第69話:魔王、憤怒の魔王と相対する
「……な……」
誰かが、言葉を失った声を漏らす。
蒼真の白い髪は根元から色を失い、赤い空の下で異様なほど際立っている。
そして、その背後にある雷光が、円を描くように揺らいでいた。
完全な形ではなかったが、それが“光輪”であることだけは、疑いようがなかった。
「……冗談、だろ……」
「瀬名、だよな……?」
驚きと戸惑い。
誰もがそれを隠せずにいた。
その瞬間だった。
魔狼たちの動きが止まっていた。鋭く獰猛だった赤黒い魔物たちが、まるで嵐の前の獣のようにガタガタと震え始めた。
「……おい、見ろ」
「魔物が……怯えてる……?」
群れの中の一体が、低く唸り声を上げた瞬間、耳を下がり地に伏した。それを合図にしたかのように、他の魔狼たちも次々と後退る。
そして——笑い声が、響いた。
『ククク……』
低く、粘つくような声。
『はははははは!!』
瀬名蒼真だった“それ”が、ゆっくりと立ち上がる。
両腕を広げ、赤い空を仰ぎ見る。
『これは僥倖……!なんたる幸運よ!』
口元が、歪んだ。それは、蒼真が決して見せたことのない魔王のような笑みだった。
『良い……実に良い……!これほどの“理の器”に、再び巡り逢えるとはなァ!』
雷光が、背後で脈打つ。
その光が強まるたび、空気が震え、地面が軋んだ。
ハンターたちは、悟ってしまった。
(……違う。これは、瀬名じゃない)
声も、仕草も、存在の“圧”も何もかもが別物だった。
「……退くぞ」
誰かが、かすれた声で言った。
「これは……俺たちの手に負える相手じゃない……」
そのとき、不意に思い出す。
赤門の外にいた存在。
戦わず、動かず、ただ待っていた——怠惰の魔王。
(……魔王様……!)
希望が、胸に灯るが……
『逃がすとでも、思ったか?』
冷たい声が、背筋を凍らせた。
『我に従え』
魔狼たちが、一斉に顔を上げる。
恐怖に染まっていた瞳が、狂気に塗り替えられていく。
『楽しい鏖殺の時間だ』
号令と同時に、魔狼たちが再び牙を剥いた。
「くそっ……!」
包囲が、完成されてしまい、逃げ道はなかった。
そのとき一人のハンターが、武器を下ろした。
震える足で、一歩前に出る。
「……あなたは一体、誰なんですか?」
声が掠れながらも、問いかける。
雷光の中で、“それ”は愉快そうに首を傾げた。
『我か?』
一拍。
『憤怒の魔王——サタンだ』
満足げな声音。
『ふふ……良いな。久方ぶりの現世だ。少しくらいは、付き合ってやろう』
雷が、唸りを上げる。
人の名を捨てた存在が、ゆっくりと笑っていた。
“憤怒の魔王サタン”
その名が、最後の希望を打ち砕いた。
黒門ですらない赤門の内部で、“魔王そのもの”と対峙しているという事実が、理解を拒むように胸を圧し潰してくる。
(……勝てない)
誰もが、同じ結論に辿り着いていた。
だが、先ほど声を上げたハンターだけは違った。
彼は一瞬、仲間たちを見回し――わずかに目配せする。
(……外だ。外にいる、あの魔王なら――)
時間を稼ぐしかない。
その意図を察した者たちが、微かに、しかし確かに頷いた。ハンターは、唾を飲み込み、一歩踏み出す。
「……ここは、黒門ではないはずです」
震えを押し殺し、問いを投げる。
「それなのに……なぜ、あなたが、ここに?」
雷光の中で、サタンは一瞬きょとんとした顔をした。そして、心底可笑しそうに笑った。
『ん?あぁ……』
軽い調子で、肩をすくめる。
『ここはな、理を“引っ張り出す”ために用意した舞台に過ぎん』
「……舞台?」
『そうだ。黒門でも、現世でもない。必要なのは“場所”ではなく、“条件”だっただけの話だ』
その言葉が意味するものを理解した瞬間、ハンターたちの背中に、冷たい汗が伝う。
「……まさか……」
誰かが、掠れた声を漏らした。
「……ダンジョンを作った……?」
サタンは、満足そうに頷いた。
『ほう。理解が早いな、人間』
雷の光輪が、ゆっくりと回転する。
『千年前、聖女に封じられただけではない』
声が、低く落ちる。
『肉体は砕かれ、理は引き裂かれ……現世に“出る”ための器すら、失った』
淡々と語られる言葉は、それだけで世界の理を踏みにじっていた。
『故に、この“身体”が必要だった』
サタンは、白くなった髪を持つ器——蒼真を一瞥する。
空気が、凍りつく。
『このダンジョンは、対象者の“記憶”を基に構築した』
「……記憶……?」
『恐怖。後悔。守れなかったという自責』
サタンの口元が、歪む。
『トラウマを刺激してやれば、いずれ理は沈む。——堕ちてくれると思っていた』
そこで、言葉を切った次の瞬間。
『だが……』
笑いが、漏れた。
『クク……』
堪えきれないように、肩が震える。
『ふふ……ククク……』
そして、ついに。
『はははははははははははは!!』
高笑いが、赤門の内部に反響する。
『ここまで上手くいくとはなァ!!いやはや……実に、実に愉快だ!!』
雷が荒れ狂い、魔狼たちが歓喜の遠吠えを上げる。
ハンターたちは、もはや息をするのも忘れていた。
(……笑っている)
(……この魔王は……)
——人の絶望を、心から楽しんでいる。
冷や汗が、止まらなかった。
雷鳴のような高笑いが、赤門の奥に響き渡る。
魔狼たちが吠え、雷が荒れ狂う。
絶望と狂喜が、完全にこの場を支配していた。
そのとき。
「……随分と、楽しそうだな?」
低く、掠れも怒気もない声……あまりにも静かで、あまりにも場違いな声音だった。
それなのに、サタンの笑いがぴたりと止まった。
赤門の奥で、空気が——一段、沈んだ。




