第38話:魔王、妖精と憂愁に沈む
妖精王の声が、最後の光として揺れていた。
『……我らを……どうか……正しい形へ導いてほしい』
夕焼けが、戦場を赤く染めている。
妖精王の巨体に絡みつく闇は、なおも蠢き、再び形を取り戻そうとしていた。
ベルフェは一歩だけ前に出る。
「……また、こういう役回りか」
風が止まった。
妖精王の額——上下に並ぶ、二つの魔核が淡く輝く。
天音が震える声で呟く。
「……あれが王様の……“核”……?」
その間にも王の身体にまとわりつく闇は、無情にも戻ってきている。
ズズズズ……
蛾の巨大な翅に黒が染み込み、仮面のような頭部に再び無機質な魔蝗の顎が伸び始めていた。
ベルフェはその光景を静かに見つめ、一歩だけ踏み込む。
風が止まり——夕焼けが世界を赤く照らす。
彼の顔は影に沈み、表情は見えなかった。
ただ——その目だけが、淡く光を宿していた。
「……世界のためではない」
それが誓いなのか、決意なのか。
誰にも分からない。
だが——世界は、確かに反応した。
ピロン。
【◼︎◼︎によって“怠惰の理”が抑制】
【存在律:静止 → 解放】
大気が揺れた。
ワスプルは、思わず息を呑んだ。
理解するより先に、身体が答えていた。
——これは、魔王ではない。
千年の時を越えてなお、戦場に立つ者の“在り方”。
ただそこに在るだけで、背筋が正される存在。
『……これが……英雄……』
ベルフェの影がゆっくりと構えを取る。
「——無為鍛成」
周囲の大地・空気・魔力……そのすべてが圧縮され、一本の“光の槌”が形成される。
音が消えた。
光の槌が形成される。
鉄でも、魔力でもない——“存在そのもの”を圧縮して叩きつける、英雄時代の技。
ベルフェが腕を振り下ろす。たった一撃。
——ガンッ!
一拍の沈黙。
次の瞬間、妖精王の核が砕けた。
光が弾け、闇が霧のように剥がれ落ちる。
巨大な翅は崩れ、肉体は砂のようにほどけていく。
崩れ落ちる直前、妖精王は、もう一度だけ空を見上げた。
それは、かつて妖精たちが翅を広げ、風に歌い、国が確かに生きていた空だった。
再び芽吹く日があると知りながら、それでも、この空を目に焼き付けるように——
『……ありがとう』
その言葉は、誰か一人に向けたものではない。
国へ、民へ、そして——終わらせてくれた者へ。
ピロン。
【Lv:184 → 290】
風が吹き、王の残滓をやさしく攫っていく。
まるで、最初からそこに何もなかったかのように。
ワスプルは膝をつき、地面に手をついたまま、嗚咽を止められなかった。
『うぅ……王ぉおおお……ッ!!』
グマンティも静かに目を伏せた。
『……王よ……我々は待ちます』
風が吹き、ベルフェは目を閉じる。
「……今はゆっくり寝るといい」
その声は、“怠惰の魔王”ではなく、“久禮 尊”そのものだった。
天音はそっと涙を拭った。
夕空の下で——ベルフェは歩き出す。
「……全部片付ける」
理由は、もう口にする必要がなかった。
影のように残った魔蝗たちへ、静かに向かっていく。
そして——三日後。
現世で死んだように沈黙していた妖精国の“赤門”ダンジョンに変化が起こった。
ザザザザッ……
門の上から色が変わり始め、赤がゆっくりと薄れ——青門へと変貌した。
その瞬間、「妖精国フェガルド」——攻略完了 の通知が世界へ走った。




