逆玉の輿はお断り
「優馬君、喜べ」
恰幅の良い、いかにも金持ちそうな脂っ気のあるおじさんが私の隣の兄に言った。
展開についていけない。
今日は兄の婚約者である茜さんの両親に会うはずだった。
茜さんは漫画みたいな極貧一家の次女で、凄まじいサバイバル経験の持ち主だったはずだ。しかも、現在進行形の。
「茜の結婚相手として合格だよ。実は茜は一人娘でね、君には婿に入ってもらう。 あぁ、妹の美也子さんだったか? 君も一緒に住んでもらって結構だ。部屋は余っているから遠慮はいらん」
婿って。兄ちゃん、婿になるの? まぁ、鈴木家が一つ無くなったって特に問題は無いだろうが。 私も予定的には嫁に出るつもりだし。相手はまだいないけど。つか、私もこの豪邸に住むの?
「良かった〜、優馬さんがパパに気に入ってもらえて! やっとこれで元の生活に戻れるわ〜。こんな安い服も着なくてすむ! 早く着替えてゴミに出したいわ」
茜さん、今日も庶民の味方、シマ○ラのワンピースがお似合いですが、どうやら本当は嫌いらしいです。
「本当にね。茜にはそんな粗悪品似合わないわ。いくらパパの命令とはいえ、本当に情けなかったもの」
そうですか。近所の古着屋の売れ残り見切り品ばかり買っている私には、そのシマ○ラでもトップクラスに高い五千円に迫る勢いのワンピースは高嶺の花なんです。捨てるなら私に下さい。
「ママ、茜と一緒にお出かけできなくてつまらなかったもの。これからは今までの分もたくさんお買い物行きましょうね」
「うふふ、まずは銀座よね、ママ。でもその前にエステに行かなくちゃ。ろくな手入れも出来なくて髪も痛んでるし」
茜さんのママはゴージャス巻き髪マダム。キラッキラ光っているシャンパンゴールドの巨大フリル付きブラウス、スカーフみたいな柄のスカートは多分有名ブランド。家事なんかしそうにない、ゴージャスな爪。あのキラキラ光ってるのはラインストーンか? マダムらしく上品な落ち着いたピンクにワンポイント的な。
「そうね。あぁ、美也子さんも一緒にいらっしゃる? 仕立ての良い服は女性を輝かせるものなのよ」
「そうそう、美也ちゃんは元は悪く無いんだし、そんなセンスの無い服をやめればすぐにモテモテよ? 一緒に美容院も行きましょうね。ボブはボブでももっとおしゃれに変身できるわ」
悪かったな、これでも持ってる中で一番の一張羅だぞ! それに髪は兄ちゃんに切ってもらってるんだ、私のセンスじゃない! 私だってコケシみたいなボブには不満があるが、自分で切るよりましなんだ!
「優馬さんにも素敵なスーツを着て欲しいわ。やっぱり出来る男には一流のスーツが似合うと思うの。ねぇ、パパ?」
「そうだな、君には私の会社を継いでもらうつもりでいる。周囲から侮られないように、そんな安っぽいものは今すぐに捨てたまえ。なんなら今から私の行きつけの店に行っても良い」
おじさんが言い放ったその言葉に、私は固まった。うん、まぁ、高くは無いよ。スーツとしては。 でもね、兄ちゃんはシスコンなんだよ。それは、言っちゃあなんなかった。 私と同じで状況についていけなかった兄ちゃんが突如覚醒した。
「申し訳ありませんが、結婚話は無かったことにして下さい。茜さん、僕は君を運命の相手だと思っていたが、どうやらそれは勘違いだったようだ。僕のような貧乏人ではなく、君に釣り合う人と結婚することをおすすめする。僕とは縁が無かったと思って忘れてくれ。美也子帰るぞ」
「はい!」
絶対零度の氷帝になった兄ちゃんに逆らうのは得策ではない。逆らう気もないけど。
多分、予想外過ぎる展開についていけないんだろう。茜さんファミリーはビックリした顔で固まっていたので、抵抗も無く絢爛豪華で目に痛い応接間を脱出することが出来た。玄関で靴を履いていた時に茜さんが追いついて来て、必死で兄に縋っていたけど、兄は清々しい程に完全スルーして帰途についた。
私、鈴木美也子は高校二年の17歳。兄ちゃんは26歳で中央省庁の一つに勤める公務員様。両親は交通事故で私が8歳の時に死んじゃったので、母方の祖母に引き取られた。その祖母も一昨年亡くなったから兄ちゃんと築百年近いボロい家に二人暮らしだ。兄ちゃんによると、両親は宵越しの金は持たねー系の江戸っ子気取った馬鹿だったので、遺産とかなかったらしい。具体的にいくらとか知らないけど、保険金もたいした額じゃなかったようだ。ばあちゃんも年金暮らしだったし、一般家庭よりはだいぶ貧乏だったと思う。それでも結構幸せだった。ばあちゃんは私たちを引き取ったのを切っ掛けに、引退していた和裁師に復帰。腕が良かったばあちゃんは、食べ盛り二人をきっちり食べさせてくれた。まぁ、そのかわり色々厳しかったけど。いやー、文明の利器って凄いよね。うち、掃除機も電子レンジも勿論テレビも無かったんだよ。古い家って掃除しても掃除してもホコリがわくんだよね。ハタキと箒と雑巾が標準装備。腰が痛くて満足に雑巾がけが出来ずにいたらしいばあちゃんは、嬉々として私に雑巾がけを叩き込んだ。
雑巾がけマスターと呼んでくれ。
流石に洗濯機はあったが、二層式だ。二層式洗濯機が何だか知ってるか? 知らないよね。同級生で知ってる人はいなかった。一回に洗える量も少ないので、ばあちゃん一人分ならまだしも三人分となると色々大変だ。洗う部分は機械におまかせだけど、脱水を手動でやんないといけないので時間がかかる。いや、別にハンドル回して脱水とかしないよ? ただ、脱水槽に入れる量はせいぜい二、三枚で、スイッチを入れてゆっくり10〜20数えるくらいで止める。それ以上やると、綿とかだと脱水されすぎて激しく皺になる。だから適度に水を飛ばして適度に濡れた状態で取り出して、パンパン叩いて皺を伸ばして干す。適正な脱水時間にすると、アイロン無しでもかなり奇麗な状態で乾燥させることが出来る。脱水加減は素材や厚みによって違うから、割と職人技だ。脱水マスターと呼んでくれ。
ばあちゃんが仕事詰まってるときは、私が早起きして洗濯を担当していた。朝ご飯は兄ちゃんの担当だった。理由は兄ちゃんは料理が好きだから。両親が生きてた時から朝寝坊が通常運転の両親のかわりに朝ご飯作ってたし。そういや、あの当時から私の躾とか親じゃなくて兄ちゃんだったな。箸の持ち方が悪くて、いっつも兄ちゃんに怒られてた。しかし、むしろ父ちゃんの方が箸の持ち方悪かった。握り箸ってやつだ。私の箸の持ち方は母ちゃんにそっくりだったから、鈴木家的に正しいのは私の方だったはずだ。解せぬ。
そんな兄は今が旬のサンマを食べている。美しい箸遣いで。どうして兄はあの両親に育てられてこうなった。私よりあの両親に英才教育されているはずなのに。だって、私には兄がいたけど、兄にはあの両親しかいなかったんだぞ?
「解せぬ」
「何がだ?」
「あー、うん。それより良いの? 逆玉の輿だったわけじゃん?」
「美也子、言葉遣い」
兄ちゃんは“じゃん”とか言うのが嫌いだ。面倒くさい。
「はいはい、逆玉の輿だったのに、良いんですか?」
「はいは一回と常々言っているだろう。それからあの女の話は金輪際するな」
「ちょっと! 兄ちゃんそれは無いんじゃない? 少なくともあんなお芝居した理由は私だって分かるよ?」
多分、茜さんはお金持ちのお嬢様だから、お金目的で近付く男に嫌な目にあったとかあったんじゃないかな。それで心配したお父様があんな芝居をさせていたと。
「金持ちだろうが何だろうが、人の心を試して謝罪もしない人間とは結婚どころか友人も無理だ」
能面のような無表情で、兄ちゃんは言った。うん、まぁ……気持ちは分かる。あの父親にしろ母親にしろ悪気は無いんだろう。茜さんもKYな発言は前からそこそこあったが、全く悪気が無いのは一目瞭然だった。金持ちに婿入り出来るなら、諸手を上げて感謝するのが当然的な態度のおっさんには唖然としたけど。まぁ、媚売って騙して逆玉狙うやつばっかだったら、そうなっても仕方ないだろうけど。いけすかないのは理解出来る。でもなー、茜さんは可哀想な気がする。
黙々とサンマを食べる兄ちゃんは、何故喰ってるものがフレンチではなくサンマなのかと突っ込みを入れたくなるくらい貴族顔だ。別に、麻呂ではない。堀の深い外人みたいな顔だ。平凡モンゴロイド顔な私とは血がつながっているとは思えないが、兄ちゃんは母ちゃんの父ちゃん、つまりじいちゃんにソックリだし、母ちゃんの弟ともソックリで、私は母ちゃんにそっくりだから間違いなく血は繋がっている。父ちゃんに似た所は私も兄ちゃんもあんまり無い。私の性格は父ちゃん似らしいが。
とにかく、兄ちゃんはヨーロッパのお城が似合いそうなイケメンだ。色も白い。サラッサラの黒髪。そして箸遣いからも分かるように、何故か漂う気品。
解せぬ。何でこいつが私の兄ちゃんなんだ。
顔が良いのもだが、頭も良い。日本最高峰の国立大学に現役でさくっと入った。高校も勿論公立で、バイトしまくってたのに。いつ勉強したんだと聞いたら、授業中と答えやがった。そんな兄ちゃんは、シスコンだ。まぁ、兄ちゃんていうより父ちゃんみたいな感じだしな。父親って娘にはデレデレなもんらしい。出来の悪い私は、心配で放っておけない妹ポジションを不本意ながら拝領しているわけだ。
「兄ちゃん、あのスーツをけなされたのが主原因なのは分かってるからね。あれが無かったら、少なくとも茜さんとは話合いくらいしたでしょ?」
お仕事用の紺系スーツ以外をほとんど持っていなかった兄が唯一持っているファッション重視の茶系のスーツ。裏地はエンジ色で、秋にぴったりだ。それは高校生になって始めたバイトのお金を貯め、去年の秋に私がプレゼントしたものだ。まぁ、大人からしたら安物だろうが、私にとっては自分の欲しい物も後回しにして買ったプレゼントだから思い入れもひとしおだ。だから、あんなに簡単に捨てろと言ったあのデブオヤジには殺意が湧いた。だが、兄ちゃんはもっとだろう。何せ、あのスーツをプレゼントした時、泣いたのだ。兄ちゃんの涙なんて、私は初めて見たよ。そして妹も赤面する笑顔でこう言った。
「死ぬまでこのスーツはお気に入りにする。体型維持も頑張らないとな」
兄ちゃんはじじいになってもこのスーツを着るつもりらしい。ちなみにちょうど仕事が忙しくて一番痩せていた時期だったので、細身のスーツだ。中年太りも兄の未来には無いらしい。体型変化も考えて、ワンサイズ上のにしとけば良かったと後悔した。
今、兄ちゃんは体力をつけるためにもと筋トレに励み、細マッチョだ。去年と細さは変わらないくらいだが、引き締まって貧弱さがなくなって益々イケメン度がアップしている。
つまり、兄ちゃんは超カッコいい。頭脳明晰だし、職業もこの不況のご時世でエリート国家公務員。モテモテである。しかし、シスコンなので彼女が出来ても私を優先しすぎて、だいたい数ヶ月で破局。
その中で2年以上続いた茜さんは奇跡。
最初は茜さんに押し切られてつき合った兄ちゃんだったけど、最近では兄ちゃんも茜さんが好きになってたはずだ。だって、プロポーズしたんだよ、あの兄ちゃんが。私が大学卒業するまでは結婚は考えられないと言っていた兄ちゃんが。私が順調に大学卒業まで行くとしても、そうしたら兄ちゃん三十路じゃないか。男だし、遅くはないだろう。でも兄ちゃんに苦労を掛けた妹としては、とっとと幸せになって欲しかったので正直鬱陶しかった。えー、だってそんなん重い。何か責任を感じるじゃないか。子供の為に離婚しない仮面夫婦並みに迷惑だ。とっとと離婚して幸せになってくれた方が子供も幸せっていうことだって多々あると思う。
というわけで、シスコンの兄ちゃんに怒りもせず、私も適度な距離でかわいがってくれた茜さんにはかなり感謝していた。茜さんが兄ちゃんに向ける好き好き大好き光線も……慣れれば微笑ましいと思えるようになった。兄も兄で、貧乏なのにいつも前向きで明るくて、妹の私を邪険にしない茜さんに対して徐々に好感度を上げて行った感じだった。だから勿体ないなーと。実家が金持ちでさえなければ、全く問題無かったんだし。
「あのさー、金持ちだと思って付き合ってみたら貧乏だったから別れるって酷い話だけど、逆だって酷い話だと思うよ?」
そう、兄ちゃんが女の人と付き合う時って、第一条件が実家が経済的に平均的以下だってことなわけ。金銭感覚が合わないのが苦痛なのは分かる。私も一度わりと金持ちの友達と出かけて痛感した。でも、それだけが理由じゃない。兄ちゃんは基本真面目だから付き合うからには結婚も一応見据えている。兄ちゃんが常々言っていることから予想すると、兄ちゃん的には生まれついての金持ちは生活レベルを落とせないと思い込んでいるふしがある。しかしこのご時世何が起こるか分からない。一応一番安定している公務員にはなったが、絶対安泰とは言い切れない。いきなり痴漢冤罪で女子高生に訴えられて失職しないとも限らないこのご時世、人生のどん底に落ちた時に一緒に頑張って家族を守ってくれる根性と、貧乏に負けない図太さが嫁に求める第一条件。どんだけ嫁に保険としての優秀さを求めてるんだよ、兄ちゃん。まぁ、そういう意味では理想的と思っていた茜さんが、実は金持ちの一番嫌いなタイプだったという暴露は嬉しい誤算ではなく、兄ちゃんにとっては結婚詐欺に等しい。
「……そうだな。だが、どっちにしろあの二人が義理とはいえ両親になるのは願い下げだ。しかも婿だと? 別に鈴木の名字にそれほど思い入れは無いが、嫁の実家に同居だと? 会社を継げだと? 冗談も休み休み言え。 公務員以上に安定した会社などあるものか。あのワンマン男の会社となれば益々怪しい。
それだけじゃい! あの様子では茜は一家を支える主婦になる心構えなど無いだろう。結婚しても親に甘やかされ、お嬢様気分が抜けないまま、そんな甘やかされダレきった妻に、婿だからという理由で下手に出なければならないのか? ふざけるな」
サンマを食べ終えて、箸を置いたところで、兄ちゃんは滔々と語り始めた。
まぁ、確かに言われてみればそうなるだろうな、っていう感じではあった。
しかし、よくそんなに具体的に想像出来るよなぁ。
「……兄ちゃん。何でそんなに具体的に。身近にそういう婿養子がいるの?」
「情報源は2ちゃんだ」
「ええと……何でそんな怪しげなものを」
「大げさに脚色されている可能性はあるが、他人に言えない内情だけにそれなりに参考にはなる」
兄ちゃんは意外と柔軟な思考も出来るらしい。
兄ちゃんみたいな人は、絶対2チャンとか見ないだろうと思ってた。
「あーあ。折角兄ちゃんに春が来たと思ってたのに」
「何を言っているんだ、美也子。お前がいればこの世は常に春だ」
「真顔で何言うのかな、このシスコン」
「シスコン上等だ。お前は私の生き甲斐で心配の種で幸せの種だ」
「だから、勘弁してよ兄ちゃん! 何で実の兄に自分をネタに惚気られなきゃなんないの!?」
「ふん、勿論嫌がらせだ」
「……」
茜さんは、兄ちゃんと別れて正解なのかもしれない。
盲目的なシスコンもうざいと思うが、腹黒なシスコンは本当にメンドクサイ。