第83話:魔王、宴の夜に
魂たちは、静かに列車へと乗り込んでいった。
光の玉は順番を守り、押し合うことも、迷うこともない。それぞれが、自分の行き先を知っているかのようだった。
列車の窓に灯る淡い光が、ひとつ、またひとつと増えていく。
プアァァァ……。
長く、穏やかな汽笛が空に響いた。
『それでは』
清華の光が、列車の中からこちらを振り返る。
『縁があれば、またどこか平和な場所で会いましょう』
少しだけ、からかうような調子で。
『またですわ〜』
「ああ……またな」
ベルフェは、短く答えた。
——ゴゥッ。
魂搬送列車は、ゆっくりと速度を上げる。
光の線路をなぞるように、空へ、空へと昇っていき……やがて、夕焼けの向こうへ溶けるように消えていった。
ラッパの音も、いつの間にか止んでいる。
そこに残ったのは、静かな空と少しだけ、胸に残る余韻だった。
「……」
蒼真は、しばらく空を見上げたまま、ぽつりと呟く。
「正直……妹を迎えに来ただけだったのに、まさか伝説の英雄様に会えるとは思いませんでした」
苦笑混じりに、胸元を押さえる。
「なんというか……緊張がやばかったですよ」
『それは、そうじゃろ』
アラームが、うんうんと頷く。
『千年前の英雄じゃ。普通は伝承でしか聞けないからのぅ』
「ですよね……」
そのときだった。
『あのお姉さん、帰っちゃった?』
ふわり。
蒼真の肩口に寄り添っていた光の玉が、少し前へ出る。
「明希」
蒼真は、穏やかに声をかけた。
「おとなしくしてたね」
『うん』
明希の光が、ぴょこんと上下に揺れる。
『なんか……邪魔しちゃいけない雰囲気を感じたの』
「……空気、読めてたんだ」
『えへへ』
誇らしげだった。
天音が、思わず笑う。
「すごいですね……」
『えらいでしょ?』
どこか得意げな明希の声に、蒼真は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
——大丈夫だ。ちゃんと、ここにいる。
ベルフェは、クッションを抱え直し、踵を返す。
「……用事は済んだ。帰るぞ」
『あ。帰る前に、ひとつよろしいでしょうか』
その背中にアストラの声が、穏やかにかかった。
「……何だ」
『ドワーフの方々から、強い伝言を預かっております』
嫌な予感しかしない。
『“絶対に寄れ”とのことです』
「……」
ベルフェが、無言になる。
天音が、そっと補足する。
「さっき……“酒を呑む約束”って……」
「していない」
即答だった。
それでも、アストラは、にこやかに続ける。
『ですが、すでに席は用意されております』
「……いつの間に」
『地下都市に入った時点です』
完璧な段取りだった。
ポメ様が、ぴくっと耳を立てる。
『……酒』
「飲ませませんからね」
『だから犬ではない!!』
いつものやり取りに、場の空気が緩む。
蒼真は、ふっと笑って空を一度だけ見上げた。
「……じゃあ」
蒼真は、前を向く。
「行きましょうか。ドワーフさんのところ」
『ええ』
アストラが、静かに頷いた。
こうして一行は、英雄を見送ったその足で——
次なる“宴”へと向かうことになったのだった。
◇
……結果から言うと。
なぜか、酒飲み比べが始まっていた。
「……なぜこうなった」
ベルフェは無表情のまま、杯を口に運んでいる。
対面には、既に顔を真っ赤にしたドワーフたち。
机の上には、空になった酒樽がいくつも転がっていた。
『ほう……』
『まだ、いけるのか……?』
ドワーフの一人が、震える手で次の杯を差し出す。
『いい飲みっぷりじゃのう!!』
『のめのめ!!遠慮するな!!』
「……俺は付き合っているだけだからな」
そう言いながら、ベルフェは淡々と飲む。
顔色は少しも変わっておらず、呼吸も乱れていない。
まるで、水を飲んでいるかのようだった。
天音が、信じられないものを見る目で呟く。
「……あれ、何杯目ですか」
「……もう数十杯は超えてますね」
蒼真の声も、どこか引きつっている。
ドワーフは酒に強い。
それは、この地下都市に来てから十分すぎるほど理解した。
だが。
『……負けた……肝臓が、化け物じゃ……』
ついに、ドワーフの一人が机に突っ伏した。
『鍛治神様……恐るべし……』
「だから神ではない」
ベルフェは即座に否定するが、誰も聞いていない。
その横では。
『うまいぞ!!』
『ほれ、もう一杯じゃ!!』
アラームとポメ様が、完全に出来上がっていた。
「……飲ませすぎじゃないですか!?」
蒼真が止めに入ろうとする。
『なにを言う!』
『酒は文化じゃ!!』
『そうだぞ!!』
ポメ様は、完全に楽しそうだった。
『この香り……深み……!』
『これがドワーフ酒か……悪くないのう!!』
「……あなたたち、本当に魔王ですか」
「魔王も酔うんですね……」
天音は、若干引きながらも、場の空気に飲まれていた。周囲を見ると、エルフたちも混ざっている。
アストラを含め、数名が杯を手に、穏やかに談笑していた。その会話の流れで、ふと一人のエルフが思い出したように言った。
『そういえば……少し前に、妖精王様もいらっしゃっていましたね』
「えっ!?」
天音が、思わず声を上げる。
「妖精王様って……あの、妖精国の……!?」
エルフは、穏やかに頷いた。
『再生の理を持つ方ですから、回復も早く……二体とも、無事に現世へ戻られましたよ』
「……!」
天音の表情が、ぱっと明るくなる。
「……よかった!本当に……」
妖精王の話題に、蒼真が首を傾げた。
「妖精王?それって、数ヶ月前に同盟を結んだ妖精国フェガルドの……ですか?」
「そうです!元々は黄門だったんですけど、内部崩壊で赤門に変質して……」
天音が、すぐに補足する。
「そんなことがあったんですね……良かったです」
蒼真の言葉に、天音も小さく頷いた。
その様子を見ていたアラームが、ぽつりと呟く。
『……世界は、滅びるより先に、立て直されるものなのかもしれんのう』
ベルフェは、酒を一口含んだまま、低く言った。
「……運が良かっただけだ」
それでもあの戦いは、無駄ではなかった。
失われたと思っていたものは、確かに——戻ってきている。
ベルフェは横目で見ながら、また一杯、酒を飲む。
奥からドワーフが、新しい樽を持ってくる。
『次はこれじゃ!!』
「……まだあるのか」
『当然じゃ!!』
宴は、まだ終わりそうになかった。
英雄を見送り、魂を迎え、そして今は——ただ、笑って酒を呑む。
静かな思想と、重たい過去を抱えたままでも。
世界は、こうして一夜くらい、騒がしく回ってもいいだろう。




