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第68話:魔王、雷の暴走

 赤門をくぐった瞬間から、瀬名蒼真の体調は明らかにおかしかった。


 頭の奥が、ずっと鈍く痛む。

 脈打つような痛みではない。じわじわと、思考そのものを削るような感覚だった。


(……深呼吸しろ)


 そう自分に言い聞かせながら、周囲を見渡す。


 赤い空。濁った雲が低く垂れ込め、まるで空そのものが溶け落ちているように見える。

 地面から伸びる木々は、炭化した肉のように歪み、枝先はどろりと垂れていた。


 ……あり得ない。頭では、そう理解している。


(……似すぎだ)


 あまりにも、似すぎているのだ。

 蒼真が初めて攻略した、あのダンジョン。多くを失い、二度と夢に見たくないと誓った——“あの場所”。


 禍々しい赤い空も、溶けるように崩れた木々も、不快な湿り気を帯びた空気も。


 記憶の中の風景と、一切の違いがなかった。


(こんな偶然……あるのか?)


 喉の奥が、ひくりと鳴る。


 あり得ないはずだ。

 ダンジョンは同じ構造を繰り返さない。

 世界が違えば、理も違う。


 ……それなのに。

 まるで、戻ってきてしまったかのようだった。


「……瀬名、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」


 すぐ隣を歩いていたハンターが、蒼真の顔を覗き込むその声が、やけに遠く聞こえた。


「……だい、じょう——」


 言い終える前だった。奥の霧が、不自然に揺れた。


「来るぞ!」


 誰かの叫びがした瞬間、霧の向こうから一斉に影が躍り出る。

 赤黒い毛並みを持つ魔狼が、群れとなって雪崩れ込んできた。


「いつの間に!?」

「警戒線、突破されたぞ!」

「迎撃!前に出るな、囲まれる!」


 ハンターたちは即座に散開し、武器を構える。

 判断は早い。連携も取れている。


 だが——


(……同じ、だ)


 蒼真の脳裏に、嫌な確信が走る。


 魔物の姿。群れでの動き。

 先頭の個体がわずかに速度を落とし、左右から回り込む癖。


 すべて、記憶の中と一致していた。


「くっ……!」


 蒼真は咄嗟にスキルで雷を落とす。

 いつも通りのはずだった。


 だが威力が鈍かったのか、魔狼は数匹程度しか倒れなかった。

 それどころか、その分即座に別の個体がその穴を埋めていく。


(……調子が出ない)


 集中しようとすればするほど、頭痛が強くなっていく。

 視界の端が、微かに歪む。


「瀬名、無理するな!」


 背後から、別のハンターの声が飛ぶ。


「……っ、分かってる!」


 だが、分かっていても止まれなかった。


 ここで後退すれば、仲間に“撤退判断”をさせることになる……胸の奥が、ざわつく。


 自分が弱いから?

 自分が揺らいでいるから?


 それで、誰かに判断を押し付けるのか?


「……撤退も視野に入れるべきだ!」


 戦いながら、誰かが叫んだ。


「数が多すぎる!瀬名の様子も——」


 その言葉が、蒼真の胸に突き刺さる。


(嫌だ)


 認めたくなかった。


 こんな判断をさせてしまうのが、自分の不調のせいだなんて。


(……嫌だ……!)


 だが、魔狼たちは待ってはくれない。


 数は減らない。それどころか奥からさらに影が増えていく。

 赤い空の下で、蒼真の視界は、じわじわと過去に侵食されていった。


 狼型魔物の咆哮が、耳に刺さる。

 それは、かつて聞いた悲鳴と酷く似ていた。


「——っ!」


 視界の端で、仲間の一人が足を取られる。

 魔狼が群れの動きから外れ、一直線に喉元へ跳んだ。


「危ない!」


 蒼真は反射的に前へ出て、スキルで雷を落とす。

 いつもなら、間に合う距離だった。


 だが頭の奥で、何かが弾けた。


 ズキン、ではない。

 “ぐらり”と、世界が傾いた。


(……な、んだこれは……)


 一瞬、足元の感覚が消える。

 焦点が合わず、視界が赤く滲む。


 雷は落ちた。

 だが、ほんの一瞬、遅かった。


 ——ザクッ。


 嫌な音がした。


「ぐ……っ!」


 魔狼の牙が、仲間の肩口を抉る。

 血が飛び散り、その光景が、鮮明に脳裏へ焼き付いた。


 その瞬間——重なった。


 赤い空。

 倒れる人影。

 伸ばした手が、届かなかった感覚。


(……また、だ)


 喉が、ひくりと震える。


(……また、守れなかった)


 頭の中で、別の声が重なる。


 ——お兄ちゃん


 ——大丈夫だよ


 ——助けて


 妹の声。

 必死に否定しようとする思考が、頭痛に押し潰される。


(違う……今は……)


 分かっている。

 分かっているはずなのに。


 身体が、動かない。


「瀬名!下がれ!!」


 誰かの叫びが聞こえた。

 だが、それも遠い。


 視界が、赤に染まる。

 空と地面の境界が溶け、すべてが同じ色になる。


 胸の奥で、何かが強く脈打った。


(こんなの……嫌だ……)


 守れなかった。

 間に合わなかった。

 また、自分のせいで。


 その思考が、最後だった。


 ぷつり、と。


 世界から音が消えた。

 視界が暗転する、その“隙間”に——確かに、何かが触れた。


 怒りでも、悲しみでもない。

 ただ、理としてそこにある“存在”。


 赤門の奥で、瀬名蒼真の意識は静かに途切れ、蒼真の身体から、力が抜けていく。


 その拍子に、前髪が揺れた。


 ——白い。


 いつの間にか、黒かったはずの髪は、根元から色を失っていた。


「……っ?」


 近くにいたハンターが、息を呑む。

 そして蒼真の背後、赤い空を背に雷光が、円環を描くように揺らぎ始める。


 光輪。


 まだ不完全で、形も曖昧なそれが、確かに“そこにある”と分かるほどの存在感を放っていた。


 赤門の奥で瀬名蒼真は、目を覚まさぬまま——

 静かに、人ならざるものへと近づいていた。

  

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