自殺志願者の大往生
何も考えずに軽くお読み下さると幸いです。短いので。
「お前に世界を道連れにする覚悟があるのか?神楽山」
昼過ぎ、カーテンも締め切って薄暗い俺の部屋。
高校生だというのに学校にも行かず、それどころか黄泉の国に旅立とうとしていた俺の前に、突然おかしなことを言う男が現れた。
「…まず、俺は神楽山じゃないし、世界を道連れにするつもりもないってことを言っておきたいんだが?」
ここで騒いだところで事態がわかりやすくなるわけでもない。自分の殺害を止められた俺は少し苛立たしく思いながら訳のわからない弁解をした。
だが、そんな俺の苛立ちに気付いているのかいないのか、素性不明の男は真顔で淡々と口を開いた。
「そうか。お前の名前など知らん。だが、世界を道連れにすることについてはお前の意思でどうにかなることでもない。そこで死にたいなら止めないが――」
そこで一旦口を切ると、男は何がおかしいのか口元を歪めて楽しそうに言葉を放った。
「――その場合お前は、世界の崩壊が始まり、その崩壊が終わるまで、死ぬこともできずに痛みに苦しみ続けることになる。そして、世界が終わると同時にお前は死ぬんだ」
突拍子もない話だ。こんなにも怪しすぎて逆に怪しくないくらいの男に言われて信じる人間がいるだろうか?
「それは…証拠でもあるのか?お前が信用に足る人物であり、かつお前の言ったことが現実になるという」
「こんなことを言われたのにいやに冷静な人間だな。嫌いなタイプだよ。人間のクセに」
俺の問いにも応えず、大仰な態度でそんなことをいう男。言わないが、俺もお前みたいなのは嫌いなタイプだ。
「まるで自分は人間じゃないというような物言いだな。悪魔かなにかのつもりか?」
「君のような勘の良いガキは嫌いだよ。よくわかったな、不登校の月見里少年」
なんでもないかのように俺の名前――正確には姓だけだが――を当てられた俺は少し驚いた。
ただ、別にコイツは肯定もしていないし、悪魔だと自分から言ったわけでもない。今のところこの男は嘘はついていないだろう。
…少なくともコイツの素性については。
「自分が悪魔だというのか?現代日本においてオカルト趣味を持つ人間も少なくないが、残念ながら俺は黒魔術だのに興味はない。信じることはできないな」
「そうか?俺が悪魔だって証拠ならある」
「魔術でも使ってみるか?生憎だが多少のマジックでは驚かない自信がある」
あからさまに馬鹿にするような態度を取る。が、自称悪魔は余裕綽々といった表情を崩さない。それどころか、面白そうにニヤニヤとしている。
「いや。まぁ落ち着け。俺とお前は初対面だろう?」
「俺が実は記憶障害だった、ということ...それからひどく幼い頃に会ったという可能性を除けば初対面と言っていいだろうな」
「いちいちめんどくさい言い回しをする人間だな」
自分でも自覚はしている。確かに言葉遣いなどどのようなものでも相手に伝わりさえすればいいと思うのだけれども、これが生まれ持った性質であるのだから仕方ないだろう。
「まぁつまりだ。俺たちは初対面だと言うのに、俺はお前の名前や状況を把握している。充分悪魔たり得るとは思わないか?」
「確かに思慮の浅い人間であればそう思っても仕方ないかも知れないけれど、俺は他より変わった人間であるから易々と信じるわけにはいかない。例えば、お前が親が呼んだカウンセラーであった場合なんかが想定できるし、そもそも姓だけなら表札に書いてあるだろう」
「めんどくさい人間だな。頭からかじってやりたいよ」
「…お前がカウンセラーであったなら、多少言葉遣いは悪いという点を除けば行動に納得も行く。俺の名前や状況などあらかじめ親に聞くこともできるだろうし、俺の自殺を止める理由も出てくる。理には適っていると思うが、反論は」
屁理屈だということは分かっている。親は今更俺のことを気にかけもしないし、カウンセラーなど呼ぶくらいなら蟹でも食べるだろう。
「論理的には反論はない。ただ、人間ごときと一緒にされるのはこの上なく不快なことだ。お前を触れることもなく半殺しにでもすれば信じてくれるのか?」
物騒なことを困ったような表情で口にする男。
信じてやってもいいのだが、目の前にいる存在にはコウモリのような翼もなければ凶暴な爪や牙もなく、それどころか少し顔色の悪い人間にしか見えない。
科学社会で生きてきた俺からすれば悪魔には到底思えなかった。
だが、問う。
「もしお前が俺を半殺しにしたら、どうなるんだ」
「は?」
「俺が死ぬと世界が滅ぶと言っていたな」
「あぁ。世界が少し終わるだろうな」
学校などで言えばいじめられるか気持ち悪がられるか、どちらにしても居場所を失うことは必至であろうセリフを真顔で吐き出す。
悪魔を名乗る頭のおかしい人間か本物の悪魔かなどと言う考えは建設的な思考ではないだろう。頭が狂った人間のすることだ。めんどくさいので悪魔だと信じてやることにした。
「そうか。仕方ないから、お前が言ったことは信じよう。正直めんどくさい。ただ、ひとつわからないことがある」
「はぁ…まだ何かあるのか」
信じる、と言った時に目に見えてホッとしたのも束の間、悪魔は心底嫌そうな顔をして嘆息した。
「何故俺に言った?何故俺が世界崩壊のトリガーに選ばれた?」
誰にも知られることなくひっそり死んでいくだろう自分を選ぶ理由などあるのか。どうでもいいことではあったのではあるが。
「それこそくだらない質問だな。愚問だ。少しでも無力な人間を選び、そいつが世界の崩壊を見届けながら自分の無力さを呪う、その絶望の表情が見たかっただけって話に過ぎない」
「人間からすれば迷惑な話じゃないか。さすが悪魔だな」
呆れたかのように言う。俺にとっては何の迷惑でもないけれど、人間を代表して言わせてもらった。
「褒め言葉だな。別に俺はお前がいつ死のうが一向に構わんのだが。一応悪魔にも良心というのはある。もう一度聞こう、お前に世界を道連れにする覚悟があるのか?」
「選ばれた以上その覚悟は決めた。が…俺が死んでも世界が終わらない、そんな手段もあるのか?」
正直自分がいなくなった後の世界を世話してやる義理はないし、別に滅びてもいいんだが、一応問う。
悪魔が正直に答えるとも思わなかった質問だが、実に悪魔らしい笑みを浮かべた悪魔はひとこと。
「ない」
と。
「そうか。なら俺は、お前のような悪魔の思い通りにはさせないよう精一杯努力させてもらうとしよう」
「ほう、絶望しないのだな。つまらん。だが、人間の足掻く様というのもそれはそれで面白いものだ。いつまで続くか知らないが、せいぜい楽しませてもらおうか」
その言葉を最後に、数十年間俺は悪魔と会うことはなかった。
俺は半年間のブランクを埋めるために必死で学校で勉強に打ち込んだ。ひたすらに頑張り、友達も作り、それでも死ぬほど頑張った。親元を離れ、自分ひとりで立ちあげた企業が成功し、周りの人間に愛され始めても死ぬほど頑張った。
力をつけ、周りに人が増えるほどに世界崩壊のリミットも近付き、結局は絶望の表情を悪魔に見せることになるのかと、恐れ続けていた。
やがてその日はやってきた。新しく出来た自分の家族や孫、信頼できる部下などに囲まれ、ついに俺の命が尽きるというとき。
遠ざかる意識に目を瞑ると、懐かしい顔が。
「だいぶ老けたみたいだな、元敏腕経営者の月見里老人?」
「最後の最後に話すのがお前とはな、自称悪魔」
何十年もの間、話していないというのに何故だか親友とでも話すような気持ちだった。懐かしさに目を細める。
「自称でもないがな。俺は変わらないだろう?」
「そうだな。しかし、ここまで待つのも長かっただろう」
本心から俺がそう言うと、奴は何が嬉しいのか笑みを浮かべた。
「人間と悪魔じゃ時間の感覚も大分違う。それに、お前の足掻きも面白かったからな。退屈はしなかったぞ」
そう言ってのけた悪魔は、あの頃と比べるとよほど人間味を帯びているように思えた。それにしても嬉しそうな奴だ。友達いないんだろうか?
「しかし、人間のお前からするとだいぶ長かったろうな。元気だったか?」
「と言ってもやはり見ていたんだろう。わざわざ言うことでもないさ」
何が元気か、という基準については人によって悲しいほどに差があるのだけれども、俺個人という人間の基準を使わせてもらうならば確かに俺は元気と言えた。
もちろん、精神面においてのみではあるのだけれど。
「それもそうだな。…さて、お前はもう死ぬ。世界と共にな。何か言うことは?」
「いいや、特にないよ。お前とともに世界の死を見届けようか」
落ち着いた表情でそう言うと、悪魔はつまらなそうに呟いた。
「やはり、思ったより絶望しないんだな?」
「やれることはやったからな。ここまで来てお前に絶望の表情を見せるのも癪だ」
その言葉を聞いて、今度は楽しそうにからからと笑う悪魔。
表情の豊かなことだ。
「それはお前らしいことだ。それはそれで面白い」
「どうも。…そんでだな、俺は既に死んだ気がするんだが 」
体が動かない。目も開かない。そしてさっきより体が軽い。
「今更気付いたのか?お前が目をつむった時には既にお前は死んでいたんだが」
「それは…つまり世界も終わってるってことか?」
少し驚いたものの、一番の疑問をぶつける。
「死んだと理解した今ならお前の魂はどこに行くも自由だ。立ち上がってみろ」
そう言われた俺は自分の死を意識して体…いや、魂に力を込めた。するとなるほど、自分の体を見下ろす形で立ち上がることが出来た。
「…周りに皆いるんだが、もう終わってんのか?」
「いいや」
「世界の終わりと同時に俺は死ぬんじゃなかったか?世界は終わらなかったのか?」
「終わらなかったな」
「…どういうことだ」
淡々と応える悪魔に怒気を込めて問う。
「それだけ生きてきてこの程度のことも知らないのか?」
悪魔はいつかのように口元を歪め、こう言った。
「悪魔って奴は嘘つきなんだよ、月見里くん。終わるのは、お前の中の世界だ」
…全くひどい悪魔だな。無駄に長く生きてしまった。最低の人生だったよ。
「ありがとう」
ここまで読んでいただきありがとうございました。
特になにか伝えたいことがあるわけではないのですが、まぁ、強いていうとすれば、幸せな人生を送りたいです。人並みに。