第5話:魔王、仮の住処を得る
夜、東京の高層マンション。
その最上階の一室——そこが、“怠惰の魔王”の仮住居に指定された。
政府と教国の共同管理下。
防音・防爆・防魔の三重結界付き。
言い換えれば、“特別監視付きの保護扱い”である。
とはいえ、室内は驚くほど整っていた。
広いリビング、最新型のキッチン。
窓からは夜景が一望でき、眼下に東京の光の海が広がっている。
◇
「……これが、“住処”か」
鎧を脱ぎ、静かに部屋を見渡すベルフェ。
壁に飾られたデジタル時計を見て、眉をわずかにひそめる。
「数字が動いてる……魔導具か?」
「それは時計です。時間を測る道具なんですよ」
答えたのは聖女・白崎天音。
彼女は今日一日で、常識の限界を何度も更新していた。
「あと、こちらがシャワー室です。体の汚れを落とすための……」
「水浴びか?」
「あ、お湯も出ます」
「おお……贅沢だな」
素直に感心する魔王。
そして淡々と、「じゃあ試してくる」と言い残し浴室へ向かった。
◇
数分後。
リビングのソファで天音はひとり、深く息をついた。
(まさか本当に……この街に“魔王様の住まい”ができるなんて……)
手元の端末には〈監視班配置完了〉〈外部通信遮断済み〉の報告。
すべて“安全”のための処置だが、実際は彼が本当に“味方”なのか判断ができないからでもあった。
天音は、神からこう告げられていた。
『七つの魔王が世に顕現する』
——だが、“敵として現れる”とは言われていない。
千年前の記録では、確かに魔王たちは人類と敵対したとある。
けれど……彼の態度を見る限り、それが今も当てはまるとは思えなかった。
(神託に“敵”とは一言も……。もしかして……?)
そんな思考の途中で、浴室の扉が開いた。
「……ふぅ。いい湯だった」
ベルフェが、黒いトレーナーとスウェット姿で現れた。
濡れた髪から滴る水、角と尻尾だけがそのまま残っている。
その瞬間、天音の思考が再び吹き飛ぶ。
(あ、あぁあああ……!スウェット上からでも分かるほど立派な筋肉……!顔整いすぎですううう!!)
気づけば天音は、手を合わせて祈りながら上体を反らせていた。
「……眼福ありがとうございます(お疲れ様です)」
「……なんでそんな姿勢なんだ?」
魔王ベルフェは、一歩だけ引いた。
涙を浮かべている聖女の奇行に、隣の監視ハンターたちは視線をそらす。
「……感極まってるのか?」
「いや多分、宗教的な……」
「祈りの一種です。たぶん」
「いやどう見てもお祈りじゃないけど……」
ベルフェは小さくため息をついた。
「……この世も人は相変わらず忙しいな」
◇
落ち着きを取り戻した天音が、リビングのテーブル越しに向き合ったのはその少し後。
「……それで、今後はどうするつもりなんですか?」
ベルフェは窓の外を眺めたまま答える。
「頼まれたから……他の魔王どもを“どうにかする”」
「——え?」
即答すぎて、思考が止まる。
「た、頼まれたって……誰に、ですか?」
「神だ」
空気が一瞬で凍った。
「……ッッ!?か、神様に……?」
天音の喉が鳴る。
その名を口にできる者など、この世にほとんどいない。
だが彼は、まるで日常の報告のように言った。
「あの時、約束した。“七つの罪”が再び目覚めたら、俺がどうにかすると」
その言葉の意味が、ゆっくりと天音の中で形になる。
——七つの魔王。
——神の託宣。
——そして千年前、戦いの終焉。
(まさか……遺体から蘇生されたのは……!)
天音の目が見開かれた。
脳裏に浮かぶひとりの名——伝承にしか存在しない“鍛治の大英雄”。
しかし、それを口にする前に……部屋の片隅で、通信端末がけたたましく鳴った。
◇
「報告です! ニュース速報が入りました!」
監視ハンターが慌ててモニターを点ける。
大型画面に、ニュース番組の緊急テロップが走る。
《速報:魔王、東京に潜伏。政府と教国が極秘協定——“共存実験”開始か!?》
「えっ……!? 共存って……そんな話、してませんよね!?」
「マスコミが勝手に……!」
天音が額を押さえる。
ベルフェは画面を見上げ、ぼんやりと首を傾げた。
「……ふむ。俺の顔が映ってるな」
「あ、それモザイクかかってますけど……」
「モザイク?」
「……整いすぎて、逆に不安を与えるレベルで……」
「そうなのか」
淡々と納得する魔王。
その横顔を見つめながら、天音の胸の奥にはひとつの確信が芽生え始めていた。
(この人は……敵じゃない。むしろ——神に最も近い場所にいた“誰か”だ)
その思考の中、ニュースキャスターの声が重なった。
『——市民の間では、“魔王との共存”を望む声も出始めています。一方、教国内では“神への反逆”との批判も——』
天音は静かにテレビを見つめた。
画面の中で、黒いモザイクの“魔王”が映っている。
けれど、その実像を知るのは、今この部屋の二人だけだった。




