第3話:魔王、おかわりを頼む
黒門内部、古代遺跡の中央ホール。
その場にいた全員が、空気を吸うのを忘れていた。
魔王が“お茶を飲んだ”——それだけでも前代未聞だったが、沈黙を破った次の一言がさらに人類の思考を止めた。
「……おかわり」
場が、完全に固まる。
湯気だけが静かに揺れた。
佐伯隊長が、聞き間違いだと言わんばかりに目を瞬かせる。
「……い、いま、なんと?」
「お、おかわりだと……?」
一瞬、誰も動けなかった。
そして若手ハンターが我に返り、慌てて声を上げた。
「はっ、はいっ!!ど、どうぞ!!」
手が震えながらも、湯呑みにお茶を注ぎ直す。
とぽ、とぽ、と落ちる音が妙に大きく響く。
まさかの“おかわり”に、周囲は完全に対応不能。
白崎天音も、結界を解くべきか張り続けるべきか判断できずにいた。
(な、なにこれ……魔王って、こんな感じなの……?)
天音の思考は混乱しながらも、目だけは魔王から離れない。
天音は神託の中で想像していた恐ろしい“魔王”の姿を思い出し、目の前で湯呑みを受け取る“穏やかすぎる魔王”とのギャップに頭が追いつかない。
彼は淡々と、口元へ湯飲みを運ぼうとして……止まった。
「……お面、被ったままだと飲みづらいな」
低い声でそう呟くと、手甲の指で面頬の留め金を外した。
カチリ、と小さな音。
鎧の一部が外れ、面頬が床に落ちた瞬間——
「……ッッ!!???」
突然、天音がその場に崩れ落ちた。
「な、なにがあった!?」
「魔王が何かしたのか!?」
「守れ!聖女を守れ!!」
即座にハンターたちが前に出る。
さらに防御結界が展開され、空気が震える。
だが——魔王は、ただ首を傾げていた。
「……?」
鎧の隙間から覗いたその顔は、鍛え上げられた輪郭と深い瞳の影を持つ精悍な青年の顔だった。
天音の視界がゆらゆらと揺れる。
(な、なんですか……!?!?なにこの顔……!反則級……!!!!)
思考が飛んだ。
崩れ落ちたまま、目だけが彼を追い続ける。
完璧な彫り、静かな表情、声まで低く優しい。
危険なほど、好みのど真ん中だった。
「……その人は大丈夫なのか?」
魔王は真剣な声で尋ねた。
その声は純粋に心配しているようだった。
「あなたが……なにかしたわけでは?」
「……なにもしてないぞ」
その後に小さく、「……多分」とぼそっと付け足したのを、隣の隊員が確かに聞いた。
「……いま、“多分”って言いましたよね!?」
「やっぱり何かしてる!!!」
「落ち着け!落ち着けぇ!!」
完全に混乱した現場で、
天音だけが頬を染めながらふらりと立ち上がった。
「あ、あのっ……!そ、その……ありがとうございます!」
「……何を?」
「い、いえ……その……顔が——違います、そういう意味じゃなくて!!」
「……?」
完全に会話が成立していなかった。
だがその場にいる全員が、“聖女が魔王に何か術をかけられた”と思っていた。
——勘違いはさらに加速する。
◇
天音は深呼吸し、無理やり冷静さを取り戻す。
敵意がないことはほぼ確信できていた。
けれど、このまま遺跡内部に放置しておくのはもっと危険。
「……あなたは、敵意がないように見えます。もし我々の味方であるというのなら——」
彼女は少し間を置き、言葉を選んだ。
「住居を用意します。……外に出ませんか?」
ハンターたちが一斉にざわつく。
「聖女様!?そ、それは——!」
「危険すぎます!!」
天音は静かに首を振る。
「神は“七つの魔王が顕現する”と告げました。ならば、話し合いを拒む理由はありません。彼が怠惰を冠する魔王なら——まず、対話です」
彼女の声には、揺るぎない信念があった。
そして、鎧の男は短く息を吐くと、あっさりと答えた。
「……分かった」
まるで、散歩に誘われた犬のような軽さだった。
周囲の空気が一瞬にして凍る。
「わ、分かったって……え、いいのか?」
「拒否しないのか……?」
誰もが混乱する中、男は淡々と立ち上がり、肩についた埃を払う。鎧がわずかにきしみ、角が光を反射する。
「……案内してくれ」
その言葉を最後に、ホールの天井が青白く光った。
地上への転送ゲートが展開され、歴史的瞬間——“魔王、政府の保護下へ”が幕を開けた。




