第36話:魔王、妖精樹と語らう
天音はゆっくりと魔核の前へ歩み出て、その黒い瘴気を真正面から見据えた。
「これは呪いによる穢れです。だったら、神聖スキルで“落とせる”かもしれません。……壊す前に、一度だけ試させてください」
『魔力は大丈夫なのか?』
アラームがおそるおそる問う。
「モフ2号さんのおかげでほとんど力も使ってませんし……今なら、最大出力いけます!」
振り返ると、モフ2号はクッションの端っこをむにむにさせながら、ほよ〜んとこちらを見ていた。
さっきまで妖精たちを回復させていた魔力ポーションの山——その供給源である。
ベルフェは短く頷いた。
「……そうか。なら、やってみてくれ」
「はいっ!」
天音が両手を組み、膝をついて魔核に向き合う。
深く息を吸う。
「——聖なる浄化!」
眩い光が、地下空間を満たした。
白金色の輝きが魔核を包み込み、黒い穢れがじゅうじゅうと音を立てて剥がれていく。
焼き焦げたような瘴気が剥離し、その下から——
「……色が、戻って……!」
ほんの少しだけ。
ひび割れの隙間から、柔らかな緑の光が滲み始めていた。
『おお、天音ちゃんやるのう!』
アラームがごくりと息を呑む。
しかし、数分ほど強力な神聖スキルを維持していたが……
「っ……は……はぁっ……!」
天音の肩が大きく震え、その場に崩れ落ちた。
額にびっしょりと汗をかき、天音は膝をついて荒い息を吐いていた。
その背中へ、アラームが慌てて駆け寄る。
「……魔力が、もう……」
『天音ちゃん!無茶したのじゃ!』
魔核を見ると、たしかに一部だけ黒い瘴気が剥がれ、そこから緑の光が脈動し始めていた。
だが——全体の汚染の、ほんの一部。
まだ大部分は、漆黒に塗りつぶされたままだ。
『妖精のように……クッションで魔力を補えんのか?』
アラームがダメ元で尋ねてみるが、 天音は首をふるふると振る。
「妖精さんたちは、“魔力そのもの”でできた生命体なんです。だから魔力の塊であるクッションで補給できましたけど……人間は、器が違います」
「つまり、今ので打ち止めか」
「……すみません。私の力じゃ、これが限界でした」
悔しさに唇を噛む天音。
その時だった。
【——……我が穢れを、癒してくれたのは……そなたか?】
声が、響いた。
空気を伝わる音ではない。
頭の奥、魂の底に直接届くような、深い声。
『い、今の……!?』
アラームが周囲を見回す。
しかし、誰もいない。
【ここだ】
再び声。
ベルフェは無言で、黒くくすんだ魔核を見上げた。
「……お前か。世界樹」
【ああ……我は“世界樹”。このフェガルドの生命を束ね、二つの国を支えていたものだ】
声は老成しているのに、どこか温かい。
しかし同時に、深い疲労が滲んでいた。
その様子を見つめていたグマンティの肩から、ふっと力が抜ける。
『……生きて……おられたのですね』
震える声でそう呟き、彼女は片膝をついた。
戦場で見せていた“狩る者”の顔ではない。ただの、国を想う騎士の表情だった。
『……よかった……本当に……』
魔核の表面に、かすかに緑が走る。
それは天音の神聖スキルで露わになった“本来の色”。
世界樹の魔核は、まだ完全ではない。それでも——確かに、“目を覚ました”のだった。
【あまりにも多く、魔蝗の呪いを喰らってしまってな。意識が、暗い泥の中に沈んでいた……そなたの光が、その泥を少しだけ退かしてくれたのだ、聖女よ】
「……届いたんですね、ちゃんと……」
天音の目に、じわりと涙が滲む。
【だが、長くは保たん。じきに、また呑まれる】
世界樹の声は静かだった。
【妖精王も同じだ。空腹と絶望ゆえに、魔蝗の呪いに呑まれてしまった。それでもなお、民を守ろうとしていたが……今や、あれは“王”であって王ではない】
グマンティが、拳を握り締める。
『そんな……そんなことは、分かってる……しかし……あなたまで失ったら……私たちは……どこへ帰ればいいのか……!』
【帰る場所は、ここにある】
緑の光が少しだけ強くなった。
【我々は“再生の理”に属する。いずれ、また芽吹く。たとえ幹が折れ、今あるこの核が砕けようとも……種は、必ず残る】
「……再生の、理……」
ベルフェがぽつりと繰り返す。
それは、妖精王に宿っていたものと同じ匂いだった。
【だが、このまま堕ちれば——我も、王も、“世界を喰う側”に回ってしまう】
声の奥に、かすかな悔恨が滲んだ。
【だから、頼みたい。残酷な願いだと分かっている。それでも——】
一拍の沈黙。
【我らを、倒してほしい】
静かな言葉だった。
グマンティは堪えきれず、膝をついた。
『我々が守ってきた世界樹が、王が……自らを殺せと、仰るのですか……!』
【案ずるな、グマンティ。お前たちの生の証は、ちゃんと根が覚えている】
世界樹は、慈しむように続ける。
【ここで終わらせれば、いずれまた“始まり”が来る。だが終わらせずに堕ちれば——この世界は、誰のものでもない“餌場”に堕ちるだけだ】
ベルフェは目を閉じ、ゆっくりと瞼を上げる。
「それが一番、“楽”な終わらせ方ってわけだな」
【……ああ。怠惰の魔王……いや、かつての英雄よ】
世界樹の声が、微かに笑った気がした。
【世界を救うというのは、実に骨が折れる。だが、次の世代に“楽な世界”を渡すためなら——お前なら、やってくれるのだろう?】
「買いかぶりすぎだ。……ただ、これ以上だるい未来はごめんだからな」
ベルフェは面倒そうにモフ2号を呼び、吐き出されたクッションを素材に、新たな武器を仕上げた。
「これから核を壊す。アラーム、天音のフォローは任せた」
『わ、分かっておるのじゃ!』
「天音」
「……はい」
「泣くのは終わってからにしろ。まだ、やることが残ってる」
「……はいっ!」
天音は涙を拭い、震える足で立ち上がった。
こうして——世界樹の願いを背負い、妖精王と世界樹を“救うための殺し”が、本当の意味で始まろうとしていた。




