第43話:魔王、深海の影を見る
翌朝。
旅館の窓から射し込む朝日は強烈で、カーテン越しでも容赦なく部屋を白く染めていた。
天音に揺すられながら、ベルフェは布団を頭までかぶったまま呻く。
「魔王様……起きてください……もう出発の時間ですよ……!」
「……ぅるせぇ……あと十時間……」
「だから長すぎますって! ほら、行きますよ!」
布団を力づくで引き剥がされ、ベルフェはしぶしぶ起き上がる。
完全に機能していない頭のまま、荷物も持たずに船着き場へ向かった。
港ではすでに比嘉瑠波が、大きく手を振って待っていた。
「おーい!こっちだ!」
朝日より眩しい笑顔だった。
潮風に揺れるポニーテールがよく似合う。
ベルフェは船に乗るや否や、即座に持参の寝袋を広げて潜り込んだ。
「お前……準備良すぎだろ……?」
瑠波は呆れながら笑って舵を握る。
天音は横で苦笑しつつ、昨日のことを思い出したように口を開いた。
「そういえば昨日、“ハンター免許持ってるの?”って聞かれてましたけど……」
「あ、そうそう。お前らがどの程度戦えるのか確認しようと思ってな」
天音は元気よく手を挙げる。
「私は持っています!」
『妾とベルフェは……まあ魔王じゃしの』
「魔王だしな……」
寝袋の中から適当な返事が返ってくる。
「…………は?今なんつった……?」
舵を握ったまま、瑠波の動きが止まった。
天音が「しまった」という顔をする。
『妾は元じゃが、嫉妬の魔王レヴィアタンじゃ。今はアラームと呼ばれておるがの』
「俺は怠惰の魔王。ベルフェでいい」
「……………………」
瑠波の視線がベルフェとアラームの間を行ったり来たりし——
「……お前ら……この前東京に出たってニュースの魔王って……まさか——お前らだったのか!?!?!」
やっと声が出たらしい。
「す、すみません言ってなくて……」
「いやいやいや!!俺は昨日……魔王を狩りかけたのか!?」
瑠波はほとんど海へ頭を突っ込みそうな勢いで崩れ落ちる。
「ほんっとにすまん!!悪気はなかった!!ただの水蛇だと思ったんだよ!!」
『うむ、旨いものをくれたし許すのじゃ』
しばらく騒いでいたが、瑠波は気持ちの切り替えが異様に早かった。
「まあ、魔王でもなんでも関係ねぇよな!もう飯も一緒に食ったし!」
豪快な開き直りである。そして爽やかすぎる。
「でだ。免許あるならちょうどよかった」
瑠波の表情が引き締まる。
「この先の島に “青門ダンジョン” がある」
「えっ!?青門!?」
天音とアラームが同時に声を上げた。
『あの気配はダンジョンだったか……しかし、青門にしては強い気がするのじゃ』
「そうか?実は俺、漁師兼ハンターでさ。何度か潜っ……いや入ってみたんだが——」
瑠波は言葉を切り、信じ難いことを口にする。
「魔物がいねぇんだよ、そこ」
「え……!?魔物がいないのにダンジョンって……まさか遺物型!?」
天音の声が震える。
遺物型——
魔物ではなく古代遺産・知識が中心に置かれる超希少系ダンジョン。
世界でもごく少数しか報告がない。
『しかしのう、今は青門でも……以前のように再び赤門化する可能性は……?』
「ちょ、ちょっとアラームちゃん!?怖いこと言わないでくださいよ!」
『す、すまんのじゃ』
瑠波は肩をすくめる。
「他のハンターは“遺物型”って呼んでるな。正式名は “水没都市ルナトリア”。ほんと綺麗なんだよ。行ってみるか?」
天音とアラームは目を輝かせた。
一方ベルフェは完全に寝袋の中で動かない。
『……完全に寝ておるの』
「魔王様……船の上でも堂々と寝るメンタル強すぎます……」
「はは!魔物が出ないと言ってもダンジョンはなにか起こるかわからねえ。だから一応戦えるか聞いてみたんだが大丈夫そうだな」
「なるほど、そうだったんですね!」
瑠波は笑いながらも熟練の手つきで船を操り、波を切る船はやがて、青く輝く“門”へ近づいていった。
それはまるで海の上に立つ巨大な鳥居。
朱色ではなく淡い青。
金属質の光沢を持ち、空と海の境界を溶かすような神秘的な輝き。
「これが……青門ダンジョン……」
天音が呟き、アラームは尾を震わせる。
『なんか、妙に冷たい気配がするのじゃ……』
船はその門をくぐった途端、空気が変わった。
胸の内側が圧されるような“水圧に似た感覚”。
水の中ではないのに、海底の静寂が鼓膜を押し込む。
「……なんですかこれ……変な感じがしますね……」
「だろ?初めてのときは俺も焦った」
門を抜けた瞬間、眼前に広がった景色に誰もが言葉を失った。
崩れ落ちた街並みが海底のように沈んでいる。
ただ青白い光が静まり返った世界を照らしていた。
三つの月が空に浮かび、淡く輝く。
「あ……綺麗……綺麗すぎます……」
『こんな場所、妾も見たことないのじゃ』
「地元にも綺麗な洞窟はあるけどな。ここは格別だ。幻想的だろ?」
瑠波の誇らしげな声が響く。
やがて船は、中央にそびえる古代神殿のような建造物の前で止まった。
円状に並べられた崩壊した柱。どこか“儀式の中心”を思わせる配置だ。
「考古学者も調べたらしいが、全然分からなかったらしいぜ」
「でも……なんか意味ありそうですよね、この配置……」
「じゃ、降りてみるか?」
船を停めようとしたその瞬間。
アラームがビクリと身体を震わせた。
『……ここ……嫌な予感しかしないのじゃ』
嫉妬の魔王としての直感は鋭い。
アラームの“嫌な予感”はほぼ外れない。
天音はワクワクと不安の間で落ち着かない様子だ。
「魔王様……?そろそろ起きてもらえませんか……?」
「……ん……だる……」
寝袋の中で眉をひそめていたベルフェが、ようやく上半身を起こし、欠伸をしながら周囲を見る。
『ベルフェ……妾、本当に嫌な感じしかせんのじゃ』
「……わかったよ。どうせ放っといても、あとで面倒くせぇことになるんだろ」
ベルフェは寝袋をゆっくり片付け、億劫そうにしながらも確実に遺跡の奥へと視線を向けた。
その眼差しの先で、遺跡の下では静かに、深海の影を蠢かせていた。




