第58話:魔王、教国を駆ける
教国の回廊を、駆けていた。
白い石で組まれた床を、軽い足音が叩く。
ベルフェの腕の中で白く丸い影——モフ1号が、クッションの角をくい、と動かした。
進行方向を、示すように。
「……こっちか」
ベルフェは、だるそうに呟きながらも、迷いなく足を運ぶ。
息は乱れていない。
足取りも、重くない。
(なんで毎回、走る羽目になるんだよ……)
心の中でぼやきつつも、速度は落ちない。
その肩には、蛇身を細く巻きつけたアラーム。
頭上では、アドモンが羽音を立てずに飛んでいる。
そして——その少し後ろ。
白と金の鎧を身に纏い、兜を被り直したエルグランが、遅れることなくついてきていた。
『……のう』
アラームが、ちらりと後ろを振り返る。
『おじいちゃん、無理しておらぬかの?』
「お気遣いありがとうございます」
兜越しの声は、落ち着いていた。
「ですが、この程度で息が上がるようでは、教皇は務まりませんよ」
そのまま、歩調を乱さず走り続ける。
ベルフェは、ちらりと横目で確認した。
(……マジか)
妖精国の時もそうだったが、怠惰の魔王であるベルフェ自身、走る速度は異常に速い。
それは魔王の権能というより久禮という“人の身体”の性能だった。
それについてきている時点で、普通ではない。
(……おんぶしてもらえたら楽なんだがな)
一瞬だけ、そんな考えがよぎる。
だがさすがに、病み上がり(?)のうえ見た目が若かろうと“祖父”にそれを頼めるほど、ベルフェも堕落してはいなかった。
『それにしてもじゃ』
アラームが、ベルフェの肩で身を揺らす。
『ベルフェも、随分と怠惰の理に耐えられるようになったのう』
「……ああ」
ベルフェは短く答えた。
「正確にはな……ここに来てから、怠惰の理が“弱まった”気がする」
『……え?弱まった!?』
「この国っていうかこの世界は信じられないくらい怠惰がねえ」
吐き捨てるように言う。
「現世は放っといても怠惰が湧くが、ここは違う。信仰と規律ばっかで、怠惰が根付く余地がない」
『そんな国、存在してよいのかの……』
「知らねえ。だから走れてる」
『理由が雑すぎるのじゃ!』
そんな会話の最中、前方に白衣の集団が現れた。
神官たちが、回廊を塞ぐように立ちはだかる。
「止まりなさい!これ以上の侵入は——」
ベルフェが舌打ちしかけた、そのとき。
「……任せてください」
一人、前へ出る影。
兜を被ったままの、白と金の聖騎士。
神官たちは、その人物を“教皇”だとは気づいていない。
「な、何者だ……?」
答えはなかったが、次の瞬間。
——ボキッ。
乾いた音とともに、近くにあった石柱を、素手で引き抜いた。
「…………は????」
神官たちが、何が起きたのか理解する前に。
「ウォオオオオオオオオ!!!!!」
教皇らしからぬ雄叫びとともに、石柱が振り抜かれた。
——ドォンッ!!
大きな爆音と衝撃波。
神官たちは悲鳴あげながらまとめて吹き飛ばされ、壁と床を派手に転がっていった。
一瞬の沈黙。
ベルフェ達が、同時に固まった。
エルグランは、何事もなかったかのように柱を手放し、軽く埃を払った。
「失礼。少々、手荒になりました」
アラームが、思わず呟く。
『……あやつら、死んでおらぬか?』
エルグランは、あっさり言った。
「教国の聖職者は、大体ダンジョン出身なので……あれくらいでは、死にません」
『そういう問題かの!?』
「はい、問題ありません」
あまりにもあっさりした即答に、ベルフェは額を押さえた。
「……お前、本当に教皇か?」
「一応はそうですね」
『やっぱり天音ちゃんと似すぎなのじゃ!!』
『なるほど、天音さんの怪力スキルは遺伝でしたか』
アラームが腹を抱えて笑い、アドモンは妙に納得していた。
そしてベルフェは倒れ伏す神官たちを一瞥し、立ち止まった。
「……念のため、意力削っとくか。——怠縛鎖」
『え?』
その一言と同時に、空気が変わる。
ベルフェの背後から、青黒い鎖が音もなく伸びた。
地面を這い、壁を伝い、逃げ場を塞ぐように——鎖は、倒れていた神官たちに絡みついた。
触れた瞬間、意識が沈み、思考が鈍り、力が抜け落ちていく。
『……あ、あやつら、もう戦闘不能では……?』
ベルフェは、淡々と答える。
「起きて、余計なことされる方が面倒だろ」
『……』
アラームは、思わず視線を逸らした。
一方、アドモンは明らかに震えていた。
羽が、かすかに揺れている。
『……あれは受けたことがある身からすると、恐ろしいものです』
『……怠惰の権能、こわすぎるのじゃ……』
アドモンの小声にアラームが、ぽつりと呟く。
「今さらだろ」
ベルフェは振り返らない。
その背中を見ながら、エルグランは静かに思った。
(……神が、認めたお方だけはあります)
ただ優しいだけでは、救えないものが多い。
それを、最初から理解している。
切るべきところを切り、守るべきものを迷わず選び取る。
(だからこそ——)
怠惰の魔王でありながら、人の側に立つことを、やめなかった。
エルグランは、兜の奥で小さく息を吐いた。
(天音を託すには、これ以上ない方だ)
それは考えるより先に零れ落ちた、祖父としての想いだった。




