第51話:魔王、強欲を手放す
赤い警告ウィンドウが、嵐のように広間を埋め尽くしていた。
重なり合う文字列が視界を圧迫し、空気そのものが軋んでいるようだった。
その中でマモンは、ゆっくりと立ち上がった。警告には目もくれず、ただ静かに指を鳴らす。
『——王冠の倉』
空間がひとつ、静かに裂けた。
そこから現れたのは、拳ほどの大きさの宝石。
澄んだ光を湛えながらも、見ているだけで胸の奥がざわつく、異様な存在感を放っている。
「……それさっき俺が投げたやつじゃねえか」
瑠波が、思わず指を差した。
マモンは淡々と頷く。
『ええ。あなたが“価値がありそうだ”と思って投げた宝石……これが——強欲の魔王の理核です』
「……価値ありそうだとは思ったけどよ」
瑠波は苦笑しながら頭を掻く。
「そんなやべえもんだとは思わねえだろ」
『だから“壊れたらやばいやつ”って言ったじゃないですか!』
思わず、少しだけ素が出た。
アラームが、じっと宝石を見つめたまま呟く。
『……妾という魔王を狩ろうとしたり、今度は強欲の理核を投げつけたり……お主、なかなか引きが強いのじゃ』
「引きって言うな!?」
そんなやり取りをよそに、マモンはその宝石をベルフェの前に差し出した。
『……放棄すると決めました。ですから、壊してください』
広間が、静まり返る。ベルフェは、しばらくその宝石を見つめてから、視線を横にずらした。
「……それ、俺じゃなくて」
ちら、と瑠波を見る。
「瑠波がやった方がいいんじゃねえか?」
瑠波が目を瞬かせる。
「……俺?」
「縁があるのは、お前だろ」
短く、それだけ言った。
瑠波は一瞬だけ黙り込み——そして、肩をすくめた。
「まあ、そうか」
腰に手を伸ばし、慣れた動作でハンター用の武器を取り出す。
「俺がやった方がいいなら、やるぜ」
その言葉に、マモンはわずかに目を細めた。
……いや、複数ある眼が、同時に細められた。
『後悔はありませんか?』
「ねえな」
即答だった。瑠波は一歩前に出て、宝石——理核を、しっかりと見据える。
そして振り下ろした。
——パキン。
乾いた音が、やけに小さく響いた。
宝石が光の粒子となって崩れ去ったと同時に、赤い警告ウィンドウが、ひとつ、またひとつと消えていく。
【警告解除】
【理核反応:消失】
【観測対象ロスト】
空気が、軽くなった。
『……これで干渉はしばらく大丈夫なはずです』
マモンが、静かに呟いた瞬間。
彼の身体から、力が抜け落ちる。
白い羽がばさりと広がり——その姿は、急速に縮んでいった。
「……?」
床に、ぽとりと落ちたのは——白いカラス。
ただし。その頭部には、複数の眼が、きょろきょろと瞬いていた。
『……』
「……えっ」
天音が、一歩近づく。
「め、目は多いですけど……」
少し考えてから、ぱっと笑顔になった。
「でも、可愛いです〜!」
『可愛いのじゃ!?』
「え、だって白いし、ちっちゃいし……」
アラームが目を丸くする中、白いカラス——元・強欲の魔王マモンは、小さく首を傾げた。
『……そう言われたのは、初めてですね』
黒門最奥。
かつて世界を飲み込む力を持っていた魔王は、普通のカラスと同じサイズの存在になっていた。
それでもその眼だけは、すべてを見渡すように、静かに瞬いていた。
——その瞬間。
ゴゴゴゴ……ッ
低く、不穏な振動が広間全体を揺らした。
「……え?」
足元の床に、細かな亀裂が走り、天井から、ぱらぱらと石片が落ちてきた。
白いカラス姿のマモンが、静かに呟く。
『強欲の理が消えれば、この黒門は維持できません。つまり——ダンジョン崩壊です』
「「「!?!?!?」」」
天音が叫ぶ。
「上まで、かなり距離ありましたよね!?」
『走っても間に合わんのじゃ!』
揺れは次第に激しくなり、通路の壁が次々と崩れ落ちていく。
来た道のいくつかは、すでに瓦礫に飲み込まれていた。
そのとき。
「……モフ3号、全力で頼む」
ベルフェが、低く呼びかけた。
膝の上で羽毛を震わせていたモフ3号が、ぴくりと反応し、身体がふわりと膨張する。
羽毛が広がり、重力場が歪み、気づけば——
「……えっ」
全員が、乗れるサイズまで、成長していた。
「こ、これって……魔法絨た——」
「しっ!」
瑠波が、即座に天音の口を塞ぐ。
『それ以上言うと怒られるやつじゃ』
アラームが小声で突っ込む。
重力操作型の式神……つまり。
「……飛んでいくぞ」
ベルフェの一言と同時に、モフ3号は、轟音とともに前方へと跳び出した。
ゴウッ——!!
崩れゆく回廊を、瓦礫を避けながら信じられない速度で突き進む。
「は、速っ……!?」
『魔力消費、洒落にならさそうじゃ……!』
現にベルフェは、明らかにだるそうな表情をしていた。顔色も青ざめていき、まぶたが重そうに落ちかけている。
「……あとで、寝る……」
『それ今言うことじゃないのじゃ!!』
その横で。
『い、いたたたたっ!?』
瑠波の腕の中で、白いカラスがじたばたした。
『もう少し、優しく掴んでいただけませんか!?』
「落ちたら困るだろ!?我慢しろ!」
『ぎゃー嘴を引っ張らないでください!』
そんなやり取りをしている間にも、背後では通路が完全に崩壊していく。
——そして前方が、突然途切れた。
「……え?」
目の前にあったはずの道が、崩落で消えている。
「道、分かんなくなってません!?」
『まずいのじゃ……!』
瓦礫と粉塵で、視界は最悪だった。
「あっ!!見てください!あれって——!」
しかし天音が、指を伸ばすした先は崩れかけた壁に、かろうじて残っていた×印。
「……俺が迷子防止でつけてた印じゃねえか!」
瑠波が、息を呑む。よく見れば、それは一つではなかった。
ぼつん、ぼつんと。
まるで道標のように、続いている。
『……奇跡じゃな』
ベルフェが、短く言った。
「……モフ3号。あの印に向かって飛べ」
モフ3号が、印の方向へと進路を変える。
崩壊する迷宮を縫うように、×印を辿り——
そして光。一気に、視界が開けた。
目に飛び込んできたのは。
三つの月が静かに浮かぶ、水没都市。
青白い光に照らされた、あの幻想的な景色だった。
「……出れました……!!」
『間に合ったのじゃ……!』
モフ3号は、ふわりと速度を落とし、都市の外縁へと着地する。
その背から、全員が降り立った瞬間。
背後で、黒門の気配が、完全に消えたのだった。




