第55話:魔王、聖騎士に案内される
教国の門が見えた瞬間、空気が変わった。
石造りの城壁は高く、白に近い灰色。
装飾は過剰ではないが、無駄もない。
年月を重ねたはずなのに、どこか清潔で、整いすぎている。
『……いかにも、って感じじゃな』
アラームが小さく呟いた。
門の向こうに広がるのは、いわゆる“聖国”の景色だった。
石畳の街路。規則正しく並ぶ建物。
遠くには、天を突くような尖塔……大聖堂の影が見える。
街の中央へ行くほど、建築は高く、白くなっていく。
祈りの場が、街の心臓部にあることを隠そうともしない造りだった。
光もまた、特徴的だった。陽光は柔らかく、影は淡い。どこか均一で、時間の流れすら整えられているように感じる。
「……静かすぎるな」
ベルフェが、ぼそりと漏らす。
市場はある。人の行き来もある。
子どもの声も、確かに聞こえる。
だが——ざわめきが、ない。
街全体が、祈りの延長線上にあるかのようだった。
信仰が日常に溶け込み、日常が信仰に縛られている。それが、この国の在り方なのだと、一目で分かる。
「教国アルメシア……か」
門の前に立つと、警備に立っていた門番が、視線をこちらに向ける。
一拍遅れて、足音が石畳に響いた。
そのまま、一直線に近づいてくる。
「来訪の目的を——」
「迎えだ」
先ほどと同じやりとりを繰り返していた。
「……どなたを?」
「聖女」
門番が言葉に詰まった、そのとき。
「失礼します」
門の内側から、ひとりの人物が現れた。
白と金を基調とした鎧の装束に剣を携えた、教国の聖騎士だった。
「こちらの方は、怠惰の魔王ベルフェ様です。大司教様が招待された客人でいらっしゃいます」
「……え?魔王……?」
門番が思わず声を漏らす。
(招待?された覚えはねえが……正体は知ってるってわけか)
ベルフェは内心でそう思いながらも、顔には出さない。
「そうだったか」
面倒くさそうに頷く。
嘘は言っていないし、否定もしていない。
——ただ、話を合わせただけ。
腕の中で、二体のぬいぐるみが微動する。
『……招待されたのは初耳なんじゃが』
『私も把握していません。怪しいですね』
「静かにしろ」
ベルフェが小声で返す。
すると、門番に説明をし終えた聖騎士がこちらにきて深く一礼した。
「ベルフェ様。お待たせしました。ここから私がご案内いたします」
拒む理由はなかったので、ベルフェは黙って歩き出す。
◇
しかし通されたのは、地上の大聖堂ではなかった。
階段。それも、下へ、下へと続くもの。
『……のう』
ぬいぐるみのまま、アラームが身じろぎする。
『やはり、これは罠なんじゃ……?』
『同感です。通常、客人を地下に通す理由はありません』
「だろうな」
ベルフェは淡々と返す。
前に歩いている聖騎士は振り返らない。
ただ静かに、歩き続けた。
やがて、人の気配が完全に消えた場所で足が止まる。
「……ここなら、大丈夫でしょう」
そう言って、聖騎士は兜を外した。
「誰にも見られることはありません。何も言わずについてきてくださって、ありがとうございます」
低く、落ち着いた声。
そして、男は静かに名乗った。
「私は……かつて教皇を務めていたエルグランと申します」
『な、ななな、何を言っとるのじゃあああ!?』
ぬいぐるみの振りしていることを忘れたのかアラームの悲鳴が、地下に響く。
元教皇エルグランは、申し訳なさそうに微笑む。
「驚かせてしまって、すみません。ですが……時間がありません」
その視線が、ベルフェの腕の中——ぬいぐるみに向けられた。
「……魔王様。どうか、力を貸していただけませんか」
静かな声で、視線を落とす。
「……その姿のままで構いませんよ」
淡々と、だが確信をもって言う。
「強欲の魔王、マモン様。そして、嫉妬の魔王——レヴィアタン様」
『———』
『……妾ら、まだ何も名乗っておらぬのじゃが?』
「存在律で分かります」
エルグランは即答した。
「この国で、その重さを誤魔化せる方は、そう多くありません」
「なるほどな」
ベルフェは肩をすくめる。
「だが……教皇にしては随分、若いな?」
目の前の男は、どう見ても三十代から四十代前半。
——祖父と呼ぶには、あまりにも若すぎる。
『もう我慢ならんのじゃ』
アラームが、ぬいぐるみの姿を解いた。
しゅるる、と音を立てて蛇身が伸び、エルグランの足元へ近づく。
『……くんくん』
「おい」
アラームは教皇の周囲を回り、何度か匂いを嗅ぐ。
『……たしかに』
ぴたりと止まった。
『天音ちゃんと、似たような匂いがするのじゃ』
獣の直感だった。
エルグランは、少しだけ目を細める。
「……やっぱり、魔王の方には誤魔化せませんか」
「説明しろ」
ベルフェが短く言う。
エルグランは、静かに頷いた。
「私は、純血のダンジョン出身です。この国が、まだ“国家”と呼ばれる前から、ここにいました」
『純血……』
アドモンが小さく反応する。
「故にあまり老いません。正確には……老いる概念が、希薄なのです」
だから、この姿のまま。
「教皇の位を継ぎ、神託も——今も、聞こえています」
そこで、わずかに声が沈んだ。
「……ただし」
「外に出られねえ、か」
ベルフェが先に言うとエルグランは苦笑した。
「その通りです。あの大聖堂を離れた瞬間、私は死んでしまうのです」
『……』
「だからこそ、上層部に好き放題されてきました」
静かな、皮肉。
「神に最も近い場所にいながら、人間の都合で何もできなかったのです」
「だから俺のところに来たってか?」
エルグランは真っ直ぐにベルフェを見た。
「はい、あなた方を待っていました」
地下の静寂の中で。
「……天音を、この国から守るために」
教皇は、深く頭を下げた。
神の国の地下で、魔王と、神に仕える者の会話が、静かに始まろうとしていた。




