第23話:魔王、骸の理を断つ
デュラハンに案内された巨大な寝殿造の奥へ進む。
霧の満ちる通路の天井や壁には、びっしりと護符が貼られていた。
これに怯えた天音を見て、ベルフェがそっとクッションを差し出す。
「……これ抱きしめておけ。落ち着くぞ」
「えっ……いいんですか?(ぎゅっ)」
『なんだかんだ天音ちゃんに甘いのじゃな……』
ベルフェの首に巻きついていたアラームは、羨ましそうにそのクッションを見つめていた。
「まぁ……放っておけないからな」
『むっ……前から気配がするのじゃ!』
アラームの体がぴんと張り、霧の向こうへ視線を向ける。
魔力探査はすでに最大まで引き上げられていた。
霧の奥、寝殿造の大広間が見える。柱は崩れ、屋根は半ば失われ、かろうじて形を保つだけ。
吹き抜けの奥——なにかが静かに座していた。
「……人間?いや、違う」
ベルフェが足を止める。
「……あの人、生きてるんですか……?」
天音が小さく息を呑んだ。
座していた者は、古の陰陽師が着ていたような狩衣を纏っていた。
だが、顔は靄に覆われ、輪郭すら曖昧。
“人の形”をしているのに、“人ではない”と本能が警鐘を鳴らす。
そして——その靄の中に、カッと複数の目が開いた。
幾つも。幾つも。
顔にも、腕にも、衣の隙間にも。
禍々しい無数の瞳が、一斉にこちらを見据えた。
「ひ、ひぃいいいっ!?目ぇいっぱい出てますぅぅぅ!?」
「落ち着け天音、下がれ!」
霧がざわりと揺れ、座していた影がゆらりと立ち上がる。
骨の軋む音すらない。ただ“死”を無理やり起こしたような、不自然な立ち方だった。
「……動いた!?」
ハンターたちも一斉に息を呑む。
何人かが退避する中、榊原だけはノートを開いて叫んだ。
「ふぉおおお!!あれは狩衣!!つまり千年前の魔法職の元祖・陰陽師では!?近くで観察を──」
『観察するなーっ!!逃げんかいお主は!!』
アラームが後頭部から榊原を引きずる。
だが、陰陽師は止まらなかった。
靄の腕が上がり、無音の詠唱が始まる。
五芒陣が幾重にも展開され、床が淡く光り、天井の護符が舞い降りた。
静謐で、しかし圧倒的に異質な呪符の陣列が四方に広がる。
(五芒陣……!?術の発動が早い……!)
天音は咄嗟に両手を前へ突き出す。
「——聖なる浄化!」
広間全体が閃光に包まれた。
普通のアンデッドなら浄化されるはずだった。
だが陰陽師は微動だにせず、左手で刀印を結ぶと、護符の列が一斉に燃え上がる。
炎の中から、影が形を取った。
式神——いや、かつて式神だった“悪霊”。
霧の体。半透明の犬のような形。
だが顔の中央に、巨大な単眼がひとつ。
その眼が開くたび、死の瘴気が漏れた。
「浄化が効かないなんて……!ていうかワンちゃんが怖すぎます……!」
「天音、あれは犬じゃないからな?」
影が吠え、床を蹴る。
ベルフェは面倒くさそうに、教聖国から渡された聖水を複数本、上空に放った。
「——無為鍛成」
天井と壁から創造された槍が、聖水が入った瓶を割りながら飛翔する。
聖水を纏った槍は悪霊に触れた瞬間、それらを次々と貫き霧散させた。
無駄のない投擲。
聖水の落下角度と槍の生成位置が、寸分の狂いもなく計算されている。
天音とアラームは思わず息を呑んだ。
「……今度は迷わんぞ。——怠縛鎖」
嫉妬の魔王戦の反省を活かし、迷いなく最速で放たれた鎖。
青黒い軌跡が走り、陰陽師を貫かんと迫る。
その瞬間——陰陽師の背に、もう一つの瞳が開いた。
ぎょろり、と後頭部の眼が鎖を見据える。
鎖が触れた刹那、光が反転した。
「なっ……!?」
鎖が絡め取られ、霧の中へ吸い込まれる。
次の瞬間、圧が弾け、床が大きく抉れた。
「防がれた……!?魔王様の権能が……!?」
『後ろの目で“見切った”!?ありえんのじゃ!!』
ベルフェは面倒臭そうな表情のまま、霧の奥を睨む。
「理を反転させやがった……。やっぱり、あいつなのか?」
陰陽師の手が再び動く。
無詠唱は止まらない。
空中の符が次々と燃え、無数の陣列が構築されていく。
逆巻く風が建物を砕き、寝殿造の屋根が吹き飛んだ。
崩落の向こうに、空が広がる。
——そこには、黒と赤、二つの月が並んで浮かんでいた。
「月が……二つ……?」
天音の声が震える。
「このダンジョンの理が、完全に歪んでる証拠だ」
ベルフェは鎖を構え直し、前へ出た。
「それでも——行くしかねぇ」
護符が飛び、天音の光が対抗し、榊原は転がりながらも必死に記録を続ける。
「まさか……古の陰陽術を生で……これは一生もの……!」
『いいから伏せんかアホ学者ぁ!!』
アラームのツッコミが飛ぶ。
霧が弾け、符が燃焼し続ける。
陰陽師は無数の瞳を光らせながら、詠唱の手を止めない。
その時——霧の中から低い嗤い声がこぼれた。
どこか懐かしい、古い響き。
ベルフェの鎖がぴたりと止まる。
戦い方、陣の組み上げ方、理の流れ。
すべてが“あの男”を思い出させた。
「……やっぱりお前、蘆野 玄聖だろ」
「蘆野玄聖ってあの英雄パーティーの……!?」
天音の驚愕が響く。
陰陽師の式神が、わずかに動きを止めた。
そして無数の瞳が同時に——ベルフェを見た。
霧の中、ほんの一瞬だけ。
“人の意志”が揺らぎ、鈴の音が小さく響いた。




