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第91話:魔王、本気を出す

 ウイルス魔物の群れが押し返され始めていた。


 雷を帯びた槍が走るたび、黒い塊はぱん、と乾いた音を立てて破裂する。

 榊原の対策ツールが仮想空間へ食い込み、さらに世界中から流れ込む削除支援がそれに続く。


 侵略に使われた“繋がり”そのものが、今度は反撃のために機能し始めていた。


 それは確かに、色欲の魔王の想定外だった。


『ちょ、ちょっと待って……!』


 欲望の海の向こうで、アスモちゃんの笑顔に初めて本物の焦りが混じる。


『そんなの聞いてないんだけど……!』


 蒼真は槍を構えたまま、荒い息を整えた。


「こっちだって、色々と予想外ですよ」


 そう言い返しながらも、手応えはあった。

 削れている。確実に、押し返している。


 だがその一方で、仮想空間の奥底では、まだ黒い欲望の海が脈打ち続けていた。


 画面の隅に浮かぶ赤い数値が、止まることなく増えていく。


【欲望累積値 4京1173兆】


 裂け目の向こう、現実側で天音がモフ4号を抱え直しながら顔を曇らせた。


「魔王様、このまま支援を続けられますか……?」


 ベルフェはソファにもたれたまま、ちらりと天音の腕の中を見る。


「……天音。モフ4号にある魔力、どれくらい入れた?」


 唐突な問いに、天音は少しだけきょとんとしたあと、腕の中のモフ4号を見下ろした。


「えっと……教国の皆さんに入れてもらったので、たぶん、一万人分くらいはあります!」


 一瞬、場が静まった。


「……充分あるな」


 ベルフェが淡々と呟く。


『充分どころではないのじゃ!?』


 アラームが思いきり尾を叩いた。


『そんな魔力量を蓄積できるモフ4号がやばいのじゃ!というか、教国の連中なにをしておるのじゃ!?』


 ポメ様が低く鼻を鳴らす。


『この魔力の質……ダンジョンの者か?そりゃ多いわけだな』


 天音は少しだけ照れたように笑った。


「お祖父様も皆さんもすごく張り切って入れてくれたんです。“魔王様のお役に立てるならいくらでも!”って……」


 ベルフェは一瞬だけ目を細め、それから短く息を吐く。


「……無駄じゃなかったな」


 その言葉は誰に向けたものでもないようでいて、どこか静かな重みがあった。


 教国編で積み上げてきたものが、今ここで確かに形になっている。


 だが、その積み重ねすらも——次の瞬間、色欲の魔王によって塗り潰されかけた。


『へえ……』


 アスモちゃんが小さく笑う。


『今世の人間も、すごいのね〜』


 その声から、さっきまでの焦りがすっと消えていく。


『ちょっと見直したよ』


 蒼真が眉をひそめた。

 その笑い方は、追い詰められた者のものではない。

 むしろ、ようやく遊びが終わったと言わんばかりの笑みだった。


 アスモちゃんが、ゆっくりと両手を広げる。


『じゃあ、本気、出しちゃうよ♡』


 ふわり、と背後の黒い海が持ち上がった。

 その瞬間、仮想空間全体の温度が変わった。


 甘ったるかった空気が、さらに濃く、重くなる。

 コメント欄のように流れていた文字列が一斉に脈打ち、まるで生き物のようにうねり始めた。


【もっと見て】

【認めて】

【欲しい】

【私だけを】

【奪いたい】

【愛されたい】


 欲望の粒子が、海のように膨れ上がる。

 アスモちゃんはその中心で、うっとりと目を細めた。


『第一権能——廃頽楽土エデン・デカダンス


 言葉と同時に、見えない何かが仮想空間を駆け抜けた。


 蒼真は思わず槍を握り直す。


「っ……!」


 何かが、変わった。


 ウイルス魔物が増えたわけではない。

 空間が崩れたわけでもない。

 だが、流れ込んでくる“欲”の質そのものが変質していた。


 ただの願望ではない。

 理性で抑えていたはずの衝動に、肯定の色が差していく。


 やってはいけない。

 抑えなければいけない。

 踏み越えてはいけない。


 そんな理性の壁が、音もなく削られていく感覚。

 欲望がそのまま“正しさ”を帯び始めていた。


 かつてこの力は、高潔な王すら私欲へと堕とし、国庫を食い潰させ、国そのものを内側から腐らせた。


 王国を滅ぼしたのは軍勢ではない。

 欲を肯定された人間たち自身だったのだ。


『ほら』


 アスモちゃんが微笑む。


『“したい”って思っちゃったら、もう我慢しなくてよくなるの』


『欲しいなら欲しいって言えばいい』


『奪いたいなら奪えばいい』


『見られたいなら、見せればいい』


『ね?すっごく楽でしょ♡』


 赤い数値が、一気に跳ね上がった。

 

【欲望累積値 7京4420兆】

【欲望累積値 19京8812兆】

【欲望累積値 48京3000兆】


「そんな……!」


 天音が息を呑む。

 榊原もさすがに青ざめた顔でモニターを見つめる。


「削除が追いついてない……!それどころか、私自身の思考パターンまで影響を受けている……!」

『理性の壁を壊しているんだろう』


 ポメ様が低く言った。


『欲は元からあったのだ。それを止めていたものが、今、消されている』


 アラームの尾がぴたりと止まる。


『や、やばいのじゃ……“見られたい”だけだったはずのやつが、“独占したい”に変わっておる……!』


 蒼真は歯を食いしばった。

 仮想空間の圧が、明らかに増している。


 アスモちゃんのアバターは、画面の中にいるだけの存在ではなくなっていた。

 存在律そのものが一段階上がったような圧迫感。


 甘いのに息が詰まる。

 微笑んでいるだけなのに、圧倒的に“上”にいる何かとして空間へ君臨していた。


 アスモちゃんがゆっくりと首を傾ける。


『……あは♡』


 その一言だけで、蒼真の背筋を冷たいものが走る。


 今のは、さっきまでの軽い笑い方ではない。


 色欲の魔王そのものが、仮想空間の支配権を握り直した声音だった。


「くっ……!」


 蒼真は槍を振るう。

 だが、さっきまでと違う。


 黒い塊を貫いても、その背後で新しい欲望がすぐに膨らむ。削っても削っても、海そのものが濃くなっていく。


 それでも——


 いや、だからこそ蒼真は前へ出た。


 怯えている暇はない。

 止めなければ、世界が壊れる。


 蒼真は槍を構え直し、正面からアスモちゃんを睨む。


 その瞬間だった。


 ぴたり、と赤い数値の増加が、唐突に止まった。


「……え?」


 誰もが画面の右上を見る。


 さっきまで狂ったように跳ね上がっていた数字が、まるでそこが終着点だったかのように動かなくなった。


 そして、ゆっくりと表示が変わった。


【欲望累積値 那由多】


 沈黙。


 蒼真は目を見開く。


 榊原も、天音も、アラームも、誰もすぐには意味を理解できない。


 だがただ一人。


 アスモちゃんだけは、その表示を見た瞬間、明らかに表情を変えた。


 瞳だけが、ぞっとするほど冷たく揺れた。

 そして唇が、かすかに震える。


『……なんで』


 初めて零れた、アスモデウスという女の声だった。

 

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