第30話:魔王、妖精の国へいく
結局——妖精国へ行くことになった。
ベルフェは当然のように、こだわり抜いた羽毛クッションを二つ抱え上げる。
「……持ってく」
「やっぱり持っていくんですね……」
天音は、もう何も言わない。ただ諦めている。
そのクッションの片方が——ぴくっ、と動いたことにベルフェは気づかない。
下から見ていたアラームだけが、気づいていた。
『ん?……まぁ別に困らんし、いいか』
気づいても止めないあたりが、実に彼女らしい。
こうして、二度目の赤門ダンジョン——妖精国へ突入することになった。
◇
今回は状況確認のため、最小人数で向かうことになった。
ベルフェ、天音、アラーム、そして妖精騎士ワスプル。
ヴォンッ。
赤門を抜けた瞬間、世界が反転したような違和感が全員を包んだ。
森に出たはずなのに、空気が濁っている。
色も光も、どこか沈んで見える。風の流れさえ、歪んでいるようだった。
『……ぬ!?空間の“比率”が反転しおる……!こ、ここは現世とは魂のスケールが違う国じゃ!』
アラームが跳ねるように叫ぶ。
ベルフェが横を見ると——先ほどまで手のひらサイズだったワスプルが、人間と同じ大きさになっていた。
「えっ!!!!」
天音は素で叫んだ。
「ワスプルさん……小さくて兜かぶってたから気づかなかったですけど、すごく精悍な……男前です!!」
ベルフェも整った顔立ちだが、ワスプルはどこか爽やか系の男前だ。
アラームまでニヤニヤと頷いた。
『確かに顔が良いのじゃ……ふむふむ』
『えっ!?あ、ありがとうございます……!』
真面目に照れるワスプルに、アラームは心の中で真面目か!とツッコんだ。
『……それにしても、禍々しすぎて気配が全然読めんのじゃ』
ベルフェは軽く肩を回し、一言だけ告げる。
「警戒怠るなよ」
そのまま歩き出そうとしたところで——天音が、ふと思い出したように首を傾げた。
「……そういえば、ワスプルさん」
『はい?』
「どうして魔王様のこと、知ってたんですか?」
ワスプルは一瞬きょとんとしたあと、すぐに姿勢を正した。
『我々の世界でも、魔界の怠惰の魔王は“善側”であることは知られております』
「善側……?」
『争いや理不尽な殺戮を嫌がり、それでいて“必要な時だけは、必ず動く存在”だと』
クッションを抱えたまま、ベルフェがぼそっと呟く。
「……あいつ、そんなやつだったのか」
『はい。我々妖精国では、そのように……って、ずいぶん他人事のようにおっしゃるのですね』
ワスプルが思わず聞き返す。
ベルフェは特に気にした様子もなく、淡々と続けた。
「俺は確かに怠惰の魔王だが、体と魂も、そいつとは別人だ」
『え、えぇ……!?』
完全に理解が追いついていない顔で、ワスプルが固まる。
天音が慌ててフォローに入った。
「えっと……説明すると長くなるんですけど、魔王様は“怠惰の理”を引き受けただけで——」
『ちょ、ちょっと待ってください!それ、世界の前提がひっくり返る話では!?』
ワスプルが頭を押さえるのを見て、ベルフェは面倒そうに一言。
「考えるのは後にしろ。今は進むぞ」
ベルフェは玄聖から預かった結界札を取り出し、赤門にぺたりと貼り付けた。
魔蝗が現世へ流れ出ないためのものだ。
「あとは妖精王国まで向かうだけ……ですね!」
『あ、はい!案内は任せてください!』
ワスプルが胸を張った——その時。
ガサッ。
茂みの奥から、何かが覗いていた。
『……だ、誰かおるのかの?』
アラームが声をかけた瞬間——森が裂けた。
『アァアアアア!!!』
『アギャャギャャギャ!!!』
虫の羽音と、人間の笑い声、喉の奥で噛み砕くような音が混じった怪音。
そこから飛び出してきたのは——巨大な魔蝗だった。
虫の姿をしているが、口だけが完全に“人間の口”。
ギャハハと嘲笑う声を発しながら、こちらへ飛びかかってきた。
『こ、こいつら……魔蝗です!!』
ワスプルが剣を抜くより早くベルフェの権能が発動した。
「……無為鍛成」
大地がうねり、石槍が五本、音もなく飛び出した。
ドシュッドシュッ!
魔蝗の身体を貫き、そのまま絶命させる。
「ひえええええ……!!」
天音は本気で下がった。
『で、でかすぎるのじゃ!?気持ち悪っっ!!』
『しかし……魔王の力……すごい……!』
ワスプルは感嘆したように呟くが、ベルフェの表情は重かった。
「……こいつ、サイズが“違いすぎる”」
「違う……とは?」
天音が首を傾げるとベルフェは腕を組み、淡々と語り始めた。
「俺の知ってる魔蝗は……せいぜい黒くて普通より少し大きい程度の虫だ。頑丈ではあるが、それだけだ」
ワスプルが驚く。
『えっ!?普通はこれほど巨大では……?』
「そんなわけないだろ。魔蝗害の脅威は“数”であって、“強さ”じゃねぇ」
天音が息を呑む。
「じゃあ……これは……」
「あぁ、これは明らかになにかによって“作り替えられてる”」
『つ、つまり……黒幕の手が入っておるということじゃな……』
ベルフェは短く頷き、続けた。
「……俺の時代は運が良かったんだ。玄聖の星詠みが“門の位置”を前もって割り出して、数人がかりで巨大な結界を張っていた」
ワスプルも天音もアラームも息を呑む。
ベルフェは振り返らずに言った。
「結界の中に押し込んだ魔蝗を炎魔法で焼き尽くした。……だから飢餓も起きなかったし、被害が出る前に処理できた」
天音が震えた声で呟く。
「……それで今回は門にも結界を……あの経験があったからなんですね……!」
ベルフェは肩をすくめる。
「まぁな。面倒なことが増える前に塞いだだけだ」
アラームはにやりと笑う。
『ふん……それでも十分優しいのじゃ』
ベルフェは黙っていたが、否定はしなかった。
ワスプルは決意を固めるように剣を握り直す。
『……妖精王国までは、そう遠くありません!ですが……国境付近は……もう……』
ベルフェは息をひとつ吐き、言う。
「急ぐぞ。……状況は想像以上に悪い」
森の奥から、羽音と笑い声が混じった“怪音”が響いてきたのだった。




