第4話:魔王、文明に困惑する
黒門が閉じたのは、その直後だった。
青黒い光が静かに収束し、門の輪郭が砂のように崩れ落ちていく。
まるで、役目を終えたかのように。
「黒門、消失確認!」
「……攻略完了ってことか?誰が……?」
誰もが一斉に視線を向けた。
そこに立っていたのは、白いローブの聖女と古びた鎧の男。
ベルフェ——“怠惰の魔王”。
彼はゆっくりと外の光を見上げた。
朝の新宿。ビル群の灯が流れ、風が肌を撫でる。
「……これが、“地上”か」
その呟きに、隣の聖女・白崎天音が小さくうなずいた。
「はい、ここが今の世界です。……さ、行きますよ」
「どこへ?」
「現場です。報告が入りました」
「……面倒だな」
ベルフェが肩を落としたその瞬間、天音はぱん、と手を叩いた。
「じゃあ車で行きましょう!」
次の瞬間、彼女はためらいなくベルフェの手首を掴み、軽々と引っ張った。
「くるま?鉄の馬か……?」
「そうですそうです。今はこれで移動するんです!」
「……」
「ほら、乗って!」
気づけば、魔王は人間の車の後部座席にされるがまま押し込まれていた。
狭い車内、鎧の金具がガシャンと鳴ると、助手席のハンターが半泣きで叫ぶ。
「鎧ッ!シート傷つく!!」
「え、えっと……魔王様、少し体を斜めに……あ、シーベルトもお願いします」
ベルフェは狭い空間で肩をすくめ、窓の外を見ながらぼそりと呟く。
「……鉄の馬、思ったより窮屈だな」
運転席の天音はにこりと微笑んだ。
「安全第一ですから」
ギアが入り、エンジンが唸る。
魔王を乗せた車が、現代の光の海を走り出した。
その様子を見ていた隊員の一人がぽつり。
「……すげぇ、魔王が押し込まれた……」
「人類史上初の“送迎される魔王”じゃないか?」
◇
渋谷の街中――
轟音。地面が揺れ、空が裂ける。
『緑門、ブレイク!魔物が出ています!!』
現場は混乱していた。
ビルの壁が裂け、車が押し潰される。
光る亀裂の向こうから、青い魔物が這い出す。
鼠に似た姿。
だが、全長は二メートルを超え、筋肉質な体を光沢ある皮膜が覆っていた。
「くっ、ブルーラットの群れだ!!」
「数が多すぎる!封鎖班は——」
天音が息を呑む。
隣で立つ鎧の男が、わずかに目を細めた。
「……巨蒼鼠、か。懐かしいな」
(きょ……巨蒼鼠!?その呼び名はたしか古代記録で読んだけど……!)
彼は一歩、前に出た。
逃げ惑う人々の声が遠ざかる。
そして、面倒そうに呟いた。
「……面倒だな」
右手を軽く上げると、指先に淡い光が宿る。
「——第一権能……無為鍛成」
パチン。
指が鳴る音が、風に溶けた。
次の瞬間——世界が、形を変えた。
道路のコンクリートが波打つ。
街路樹の支柱、標識、車のドア。
あらゆる“金属”と“土”が一瞬にして赤く光り、鍛冶場のような熱を帯びて変化していく。
ビルの壁が螺旋状にねじれ、アスファルトの破片が刃へと形を変える。
生まれたのは、無数の武器。
だがそれは作り物ではない——街そのものが“鍛え直された”のだ。
次の瞬間、風が一閃。
変形した標識の槍が青い魔物を貫き、道路の破片が剣のように伸びて群れを薙いだ。
鉄骨が矢のように放たれ、魔物たちは悲鳴を上げる間もなく沈んでいく。
わずか十秒。
地鳴りが止む頃には、群れは跡形もなかった。
◇
「け、権能!? なんだそれは……!?」
「技名じゃない……スキルでもない……何だあの力!」
「道路が……武器に……?」
誰も言葉を失った。
ベルフェは特に満足げでもなく、ただ肩を回して一言。
「……あーだるかった」
聖女は呆然と、その横顔を見上げていた。
(……鍛冶神のような力……素材を変え、形を創る……)
魔物を倒したというより、街そのものが彼に従った。
創造のような理が、“怠惰”という名で行使されたのだ。
「あ、あの!も、もう大丈夫です!魔物いませんから!」
「そうか」
「そ、そうかって……」
彼は腕を組み、空を見上げた。
「……ふむ。こっちは静かになったな」
警戒していたハンターたちは、完全に腰が抜けていた。
「こ、これで静かに……?いや、静かすぎだろ……」
「制圧どころか……街の構造変わってるぞ……」
無線が震える。
『緑門、反応消失!魔物殲滅を確認!え、えー……殲滅です!!』
「え、殲滅!?誰が!?」
「見てただろ……全部あの人だ……」
再び沈黙。
風が通り抜け、変形した街の残骸が月光に光る。
まるで神が打った鍛鉄のように、滑らかで美しかった。
「……やっぱり、地上の素材は扱いやすいな」
その一言で、ハンターたちの脳が止まる。
「素材って……今の全部、素材扱いなの!?」
「さ、災害級の鍛造師だ……」
ベルフェはあくびをひとつ噛み殺し、
聖女の方を向いた。
「……終わったぞ。帰るか?」
「え……あ、はい。帰りましょうか」
天音の唇には小さな笑みが浮かんでいた。
(……本当に、“守った”んだ……)
彼が一歩進むたび、
瓦礫の中の鉄片が音もなく平らに戻っていく。
世界そのものが、“怠惰の魔王”の歩みに従って沈黙を取り戻していった。
——その裏で、すでにニュース速報が流れていた。
《速報:魔王、東京を制圧。被害地域壊滅の模様——》




