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第8話:魔王、訓練場で寝る

 ——東京都防衛庁・第七訓練区、地下ダンジョンエリア。


 政府管理の“安全ダンジョン”

 初心者ハンターが訓練を行うための施設で、内部にはE級魔物が多数棲息している——はずだった。


「……このダンジョン、魔物が少ないんだな」


 ベルフェが、面倒くさそうに腕を組みながら歩いていた。

 その背後では、聖女・天音と監視ハンター数名が常に一定距離を取りつつ、緊張した面持ちでついて行く。


「そ、そんなことないはずなんですが……」

「E級魔物ならいくらでも出るって聞いてたぞ」

「はい。普通なら、もう五体以上に遭遇してるはずなんですが……」


 天音は足元のスキャナーを確認した。

 反応——ゼロ。

 一時間が経過しても、魔物どころか、羽音ひとつ聞こえない。


 ◇


「……静かすぎますね」

「もしかして、魔物が……魔王様を怖がって逃げてるとか?」


 ハンターの一人が冗談めかして言うと、全員が同時に無言でうなずいた。


「……ありそうですね」

「まぁ、怠惰でも魔王だからな」

「“存在圧”で生態系が崩壊するタイプ……」


「仕方ないな」


 ベルフェが小さくため息をついた。


「魔物なしで、力を確認でもするか」


 ◇


 そう言いながら、彼はダンジョンの奥に進んでいく。

 やがて開けた場所に出た。


 天井が高く、光苔が淡く輝く——

 まるで森の広場のような空間だった。


「ここなら安全ですね。魔物の反応もありません」

「よし。じゃあ——」


 と、天音が何かを指示しようとしたその時。

 ベルフェがぽつりと言った。


「……その前に休憩だ」

「え?」


 次の瞬間。

 彼は両手に持っていた例の“クッション二つ”を床に置き、そのまま地面にどさりと座り込んだ。


「ちょ、ちょっと!?なにして——」


 ベルフェが指を鳴らす。


「——まとめて……惰材変質マテリアル・シフト無為鍛成アーク・フォージ


 淡い光が走り、地面がゆっくりと盛り上がった。

 クッションが柔らかな素材に変形し、土と魔力が編まれるようにして——

 立派なベッドが出現した。


 ふかふかの枕、布団までついている。


「…………」


 ハンターたちは全員、呆然。

 天音がかすれた声で言った。


「ま、まさか……クッションを材料に、地形まで鍛え直したんですか!?」

「ああ。使わないよりはいいだろう」


「いやいや、力の無駄遣いにも程がありますから!!!」


 突っ込みが響く中、当の本人は気にも留めず、そのままベッドに横になり——


「……うん、悪くない。では少し休む」


 すやぁ……。


「寝たぁぁぁ!?」


 全員のツッコミが重なった。


 リーダー格のハンターが額を押さえ、深くため息をついた。


「……とりあえず、見張りましょう」

「は、はい……」


 仕方なく、全員が距離を取って待機する。

 天音も呆れながら、ベッドの周囲に結界を張った。


「……もう完全に“野営”じゃないですか」

「野営じゃなくて、宿泊施設です。彼にとって」


 冗談交じりに言いながらも、彼女はふと、その寝顔を見つめた。


 静かに眠る魔王。

 表情は安らかで、まるで“生者”ではなく、神話に描かれた像のようだった。


(……やっぱり、この人が“グレイソン”様なんだ)


 胸の奥がざわめく。

 千年前の伝説が、今この目の前に眠っている。

 それが信じられないほど自然に見えてしまうことが、逆に怖かった。


 ◇


 その時。

 ハンターの一人が、スキャナーを見て叫んだ。


「反応あり!魔力が……!魔王様の数値が急降下!活動停止と誤認した魔物が、急に近づいてきてる!」

「えっ!? さっきまでゼロだったのに!?」

「魔王様が眠ったことで……?」

「魔力の壁が消えて、縄張りが空いたと思われたのかも……!」


 スキャナーの光点が1……2……10……25……!


「やばい、囲まれてる!」

「E級とはいえ数が多すぎる!」


 森の影が蠢く。獣の咆哮、足音、唸り声。

 無数の魔物たちが、怠惰の魔王を取り囲んでいた。


「魔王様を起こしてください!早く!!」

「む、無理です!寝てる人起こすの苦手なんで!」

「この状況で遠慮すんな!!」


 魔物たちが一斉に跳びかかった、その瞬間。


「……うるせぇ。無為鍛成アーク・フォージ


 低く、掠れた寝言が響いた。


 次の瞬間——


 地面が脈打つように揺れた。

 床の石が歪み、土が隆起し、音もなく形成されていく。


 ——槍。無数の槍。

 土と魔力で構成された鋭い武器が、森一帯を覆い尽くした。


 光が走り、音もなく、魔物たちはその場で絶命した。


 沈黙。


 土の槍がすべて崩れ落ち、再び静寂が戻る。


 ベッドの上では、ベルフェが枕に顔を埋めたまま、わずかに寝返りを打った。


「……ふぁ……もうちょっと寝る」


 その寝言に、天音もハンターたちも、ただ乾いた笑いしか出なかった。


「……寝ながら殲滅って、どういう理屈なんですか」

「寝返りのたびに自然災害が起きそうで怖いんですが」

「むしろ起きてるときの方が平和なのでは……」


 誰かがぼそりと呟き、全員が無言で頷いた。


 ◇


「……魔王様、起きたら報告書どうしましょう」

「“寝言で暴発”ってそのまま書けるか?」

「……書けませんね」


 結局、天音たちは魔王が気持ちよさそうに眠り続けるのを見守るしかなかった。


 その穏やかな寝顔に、誰ももう“敵意”など抱けなかった。


「……世界で一番、平和な災害ですね」


 天音がそう呟くと、ハンターの一人が苦笑して答えた。


「同意します。でも次の被害報告欄のタイトルは……“魔王、就寝により森の魔物壊滅”……ですかね」


 ——世界は今日も、怠惰な平穏の中で息をしていた。

 

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