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第76話:魔王、門の前で通過

 青門の前は、これまでの門とは明らかに雰囲気が違っていた。


 赤門や黄門のような緊張はない。

 だが、緩さもない。


 淡い青色の光を湛えた門の前には、半透明の結界が幾重にも張り巡らされ、その内側には白を基調とした簡素な詰所のような設備が設けられていた。


「……保安検査、ですか」


 天音が、用意された案内板を読みながら小さく呟く。


『はい。こちらの青門は“魂を扱う世界”に直結しているため、例外なく検査が行われます』


 応対しているのは、白い装束をまとった天使だった。頭部には兜のようなものを被っているが、その隙間から、白い羽が覗いている。


 不自然なのは、その羽が目の位置にまで差し込むように生えていることだった。

 顔の輪郭は人のものに近い。だが、視線が合ったという感覚がない。


 こちらを見ているはずなのに、どこを見られているのかが分からない。

 

 それでも、相手が人ではないと、本能が理解する。


『武器、呪具、魂に干渉する権能、思想的汚染の恐れがある存在——すべて申告対象です』

「……思想?」


 蒼真が、思わず聞き返す。


『はい。過度な憎悪、世界破壊願望、強い干渉意思などです』


 その説明を聞いた瞬間。


『……ひっ』


 アラームの喉から、情けない声が漏れた。


『の、のう……今の話、完全に魔王案件じゃろ……?』

『おい、待て!我も含まれておらんか今の!?』


 ポメ様もとい小さな狼が、蒼真の頭の上で震え始める。

 ふわふわの毛並みが、分かりやすく逆立っていた。


「え、そんなに怖いんですか?」


 蒼真が首を傾げる。

 天音が、小声で補足する。


「青門内部で重大な違反が確認された場合……即座に、警備天使が出動します」

「警備……?」

「はい。最低でも、二十体以上らしいです」


 さらりと告げられた数字に。


『……に、二十……』

『む、無理だ……!数が多すぎる……!』


 アラームは完全に怯え、ポメ様は蒼真の髪にしがみついた。


『べ、ベルフェ!!聞いたか!?天使が二十体じゃぞ!!』

『これは罠ではないのか!?我をここで処分するつもりでは!?』


「……仮にも元・憤怒の魔王なんだから、堂々としてくれませんか」


 蒼真の冷静なツッコミが、逆に容赦なかった。


「今さら天使くらいで震えるの、ちょっと情けない……」

『ぐっ……!』


 言い返せず、ポメ様はぷるぷると震える。

 そのやり取りを、少し離れた場所から見ていたベルフェは——


「……はぁ面倒だな」


 心底どうでもよさそうに、ため息をついた。

 

「魔王様……検査、必要です」

「分かってる」


 そう言いながら、結界の前に立ち、持ち物検査用の台に置いたのは……クッションの一つだけだった。


 天使も表情は見えないが、なんとなくキョトンしているように見える。

 

『……お持ち物は、以上ですか?』

「ああ」


 魔力反応を確認する結界が、ベルフェの周囲を一周する。だが、反応は驚くほど静かだった。


 攻撃性なし。干渉意思なし。

 魂への直接作用——なし。


『……問題ありません。通行を許可します』


 ベルフェは当然のようにそのまま青門へと足を向けた。


『は、はやっ……』

『な、なぜ引っかからぬ!?』


 ポメ様とアラームが、同時に呟く。


「あの人、今“何も持ってない”んですよ」


 蒼真が、納得したように言った。


「壊す理由も、奪う理由も、怒る理由もない。ただ——クッションを持って、休みに来ただけです」


 天音は、その背中を見つめながら小さく頷いた。


「……だからこそ、一番安全判定なんでしょうね」


 ちなみにアラームとポメ様は反応に光が一瞬だけ揺らいでいた。

 だが、『……微量。規定内です』と感情のない声とともに、通行許可が下りたのだった。


 ◇

 

 青門を抜けた瞬間、空気が変わった。

 重さが、ない。


 湿り気も、圧迫感もなく、ただ静かで、澄んだ気配が広がっている。


「……静かですね」


 天音が、思わず声を落とす。


 足元には柔らかな草。

 見上げれば、淡い光が木々の間を漂っていた。


 森は、深いのに閉塞感がない。

 まるで、息をすることを許されている場所だった。


 その森の入口。


 ひとりの人物が、最初からそこにいたかのように立っていた。


『……ようこそ、魂の森へ』


 長い耳と、淡い色の髪。中性的な顔立ちで、性別の境界を曖昧にしたような、整いすぎた容姿。


 ——エルフだ。


『私はアストラ。この森の案内を任されています』


 軽く頭を下げるその所作すら、洗練されている。


「か、顔が……顔が良すぎます……!」


 その瞬間、天音が思わず、両手で口元を押さえる。

 忘れていたが——天音は、面食いである。


『……大丈夫ですか?』


 アストラが、わずかに首を傾げる。


「い、いえ!そういう意味じゃなくて!えっと、その……エルフって、本当に……」


 言葉を探して、天音は視線を泳がせた。


『……落ち着くのじゃ』と天音の肩に乗っていたアラームが小声で突っ込む。


「す、すみません……!」


 天音は、慌てて姿勢を正したことにアストラは、くすりと微笑む。


『問題ありません、よく言われます』


 あまりにも慣れた対応だった。

 蒼真は、その様子を見て小さく苦笑する。


 ベルフェは、クッションを抱えたまま、アストラを一瞥し、懐かしむように呟く。


「……前に一度来た時と変わらないな」

 

 アストラは、穏やかに頷き、微笑む。


『1000年前の英雄様もきっとこの先にある景色にびっくりされると思いますよ』

 

 その言葉に、ベルフェは少しだけ目を細めた。


「……?」


 アストラは、森の奥へと視線を向ける。


『それでは魂の保管域へ、ご案内します』


 淡い光が、道を示すように揺れた。

 その先には長い時間を休む魂たちの世界が、静かに待っている。

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