第54話:魔王、聖女はまだ帰れない
静かな部屋だった。
鉄格子も、鎖もない。
柔らかな寝台と、整えられた机。
窓には薄いレースのカーテンが揺れている。
——それでも。天音は、この部屋から出ることを許されていなかった。
「……やっぱり、牢なんだよね」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。客室のように整えられたこの場所は、罪人を閉じ込めるためのものではない。
“聖女を保護する”ための部屋。
その言葉が、今は一番、重かった。
「……ちょっと、のつもりだったんだけどな」
ぽつりと呟いて、天音は膝を抱える。
教国に戻るのは、ほんの数日のつもりだった。
祖父の様子を見て、すぐ戻る——そう思っていた。
けれど気づけば、一週間。
通信は遮断され、外との連絡も許されないまま、時間だけが過ぎていた。
「……魔王様と、アラームちゃん……」
不意に、胸の奥がきゅっと縮む。
「心配、かけちゃってるよね……」
ベルフェの、あの面倒くさそうな顔。
アラームの、遠慮のない物言い。
——きっと、何も言わなくても分かってくれている。そう思いたいのに。
「……ごめんなさい」
誰に向けるでもなく、小さく謝る。
保護という名目で閉じ込められたこの部屋は、安全で、快適で——だからこそ、余計に不安が募った。
私は、本当に聖女なのかな。
その問いが、静かな部屋の中で、何度も反響していた。
◇
『……そういえばのう』
アラームがふと思い出したように言う。
『アドモンは沖縄からここまで、どうやって来たのじゃ?やっぱり飛んできたのか?』
『いえ』
アドモンは、何でもないことのように答えた。
『普通に、こっそりギルドの転移門を使いました』
『……は?無許可でか!?』
『はい』
即答だった。
『管理者権限で、履歴も消してありますので問題ありません』
「問題しかねえだろ」
ベルフェが即座に突っ込む。
『一応、バレたら怒られる案件ですね』
『一応ってレベルではないのじゃ!!』
「まぁ……普通に申請したら、時間かかるか」
ベルフェが面倒くさそうに言う。
『ええ。書類審査に始まり、権限確認、上位承認、緊急性の精査——』
『無理じゃな』
アラームが即座に切り捨てた。
『天音を待たせている状況でそれをやるのは、愚かの極みなのじゃ』
『ですので、最短経路を選択しました』
「それを“最短”って呼ぶの、神側だけだぞ」
その会話に運転していた警備ハンターが青ざめていった。
(ギルドの……転移門……?履歴……消した……?)
冷や汗が、大量に背中を伝った。
——知らなければよかった。
知らなければ、普通の警備任務で終われたのに。
「……あの……目的地、もうすぐです……」
震える声で、ハンターは言った。
「おう」
ベルフェは気のない返事をして、窓の外を見る。
ハンターの様子を気づいたアラームがさりげなく聞いて来た。
『お主、顔色が悪いのじゃ?』
「ききき、気のせいです」
ハンターは、これ以上何も聞かないと、心に固く誓った。
こうして着いた教国の入り口は、青門ダンジョンだった。
揺らぎの少ない、安定した門。
長期滞在を前提とした国家ダンジョンなら、これ以上ない選択だ。
「なるほどな」
ベルフェは門を一瞥し、面倒くさそうに呟いた。
「住めるダンジョンってのは、こうじゃねえとな」
その腕には、二体のぬいぐるみが抱えられている。
一つは、やけに出来のいい蛇のぬいぐるみ。もう一つは、白いカラスのぬいぐるみだった。
——もちろん中身は、元嫉妬の魔王と、元強欲の魔王である。
『……息が詰まるのじゃ』
ぬいぐるみの振りをしたまま、アラームが小声で抗議する。
「黙れ」
『理不尽なのじゃ!?』
『静粛に。まだ感知圏内です』
こちらもぬいぐるみのまま、アドモンが淡々と制止した。
「……ぬいぐるみが話しかけてくるの変な感じがするな」
ベルフェは気にした様子もなく、そのまま門へと進む。
警備用の詰所で、ハンターが慌てて立ち上がった。
「失礼。教国への来訪理由を——」
「迎えに来た」
「……どなたを?」
「聖女」
一瞬、空気が止まる。
ハンターは視線を落とし、ベルフェの腕に抱えられた“ぬいぐるみ”を見た。
「……その、荷物は?」
「私物」
『……』
ぬいぐるみは、完全に静止している。
(……気のせいか?)
ハンターは、首を傾げた。
今、一瞬だけ。蛇のぬいぐるみと、目が合ったような——
「……通行を許可します」
そう告げると、ハンターは慌てて門を操作した。
青い光が揺らぎ、ゆっくりと、教国への通路が開かれる。
数歩進んだところで。
『……ぷはっ』
ぬいぐるみが、限界を迎えた。
『もう無理じゃ!妾、ぬいぐるみ向いておらん!』
「だから黙れって言っただろ」
『理不尽なのは変わらんのじゃ!』
『……予定通りです。警備網は問題なく通過しました』
「そうか。じゃあ、もういい」
ベルフェは淡々とそう言って、腕を緩める。
——その瞬間。
青門の内側で、空気が、わずかに歪んだ。
教国アルメシアというダンジョンが、“何かが入ってきた”ことを、静かに認識した証だった。
神の国と呼ばれる場所に、怠惰の魔王は、堂々と足を踏み入れた。
……ぬいぐるみもどきを抱えたまま。




