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第25話:魔王、骸の盟約を結ぶ

 ダンジョンに漂っていた瘴気が、嘘のように消えていた。あれほど濃く充満していた霧も今はなく、石畳の上を流れるのは、柔らかな風だけ。


 天音は手を胸に当て、深く息をついた。

 神聖スキルの光が消えた後も、どこか温かな残滓がこの空間に満ちていた。


 ベルフェは鎖を解き、ゆっくりと歩み寄る。


 床に寝転がっていたリッチが、蒼い光をまといながらゆらりと起き上がる。その動きは先ほどまでの不気味さではなく、人の仕草に近かった。


「……どうやら、正気に戻ったみたいだな」


 リッチ——いや、蘆野玄聖は、蒼炎の瞳を細めて一礼した。

 

『いやはや、千年ぶりに再びお目にかかるとは。やはり、貴方はこの地に還る運命にあったのですな』

「おいおい、ロマンチックに言うなよ。寝起きの割に口が回るな」

『フハハ!お変わりないようで嬉しい限りです』


 先程まで暴れていた魔物とは思えないほど、その口調には知性と穏やかさが戻っていた。

 天音はおそるおそる一歩前に出て、静かに問う。


「……あなたは、なぜ魔物に……?」


 玄聖は少しの間、沈黙した後、どこか懐かしむように青炎の瞳で微笑んだ。


『……星が、教えてくれたのです』

「……え?」


『千年先、尊は別の名を戴き、人の理を護ると。ならば、我が魂を削ってでも見届けねばと思いましてね。死してなお、この地に魂を縛り、骸と成ったのです』


 ベルフェは目を伏せ、少しだけ息を吐いた。

 

「……馬鹿だなお前は。そんなもんのために魔物になるとか」

『ハハッ貴方はいつも“無理だ”と言われる方をやっていたでしょう?』


 ベルフェは小さく笑い、天音はその横顔を見て、涙をこらえきれなかった。


「あなたたちは……本当に、英雄だったんですね」


 玄聖はふと、口の端を上げた。

 

『……にしても本当に驚かされたものです。まさか数万人もの悪霊の集合体を、怠惰の理で鎮め、成仏させるとは』

「「「……ん???」」」


 まさかの一言に、場が固まった。

 天音の頬が引きつり、アラームは鰓をピンと立てる。


『待て、つまりそなたは数万人も悪霊を背負っておったというのじゃ!?』

「えっ!?じゃあ、たくさんあった“あの目”も全部……!?」

「うぉおおおこれは……観測史に残る大事件ですぞ!!(大興奮)」


 ——そりゃ聖女の神聖スキルが効かないように見えたわけだ。

 

 ベルフェは内心でため息をついた。

 天音の光も数十体には効いていたのだろうが、何万という魂の海では、塵ほどの差でしかなかった。


『ええ、彼らはかつてこの地で戦い、散った者たち。理を失いながらも、なお戦うことをやめられぬ魂でした。私は彼らを導き、代わりにその苦を受けていたのです』


 彼の声は静かで、穏やかだった。

 

『だが、あなたの鎖が、彼らを“怠惰”にした。戦いを忘れ、眠りにつかせたのです。……貴方の理は、慈悲そのものなのですよ。久禮 尊』


 ベルフェは目を伏せ、少しだけ笑った。

 

「いや、ただのめんどくさがりだ。……それでも、救えたなら上出来だ。お前もよく成仏しなかったな?」

『少々危うかったですが、根性で耐え切りました』

「根性で耐えていたんですか!?うっかり成仏させそうになってしまってごめんなさい!」


 天音のツッコミと謝罪が屋敷にこだまし、アラームがぷるぷる震えていた。

 玄聖は「お気になさらず」と笑い、そのまま両膝をついて、深く頭を垂れる。


『黄泉の理を統べるものとして、我ら冥府の者たちは誓いましょう。次に理が乱れた時——貴方の呼び声に応じます』


 ベルフェはわずかに肩をすくめ、「働かせる気まんまんじゃねぇか」と呟いた。


 その時——ズン、と空気が震えた。

 屋敷の床を中心に、淡い光の円が広がる。

 

 残っていた霧がゆっくりと晴れていき、天井の割れ目から差し込む月光が、蒼く部屋を満たした。


 空気が澄み、風が穏やかに流れる。

 蛍のような光がふわりと舞い、屋敷の壁に溶けるように消えていった。


 榊原がその様子を見て、腰に下げていた携帯型の測定器を取り出した。魔力濃度を示す水晶パネルが、激しく明滅している。

 

「うおおおお!!見てください!魔力値が一気に下がっていく!だから月の色も変わったんですね!数万人もの悪霊が成仏されたので、このダンジョン全体の魔力密度が緩和されているんです!!こ、これはもう学会どころか国家級の発見ですよぉぉぉ!」


 アラームが目を瞬かせる。


『……そなたは、ただの考古学者じゃなかったかの?』

「え?あ、まぁその、ロマンを追ってたら測定装置の扱いくらいは独学で!」

「学者なのに技術者レベルじゃないですか!?」

 

 天音がツッコミを入れ、ベルフェが呆れたようにため息をつく。


「……なんだこのチーム、静かになる暇がねぇな」


 まるで——ここがようやく“安らぎの地”に戻ったようだった。

 これが、このダンジョンの本来の姿。

 数千の魂が休み、夜空の下で眠る静かな聖域。


 天音はそっと祈りの手を組み、「……これが、本当の赤門の中なんですね」と呟いた。


 ベルフェは静かに目を閉じた。

「そうだな。……赤く染めてたのは、怒りと未練だったんだろうな」


 蒼い光が彼らを包み、朽ちた霊廟は完全な静寂を取り戻していた。

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