第47話:魔王、強欲の価値を拒む
黒門最奥の広間で、戦いは静かに続いていた。
マモンの腕の中で、モフ3号が小さく震えている。
逃げようとしているのは分かるが、見えない圧に押さえつけられ、羽毛の身体は空中で小刻みに揺れるだけだった。
「……式神って、自我あるんですね……」
天音が思わず呟く。
ベルフェは、無意識にモフ3号へ指示を飛ばそうとした。
「……戻れ」
だが、返事はない。
いつもなら即座に反応するはずの式神が、まるで“こちらの声が届いていない”かのように沈黙していた。
『まさか式神そのものを奪ったのじゃ?』
『奪ったというより——』
マモンが静かに口を開く。
『式神の“権限”を、一時的に預からせていただいています』
「……厄介なことしやがる」
ベルフェの声が低くなる。
その様子を眺めながら、マモンの羽眼が淡く光った。
『……しかし、この式神を作った者は……本当に人間ですか?』
「ああ……まぁ一応人間だった」
『……なるほど』
羽の奥で、わずかに眼が細められる。
『人でありながら、“理”を知りすぎている。……末恐ろしいですね』
マモンの視線が、モフ3号から一瞬だけ逸れた。
『さてこの眼が、あなたにまだ“価値”があると告げているのです』
「……俺が持ってきたのはモフ3号だけだぞ?」
『いいえ』
マモンは首を横に振る。
『第一権能——万価透視。見ているのは“所有物”ではありません』
その瞬間。
ベルフェの身体が、わずかに軋んだ。
『……その角と尾に異常な価値を示していますね』
天音が、はっとしたように顔を上げた。
「……そういえば魔王様が蘇生されたとき、三叉槍が尾に変形したって報告がありました」
「……そんな話、あったか?」
『それは“神器”です』
マモンは淡々と告げる。
『元は鎧と三叉槍のようですが、肉体の一部になっている……非常に、興味深いです』
一瞬、沈黙が落ちた。
天音は何か言いかけて、口を閉じる。
瑠波は理由もなく胸の奥がざわつき、視線を逸らした。
「……だからなんだ」
ベルフェの一言で、空気が断ち切られる。
『私が持っている価値あるものは……これだけではありません』
マモンが指を鳴らしたと同時にベルフェたちの上に空間が裂けた。
『第三権能——王冠の倉』
裂け目の向こうから、巨大な影が落下する。
「なっ……!?」
『な、何を出すつもりじゃ!?』
轟音とともに現れたのは、一隻の巨大な海賊船だった。
さらに。
周囲に、二つ、三つと裂け目が開く。
その向こうには、規模も形も異なる船影が、静かに“保管”されているのが見えた。
『すべて、かつて“欲されたもの”です。ご覧あれ!』
その光景を見た瞬間、瑠波の胸が強くざわついた。
「……あれ……?」
知らないはずなのに、知っている。
懐かしいような、胸の奥が締めつけられる感覚。
「……見たこと、ある気がする」
だが、その記憶は形にならなかった。
「……作り替えるか」
ベルフェは視線を上へ向け——乾いた指鳴らしが、一度した。
ぱちん。
ゴゥンッ……!と、空気が震え、頭上に落下してきた巨大な海賊船の構造が、内側から歪み始める。
軋む音はあるのに、破壊音ではない。
壊れるのではなく、“解体されていく”感覚だった。
船体を形作っていた木材は、装飾も塗装も意味を失い、金属の留め具はほどけ、価値として集積されていた“宝”は、光を失っていく。
やがて——それらはすべて、均一な厚みを持つ、無垢の木材へと変わった。
巨大な木の板。
加工しやすく、組みやすく、余計な癖のない素材。
まるで最初から、そう作られる予定だったかのように。
「……昔から修繕で解体は慣れてんだ」
ベルフェは欠伸交じりに言う。
「派手な形してると、あとが面倒だからな」
無為鍛成。
それは“壊す”力ではない。
目的に合わせて、世界を作り替える力だった。
『……躊躇がありませんね』
マモンの声に、初めて揺らぎが混じった。
そのとき。
「なあ、マモン!」
瑠波が、ポケットに手を突っ込んだまま叫ぶ。
「その“プロパティ”とやらで価値が見えるんだろ、これはどうだ!?」
そのままポケットから宙に派手にぶん投げた。
マモンがその舞った宝石を見た瞬間——
『あぁあああああああ!?それ壊れたらやばいやつ!!!!』
マモンの声が、明らかに裏返っていた。
反射的に王冠の倉が開き、宝石を回収する。
その一瞬にベルフェの権能が、マモンの足元へ伸びた。
「……隙ありだ、怠縛鎖」
空間に、青黒い鎖が顕現し、マモンに絡んだ。
実体を持たないはずの理が、あまりにも明確な“拘束”として可視化されている。
『しまった!』
しかし、縛られながらも強欲の眼が、怠縛鎖を捉える。
価値、構造、理の流れ——
(……これはまだ奪えますね)
そう、判断した。この鎖は“力”ではない。
だが“理”である以上、価値の流通が存在する。
ならば、簒奪可能。
マモンは、第二権能を発動させようとした。
『——』
だが。思考が、わずかに遅れた。
権能を立ち上げようとした瞬間、“行動する理由”が、すっと薄れる。
考えるのが、なにもかも億劫になる。
その刹那。
「……効きが悪いなら追加だ」
ベルフェの声が、淡々と落ちた。
青黒い鎖が、もう一本。
そして、さらにもう一本。
重ねるように、絡みついていった。
『——っ!?』
マモンの肩が、大きく跳ねた。
奪おうとした鎖が、奪う前に“増えた”。
理の上書き。
干渉拒否の、追撃。
ここまで支配されてしまったら、もう抗うことが不可能だった。
——否、抗おうとする“欲”そのものが、もう湧かない。
マモンの膝が、今度こそ深く沈んだ。
真面目すぎるほど、きちんとした正座という姿勢で。
そのまま顔の羽根が、ぱらぱらと床に落ちる。
『……なるほど……参りました』
強欲の魔王は、静かにそう告げた。




