第86話:魔王、免許を更新する
しばらくは不定期更新になります。
ギルド本部の待合ロビーは、昼下がりらしいざわめきに包まれていた。
受付前ではハンターたちが更新手続きの列をつくり、壁際の大型モニターには各地のダンジョン情報が流れている。
その片隅、やけに上等なソファをひとり占領している男がいた。
怠惰の魔王ベルフェである。
しかも、ただ座っているのではない。
持参した自前のクッションを背に敷き、さらに膝の上にも別のクッションを抱えて、完全に“くつろぎ体勢”に入っていた。
「……面倒だな」
第一声がそれだった。
隣に座っていた天音が、困ったように苦笑する。
「でも来ないと失効しちゃいますから」
「失効したらどうなる」
「ハンター免許が無効になります」
「別にいい」
「ダンジョンに入れなくなりますよ」
「……」
ベルフェは片目だけ開けた。
天音は追撃するように、にこやかに言った。
「つまり、クッション用の素材も採れなくなります」
「……更新するべきだな」
即答だった。
それを聞いて、テーブルの上でとぐろを巻いていたアラームが勢いよく顔を上げる。
『折れるの早いのじゃ!?』
ベルフェはクッションに頬を埋めたまま、ぼそりと返した。
「クッションは生活基盤だ」
『生活基盤の定義がおかしいのじゃ……』
その横で、ポメ様がふんと鼻を鳴らす。
蒼真は別の窓口で更新手続きをしているらしく、ポメ様は退屈そうにテーブルの上で丸くなっていた。
『まあ、こやつにとっては世界の命運より重要そうだな』
「……そこまでは言ってない」
『大差なかろう』
天音は手にしていた受付票を見下ろした。
「えっと……更新の順番、あと14人ですね」
「待つのがだるい」
『だからクッション持ってきたんじゃろ』
しばらくの静寂。
ロビーのざわめきと、紙をめくる音、遠くで呼び出し番号を読み上げる機械音だけが流れる。
そんな中、アラームが突然、近くのハンターが見ていたスマホ画面を凝視した。
『……む』
「どうかしました?」
天音が首を傾げる。
『今のは何じゃ?角の生えた娘が、動く絵で喋っておったぞ』
「ああ、配信ですね」
『配信とは何じゃ?』
「え、えっと……インターネット上で、いろんな人に向けて映像を配信する文化でして、アバターっていう絵や姿を使って活動する人も多いんです」
『ネットということは世界中の者に見られるのか!?』
「まあ、そうですね」
『ほう……』
アラームの目が、じわじわと細くなる。
その顔を見たベルフェが、嫌な予感しかしないという顔で片目を開けた。
アラームはしっぽをぱたぱたと揺らし、やがて決意したように叫んだ。
『ベルフェ!妾、配信をやりたいのじゃ!』
「……やめとけ」
一秒で却下された。
『なぜじゃ!?アバターで世界中の者に見られるのじゃろう!?承認欲求が満たされそうなのじゃ!!』
元・嫉妬の魔王らしすぎる理由だった。
ベルフェは深々とため息をついた。
「アンチに罵倒されても平気なら止めない」
『あんち?』
聞き慣れない単語に、アラームが首を傾げる。
すると、その横で天音が少しだけ顔を曇らせた。
「……ううっ、嫌なこと思い出しちゃいました……」
『なんじゃ?』
「前に教国の公式サイトで、私へのコメントを見ちゃったことがあって、すごく心が痛かったです……」
しゅん、と肩を落とす天音。
ベルフェは視線だけそちらへ向けると、ぼそりと言った。
「だから言ったろ。ネットはやめとけ」
『聖女でも叩かれるのか!?』
アラームが目を丸くする。
ベルフェはクッションを抱え直し、淡々と続けた。
「光が強くなれば、その分影も濃くなる。……人間というのはそういうものだ」
その言葉に、天音は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせた。けれどすぐ、小さく息をついて笑う。
アラームはうーんと唸りながらも、まだ諦めきれていない様子で尻尾を振った。
『しかし、妾も見られたいのじゃ……あの例の、暑苦しい考古学者なら手伝ってくれぬかのう?』
天音が端末を確認する。
「あ、榊原さんなら今……玄聖さんのところにいるみたいです」
「……またか」
ベルフェが呆れた声を出した。
「仲が良すぎだろ、あいつら」
『呼ぶのじゃ!』
「やめろ」
『なぜじゃ!?』
「ろくなことにならない」
その瞬間だった。
ガチャッ!!
ロビーの自動ドアが勢いよく開いた。
「呼びました!?」
響き渡る大声。
全員がそちらを向く。
そこに立っていたのは、乱れた髪を無理やり整え、分厚い眼鏡をきらりと光らせた男——榊原慧だった。
「呼んでない」
ベルフェが即答する。
「おや、違いましたか!ですが実に好都合です!!先程玄聖さんから興味深いお話を伺いましてね!!我慢できずに来てしまいました!!」
いつも通り暑苦しい。
ポメ様が呆れたように言う。
『なんだこの暑苦しい男は?』
「で、今日は何しに来たんですか?」
天音が尋ねると、榊原はずいっと身を乗り出した。
「新たにモフ4号が誕生したと聞きました!!ぜひ拝見させていただきたい!!」
沈黙。
『モフ4号!?いつのまにできておったんじゃ!?』
ベルフェは面倒くさそうに頭を掻いた。
「……言ってないだけだ」
「えっ本当に増えてたんですか……?」
天音が困惑する。
「ぜひ撫でさせてください!」
「断る」
榊原が食い下がり、ベルフェが即座に切り捨てる。
そんないつものやり取りが、ロビーの空気を妙に緩ませていた。
だからこそ。
最初に異変に気づいたのは、ほんの小さな違和感だった。
壁の大型モニターが、一瞬だけ明滅したのだ。
ぱち。
照明が揺れたような、わずかなノイズ。
天音が眉をひそめる。
「あれ……?」
その次の瞬間。
受付端末。
待合モニター。
ハンターたちのスマホ。
榊原のノート端末。
ロビー中のあらゆる画面が一斉に暗転した。
ざわ……と空気が変わる。
「え?」
「通信障害か?」
「おい、俺の端末が——」
周囲がざわつく中、黒く染まったすべての画面に、ひとつの映像が浮かび上がった。
羊の角を生やした、妖艶な笑みの女性アバター。
その唇がゆっくりと開く。
『あ、あー。マイクチェック、マイクチェック』
軽い声。
だが、その声はギルドのロビーだけではない。
この瞬間、世界中のあらゆるデバイスから同時に響いていた。
『……よし。世界中のデバイス、全部繋がったかな?』
にこり、とアバターが笑う。
『は〜い、皆さんこんにちは♡今日からこの世界を乗っ取らせていただく、色欲の魔王アスモデウス……』
そこで、彼女はわざとらしく頬に手を当てた。
『——アスモちゃんです♡』
ロビーが静まり返った。
アラームがぽかんと口を開ける。
『……あれはなんなのじゃ?』
ベルフェは画面を見たまま、深くため息をついた。
「……炎上どころじゃないな」
世界規模の“配信”が、始まった。




