第22話:魔王、骸の街へ入る
赤門ダンジョン内——朽ちた霊廟。
空気は湿って重く、霧が視界を覆っていた。
ベルフェは両手にクッションを抱えたまま、面倒くさそうな足取りで先を歩いていた。
魔王らしからぬ姿だが、その足取りには迷いがない。かつてこの地を“攻略した”経験があるのだ。
「……こっちだ。通路が崩れてる。足元、気をつけろ」
ぼそりと呟く声だけが霧の中に響く。
その一歩ごとに道が“正しい”と感じられるのは、経験というより勘に近かった。
かつての街並みは、朽ちた骸そのものの静けさだった。
瓦礫を照らす霧の奥には、折れた武器、ひしゃげた鎧——
そして、動く屍がいた。
呪詛にまみれた悪霊たちが漂い、霧の奥からは時折、呻きとも嗚咽ともつかない音が漏れてきた。
「ひ……ひぃ……な、なにか……います……!」
「しっ……声を抑えて!」
悪霊は“音”に反応する。
全員が息を殺し、慎重に足を運ぶ。
アラームはベルフェの首に巻きつき、小さく身を丸めていた。
お化けが苦手だと公言していた天音は、ガクガクと震えながらメイスを構える。
(怪力スキル持ちがパニックになったら——それはそれで脅威だ)
そんな緊張が、ハンターたちの喉をひりつかせていた。
榊原だけは目の奥を爛々と輝かせていたが、場の空気を読んでか、必死に口を閉ざしている。
◇
街外れの瓦礫地帯に出たところで、ハンターの一人が恐る恐る口を開いた。
「あの街の中にあるんじゃないんですか?」
「……あそこじゃない。向こうにある屋敷近くの方だ。そこで戦っていた記憶がある」
「ちなみに、どんな魔物だったんですか?」
好奇心に駆られた榊原が問いかける。
ベルフェはため息をひとつ吐いて、短く答えた。
「……死霊王だ。今で言うならリッチだったか?」
「リッチって、ラスボス並みに強いやつじゃないですか……!」
ハンターたちの顔から血の気が引いた、その時——。
チリン……チリン……
霧の奥から鈴の音が響く。
最初は遠く、次第に近づいてくる。
地面が震えた。
低く、重い蹄の音が、濃霧を割るように鳴り響く。
やがて——影が現れた。
首のない騎士。デュラハンという魔物だ。
古びた戦国鎧を纏い、その手には鈍く黒光りする大剣。
だが、異様なのはその“馬”だった。
首を失った馬の断面から、黒い液体がぽたぽたと滴り落ちる。
それは血のようで血ではない。
腐敗した瘴気が混じり、地に触れるたびに煙のように溶けていく。
その不気味な光景に、誰もが息を呑む。
天音は顔面蒼白になり、震え声を上げた。
「ひぃいい……っ!だ、断面……っ、断面見えてるぅぅ……!」
「……聖女なんだからしっかりしろ」
「怖いものは怖いんです!!」
ハンターたちも蒼ざめるが、デュラハンは剣を抜かなかった。
首のない身体がゆっくりと彼らを“見た”ように動く。
鈴がもう一度鳴る。
チリン……
黒馬が、濃霧の奥を見つめるように一歩踏み出した。
鈴を鳴らしながら、ゆっくりと——彼らの横を通り過ぎていく。
攻撃する気配はない。ただ、静かに歩いていく。
まるで——“案内”しているかのようだった。
◇
霧の中を鈴の音に導かれ、彼らは歩く。
濡れた石畳に靴音が鈍く響く。
ほかの音は、ない。
まるで世界そのものが息を潜めているようだった。
「……ねぇ、これ、本当に案内してくれてるんですよね……?」
「多分な。襲う気配はねぇ」
アラームはベルフェの首元で、小さく震えながら囁く。
『死の妖精……じゃな。妾の記憶にもある。人の魂を冥界へ導く者……』
「あぁ。生者に害はない。それに多分、知ってる奴だ」
「え!?!?」
「顔がないから確実には言えんがな」
デュラハンに懐かしむように目を細めるベルフェ。
その表情に、天音もハンターたちも言葉を失う。
足元を照らすと、崩れた石壁に古い文字が刻まれていた。
それは、祈りの文のようだった。
『帰らぬ者に、安らぎを』
誰が刻んだのかは分からない。
だがその祈りだけは、千年を越えて消えていなかった。
天音がそっと手を触れると、灰のように崩れた壁から一瞬だけ淡い光が立ち上る。
「……この街、まだ祈ってるんですね」
霧が静かに揺れた。
◇
やがて霧の奥に巨大な影が浮かび上がる。
崩れた石階段。
その先に古びた門扉が見えた。
門の表面には骸骨を模した装飾と、無数の古代文字。
そして奥には、巨大な寝殿造りが静かに佇んでいる。
「美しい……!石階段と門は崩れているのに、古代の建築が崩れてもいないどころか綺麗です!保護魔法でもかかってるんでしょうか!?なぜ!?」
息がやたらに荒い榊原を無視して、「いくぞ」とベルフェが言う。
全員が頷き、静かに中へと踏み込んだ。
石灯籠が並ぶ参道を進む。
灯籠のいくつかはわずかに光を放っており、天音が指を差す。
「……不思議です。あちらから、わずかに神聖力を感じます」
「神聖力……?」
ベルフェは眉をひそめた。
確かに、この場所は“死の理”だけではない。
何かが、穏やかに息づいている。
そのとき、前方でデュラハンが立ち止まった。
案内はここまでだと言うかのように。
黒馬がゆっくりと首を垂れる。
『入るのか?嫌な予感がピリピリするのじゃが……』
アラームが怯えた声を出す。中に何かがいるのは確かだろう。
だが、それでも確認しなければならない。
ベルフェは軽く息を吐き、扉に手をかけた。
ぎぃ……と鈍い音が響き、霧の冷気が流れ込んだ。




