第2話: 魔王、目覚める
——東京・対異界特務庁、臨時管制本部。
黒門発生から半日が経過していた。
夜になっても門は消えず、青黒く脈打つ光だけが静かに揺れている。
第一探索隊は全員生還したものの、彼らの報告はあまりにも常識外れだった。
「棺の中に、古代の鎧……?」
「はい。内部の遺体が——起き上がりました。角と尾が……生えているように見えました」
「敵性行動は?」
「……言葉を話しました。“寝過ぎたな”と」
司令室に沈黙が走る。
映像記録はノイズでほぼ見えない。
だが感知センサーは「生体反応」を示し、その魔力量は人類規格を遥かに超えていた。
――それでも、出てくる気配はない。
攻撃も侵攻もなく、門はただ静かに“在るだけ”。
「……あの中に、留まってる?」
「理由はわかりません。行動も反応も、まったくありません」
誰も答えを持たないまま、時間だけが静かに過ぎていった。
◇
翌朝。
新宿東口の黒門前に、一人の女が降り立った。
純白のローブ、金糸の刺繍。
銀髪は柔らかく光を帯び、まるで祝福そのもの。
——教国アルメシアの聖女、白崎天音。
すでに報道ヘリはその姿を捉えている。
だが天音は視線を意にも介さず、ただ真っ直ぐに黒門を見上げた。
——神託が降りたのは三日前。
『七つの罪を冠する魔王が、再び世に顕現する』
その一節だけが天から告げられた。
無視できる者ではない。
天音はすぐに東京へ向かった。
目の前の黒門から漂う魔力。
いま漂う魔力は、確かに“怠惰”の揺らぎを帯びていた。
「聖女様……第一探索隊の佐伯です」
「ご苦労様です。状況を教えてください」
佐伯は報告書を握りしめたまま、苦く息を吐く。
「……信じ難いのですが、彼は封印体ではありませんでした。起き上がり、言葉を話し……今は棺の中で眠っているように見えるのです」
「眠っている……?」
「魔力反応が完全に安定しています。まるで深い眠りに入ったようで」
◇
再調査が許可されたのは、その日の昼過ぎだった。
天音は特務庁の精鋭とともに黒門の内部へ踏み込む。
青黒い光を抜けると、昨日と同じ、巨大な鍛冶場跡のような古代遺跡が存在していた。
空気は澄み、何も動いていない。
ただ中央に、変わらず黒鉄の棺があった。
そして——
「……本当に、眠っているのね」
鎧の男は棺の中で腕を組み、静かに横たわっている。
呼吸は穏やかだが、角と尾はそのまま。
魔力値は常識の外。
聖女も、ハンターたちも息を呑む。
「昨日の化け物みたいな威圧がない……?」
「いや、力が消えたわけじゃない。なんで攻撃してこないんだ……」
天音はゆっくりと前へ進む。
杖を握りしめた手に、わずかな緊張。
「……意識はありますか?」
返事はない。
さらに一歩近づいた、その瞬間——
鎧が、かすかに震えた。
空気が揺らぎ、青黒い光が鎧の隙間から淡く漏れる。
面頬の奥で、小さな灯りがともった。
紋章ではない――ただ“目覚め”の証だけが息を吹き返した。
そして。
「……寝過ぎたと思っていたが……やっと迎えが来たか」
鎧の男は、めんどくさそうに上体を起こした。
肩の金属が鈍く鳴り、深く息を吐く。
圧力ではない。
“存在しているだけ”で空気を揺らす、途方もない重み。
最前列のハンターが、思わず膝をついた。
「反応!起床確認、意識あり!」
「い、威圧じゃない……存在感が……重すぎる……!」
天音は静かに前へ出た。
神託を受けた者として、天音の胸には恐れより使命が勝っていた。
「あなたは……何者なのですか」
鎧の男は、気だるげに手をひらりと振る。
「……魔王ベルフェだ。しばらく世話になる」
短い一言。
だが、それだけで十分だった。
——正体はやはり“魔王”。
その何気ない仕草だけで、展開されていた結界が低くたわむ。
攻撃の意図などまったく感じない。
ただ、漏れ出す力があまりに強すぎるだけ。
静寂が落ちる。
空気が張りつめ、誰もが息を呑んだ。
——そのとき。
震える手で、若手ハンターが何故か湯呑みを差し出した。
待機テントから持ってきた、淹れたばかりの温かいお茶だ。
「あ、あの……お茶……どうですか」
魔王と名乗ったベルフェは一瞬、ぽかんとした後、素直に受け取って口をつけた。
温度。渋み。ほんのりとした甘さ。
————“人の暮らし”の味。
「……うまい」
その一言で、防衛ライン全体に判断が走る。
——今は戦闘ではない。
——対話だ。
——暴れさせるな。刺激するな。
全員が息を止める中、
“魔王”の次の言葉を待っていた。




