうし」
「えっ?…いや、私は、大丈夫だけど。それより、お兄ちゃんはいいの?…そ、その服とか、さ。…い、いや!お兄ちゃんは、そのままでも十分だけど…」
「…ああ、いや大丈夫」
弥生の言葉から察するに、こっちではお洒落をするのは男の方らしい。
どうも身内贔屓なところが見え隠れしているが、世渡り上手なようで安心だ。
「先出てて、戸締りしてくるから」
「わっ、わ私やるよ!」
「…そう?じゃあ頼む。僕はちょっと荷物とってくる」
…さて、ひとまず妹との関係修復、頑張ってみようかな。
前の世界で言うところの『姉に振り回される』的シチュエーション。弥生に受けるかどうかはわからないが、仲良くなるぶんには悪くはない作戦だろう。
*****
私、如月弥生は中学二年生。成績も運動神経も顔も、ごくごく普通。
特にこれといった特徴も無く、背が低いことがコンプレックスな普通の女です。
ただ、私には普通の人と違うところが一つあるのです。
それは男の兄弟がいること。それに、街で10人とすれ違ったら12人はお兄ちゃんに見惚れてしまうくらいカッコイイお兄ちゃんです。
そんなカッコイイお兄ちゃんですが、どうも最近様子がおかしい。
ついこの間まで、王様みたいな感じだったのに、なんでか凄く優しくなりました。
聞いてみたところ『本の影響』と言っていましたが、どうにも不思議です。
私としては前のお兄ちゃんは怖くて、正直苦手だっので、あまり深くは考えないようにしました。
目下の悩みは、お兄ちゃんが優しくなり過ぎて、私が固まってしまうことですね。
幸せ過ぎて、暫く記憶が飛んでしまうこともしばしばです。
朝起きたら、お弁当が用意してあった時にはお母さんと一緒に大泣きしてしまいました。
そして今日、お兄ちゃんにお出かけに誘われたのです。
「…うぅ、どうしちゃったんだろ、私」
窓の鍵をかけながら、思わず言葉が漏れました。
さっきからずっと頬っぺたが熱くて、舌も思うように動かないんです。
オマケに心臓は太鼓みたいに大きな音を立てているし、呼吸をするのもしんどい。
お風呂場の窓の鍵を閉める時に、姿見の中の私と目が合いました。
ごく普通な顔の少女が顔を真っ赤にしてこっちを見ています。
その瞳は『お兄ちゃんとお出かけなのに、そんな格好でいいの?』と、無言で私に訴えているようでした。
お兄ちゃんとお出かけ、お出かけ…お出かけ?……アレ?
こ、こここ、ここコレって、もしかして、デ、デデデート、というものなのではないでしょうか?
そう思った瞬間、急に自分が恥ずかしくなって来ました。
姿見には、地味な格好をした少女。少し大きなお風呂場の鏡が私の全身を映しています。
私はこんな格好でお兄ちゃんお出かけに行くつもりだったのです。
馬鹿ですね。どうしようもなく馬鹿です。ただでさえ、隣にいるのが烏滸がましいような容姿の差なのに、私はなんと愚かなのか。
同じお腹から生まれたのなら、お兄ちゃんに釣り合うような容姿にしてくれればよかったのに。
神様は意地悪だ…いや、これはただでさえこんなにカッコイイお兄ちゃんがいる幸運な私が、高望みをしているのに過ぎないのでしょう。
己を磨きなさいと、きっと神様はそう言っているのです。
鍵を閉め終わると、足早に自分の部屋へと駆け込みます。部屋が散らかるのを顧みず、私の持っている服を手当たり次第に引っ張りだしました。
「…コレにしよ」
去年、お母さんに買ってもらったよそ行き用の服。
私の持っている服の中では間違いなく1番お洒落です。
着替えようと、服を脱ぎます。首と腕を通して、丁度布で視界が覆われている時でした。
「やっ、やや弥生!」
どうやら扉を開きっぱなしだったようで、お兄ちゃんの声が部屋に木霊します。
「ご、ごめんなさい。すぐに着替えます!」
「…いや、そ、そうじゃなくてだな。…その、弥生も女の子なんだから…その、慎みをだな…。具体的に言えば、扉は閉めてから着替えなさい」
…どうしましょう。私の貧相な体なんて、お目汚しにも程があります。
勝手に1人で舞い上がって、お兄ちゃんに、嫌われてしまったかも…。
「…ご、ごめ、ごめんなさい」
「いや、こっちこそ、ごめん。僕の配慮が足りなかった。…じゃあ、先に出てるから。弥生も、ゆっくりでいいからね」
ばたん、と扉を閉める音がして、お兄ちゃんが階段を降りる音がした後には、私が服を着る音だけが部屋に残ります。
ジワリと、少しだけ目元が熱くなりました。申し訳なさと、不甲斐なさ。
ただ、それ以上に優しさが染みたのです。
ああ、これからのお出かけが楽しみ過ぎて仕方がありません。我ながら、単純なものですが、そう、コレは仕方のない事なのです。
少しだけ。
兄妹なのに、何かを期待している私は悪い子ですね。
ですます口調ってどうなんですかね?
よくわからない。