第49話:魔王、強欲の過去を語る(2)
『……失礼ですが、その“あれ”とは、何でしょうか?』
その問いに、ルナトリアは、一瞬きょとんとした顔をした後。
次の瞬間、両腕を大きく天に掲げた。
「決まってんだろ!」
潮風を裂くような大声だった。
「占い師に言われたんだよ。俺の魂、やべえくらい強いらしくてな」
にやり、と歯を見せて笑う。
「“強欲の魔王の理核”を手に入れりゃ——魔王に成り替われる、ってな!」
『ま、魔王の……成り替わり……!?』
大天使の背に思わず緊張が走り、思考より先に言葉が飛び出る。
『そんなことあり得ません!魔王の理核は、理そのもの!人が扱えるものでは——』
「そんなんやってみなきゃ、分かんねえだろ?」
あっさりと言い切られたことで大天使は言葉を失う。
否定されると思っていたのだろう。
だがルナトリアは、少しも怯まず海を見渡しながら続けた。
「……この世界、どう思う?」
答えを待たずに、彼女は語る。
「悪い欲が強えやつが得をして、弱いやつは食い物にされる。生き残るために、誰かを踏みつけなきゃならねえ」
海賊王は肩をすくめた。
「俺もな。生きるために、海賊になった」
だが、と。
「守るって決めたもんは、守ってきた。仲間も、町も、約束もだ」
振り返ることなく言う。
「後悔はしてねえ」
それでも。
「……それでも、可能性があるなら、賭けてみたいんだよ」
理核を得て、魔王になり、この世界の“流れ”そのものを変える。
欲を否定するのではなく、正しく使わせるために。
「それに気づいたら、海賊王になってたんだよな」
ルナトリアは、からからと笑った。
「だから可能性を信じるぜ」
その笑顔は、あまりにもまっすぐで。
大天使は、しばらく言葉を失っていた。
——理解できないはずだった。
秩序を守る者として。
均衡を崩さぬ存在として。
だが。
(……興味深い)
気づけば、そんな感情が芽生えていた。
それからルナトリアは、大天使の“保護”をきっぱりと拒否した。
「理核を手に入れるまで、檻に入る気はねえ」
そう言い切られてしまえば、指令を完全に遂行することはできない。
結果、“監視”という名目で、大天使は彼女のそばに留まることになった。
◇
一週間半。それだけの時間だった。
だが、数千年。ほとんど変化のない天界で生きてきた大天使にとっては、あまりにも刺激的だった。
『……いいですか』
船上で、何度目か分からない忠告をする。
『理核を手に入れたら、その瞬間に保護しますからね』
「はいはい、分かった分かったって。お前、俺の保護者か?」
『断じて違います』
それを聞いて、周囲の海賊たちがどっと笑う。
「天使様、顔怖えぞ!」
「正座して説教は新しいな!」
そんな空気の中で、ルナトリアが、ふと思い出したように大天使を見る。
「そういやさ次に寄るの、俺が見つけた無人島を町にしたとこなんだけど、来てみるか?」
『……町、ですか?それは……気になりますね』
思わず聞き返す。
にっと笑って、ルナトリアは言った。
「お前、可愛いとこあるなぁ。よし、来い!」
そうして辿り着いたのが、水の都——ルナトリア。
彼女の名を冠したその都市は、想像以上に活気に満ちていた。
人々は笑い、働き、歌い、海と共に生きている。
大天使は、言葉を失った。
(……強欲の魔王が支配していた世界にこんな場所が……)
その瞬間、ようやく理解した。
なぜ神が、ここまでして保護を命じたのか。
なぜ“貴重な魂”と呼ばれたのか。
(この人は——失ってはいけない)
しかしそれに気づいた時には、すでに遅かったのだった。
それは、ある日突然だった。
自身の理核が狙われていると知った強欲の魔王が——先に、攻めてきたのだ。
海が荒れ、空が裂けるような気配と共に、異形が姿を現す。
だが、その姿はどこか歪んでいた。
悪魔の羽は裂け、角は欠け、全身が傷だらけ。
明らかに、何かと戦った直後だった。
その不機嫌そうな表情を見て、大天使は直感する。
(……別の世界で、何者かと戦ってきた……)
『スキルとは、我が理の一部だ』
強欲の魔王は、冷たく告げる。
『それを使うことを拒めば……貴様は、ただの人間でしかない』
その言葉と同時に、空気が歪んだ。
海賊王ルナトリアの身体から、力が抜け落ちていく。
いつもなら自然に流れていたスキルの感覚が、完全に遮断された。
「……っ」
だが、彼女は歯を食いしばり、剣を握り直した。
その様子を見て、強欲の魔王はふと、意味深に呟く。
『そういえば——』
一瞬、どこか愉快そうに。
『“我が主”が、貴様の魂を警戒していたな……死んでもらおう』
大天使の胸が、締めつけられる。
(やめろ……!)
だが、天使である自分は、この世界に直接干渉できない。
守るべき存在を前にして、ただ見ていることしかできなかった。
それでも。
「……スキルが使えねえからなんだ」
ルナトリアは、剣を構える。
「剣があるし、なにより仲間がいる。それで十分だろ!」
号令と共に、海賊たちが一斉に動いた。
銃声、剣戟、怒号。
魔王相手に、ただの人間が立ち向かう。
それは、無謀だった。
だが同時に——強欲の魔王は、確かに押されていた。
結果は、相打ちだった。
強欲の魔王は理核を奪われ、空間を歪めて逃走する。
完全な敗北ではない。
だが、人の身で、スキルなしで、魔王と渡り合った事実は異常だった。
戦いが終わったとき。
ルナトリアは、血に濡れ、倒れていた。
『……申し訳、ありません。私には……何もできなかったです』
大天使は膝をつき、初めて感情を込めた声で告げる。
理核は、確かに手に入れた。
だが、彼女の身体も、魂も、すでに限界だった。
そのとき。ルナトリアは、かすかに笑った。
「……そんな顔、するんだな」
ぼやけた視界で、大天使を見る。
「いい顔だぜ……むしろ、お前のほうが——」
途切れ途切れに、言葉を紡ぐ。
「……強欲の魔王に、向いてるんじゃねえか?」
そう言って。
宝石の形をした理核が、大天使の手に落ちた。




