第20話:魔王、千年前の残響を聞く
——懐かしい夢を見た。
鉄の匂いが焼ける。
焦げた魔力の残滓が風に舞い、黒門の裂け目から魔物が押し寄せる。
千年前。久禮 尊として戦い抜いた戦場。
朧げな仲間たちの背中が前を往く。
顔は霞み、輪郭すら曖昧なのに……なぜか背中の温度だけが、どんな日より鮮明だった。
手を伸ばしたが、届かなかった。
黒い靄へと溶け、仲間たちは遠くに消えていく。
追いかけようと踏み出した瞬間、足元が崩れ落ちた。
暗闇の底に積もっていたのは、山のような屍。
乾いた手が足首を掴み、無数の眼孔が怨念で濁る。
——お前の堕ちる場所は、もっと深い。
言葉ではなく“意味”だけが胸に響く。
闇の中、消えていったはずの仲間が一人だけ残っていた。
陰陽師の装束。かつて共に戦った仲間。
ゆっくりと振り返るその仕草だけが鮮明なのに——顔だけが、どうしても思い出せない。
息を呑むより早く、夢はちぎれた。
◇
ベルフェは静かに目を開けた。
柔らかいクッションに沈んだ身体。
胸の奥だけがざらつき、刺すような痛みだけが現実に残っている。
(……珍しいな。夢なんて面倒なもの見たせいか?)
思考がまだ揺らぐ中、隣でアラームが尻尾をぴんと立てた。
『む?顔が死んでおるぞベルフェ。いや、元からじゃったな』
「……放っとけ。寝起きだ」
返した声がいつもよりわずかに沈んでいた。
それに気づいた天音がキッチンから顔を覗かせた。
「魔王様大丈夫ですか?顔色、良くないですよ?」
「気のせいだ」
ベルフェは視線をそらし、クッションへ深く沈んだ。その雰囲気に、天音もアラームもそれ以上は何も言えなかった。
(……千年前。片付けきれなかった“何か”が、また動く……そんな感じがする)
そのとき、アラームの身体がびくりと震えた。
『む。そこそこ強めの門の気配じゃ』
尻尾の先から魔力が波紋のように広がり、空気がわずかに揺れる。
「えっ!?どこですか!?」
「いつ出るんですか!?」
天音と監視ハンターが身を乗り出す。
『ここから車で一時間ほどの距離……出現は三分後じゃな』
「「「……三分後!?!?」」」
空気が固まる。
「も、もう少し早く察知とか……無理なんですか……?」
『む。黒門ならもっと早く分かるぞ?あれは魔力が濃すぎて、存在するだけで理が揺れるからな。じゃが赤門以下は魔力が薄く、形を成す直前まで気配がぼんやりじゃ。どうしても遅れる』
小さな胸を張り、アラームは続ける。
『これでも妾は常に気配を張り巡らせておるのじゃ!むしろ褒めてほしいくらいじゃ!』
ぷるぷる震える小さな身体に反して、気迫だけは大きい。ハンターたちは思わず後退った。
「……そ、そりゃそうですよね。すみません、無茶言いました」
「ほんとに……言われてみれば当然でしたね」
天音が苦笑した直後、街全体を震わせる警報が鳴り響いた。
テレビの速報テロップとスマホ通知が赤く点滅する。
『緊急速報!埼玉県南部にて赤門ダンジョンが発現——!』
「……赤門か」
ベルフェが片目を開ける。
『赤門って、黒門ほどではないんじゃろ?』
「黒門ほどではありませんが……放置すれば確実に“ブレイク”します。日本では数年ぶりです」
天音の説明に、監視ハンターたちも息を呑んだ。
「そもそも黒門が、数ヶ月で二度出たこと自体が異常で……」
「一回は怠惰の魔王が出て犠牲ゼロにしたって噂ですけど」
「……あの魔王、何者なんだ?」
呟きに、天音が小さく笑う。
「怠惰って名乗ってるのに……一番働いてますよね、あの人」
部屋の空気が一瞬だけ和らいだ。
◇
対異界特務庁——本部。
緊急会議のモニターには、全国の司令官やギルド代表、ハンターギルドマスターらがずらりと並ぶ。
「対象は赤門。規模は中型。だが発生頻度の異常さから“理の乱れ”が継続していると判断される」
「黒門出現以降、安定指数は下落しています。門の種類を問わず、ブレイクリスクが上昇中です」
「赤門ブレイク時、都市被害は半壊規模。人類戦力だけでは……間に合いません」
重苦しい沈黙が落ち、そこに一つの案が投げ込まれた。
「——怠惰の魔王ベルフェゴール、元嫉妬の魔王レヴィアタンとハンターギルドの共同作戦を発令する」
静寂。
そしてざわめき。
「共闘だと……?」
「監視じゃなく、協力関係に……?」
当然の動揺だった。
だがそれは、人類史上初の“魔王と肩を並べる作戦”の始まりでもあった。
◇
それを聞いたベルフェは、クッションに半分埋まりながら肩を竦めた。
「……また働くのか」
『ほれ良かったのうベルフェ!共闘じゃ!』
「嬉しそうだな」
『妾は怠惰の理を学んでおるからな。そなたが動くなら、妾は見ておる!』
「……働かない宣言だろ、それ」
ベルフェが苦笑し、天音が慌てて装備を整える。
「歴史的な作戦ですよ、魔王様。行きましょう!」
「……クッション、持ってっていいか?」
「……二個までですよ」
小さな笑いが生まれる。
だが空の向こうでは、すでに赤い光が地平を染め始めていた。
◇
——赤門ダンジョン内部。
空気は重く湿り、異界特有の圧が肌を刺す。
広がる光景は、千年前の戦場を無理やり引きずり出したような廃墟だった。
石畳は割れ、崩れた屋根の残骸に古びた旗が絡みつく。
風のような呻き声が、どこからともなく響く。
その静寂の中——ふわりと影が浮かんだ。
破れた服を纏った人影。
だが顔はなく、薄い靄だけがぽっかり空洞を成していた。
それでも確かに“見られている”と分かる圧だけがそこにある。
空洞の首がゆらりと持ち上がる。
掠れた声が、空気を震わせた。
『……クレイ、ソン』
風のように脆く、しかし確かに名を呼んでいた。
時を越え、千年前の残響だけがここに取り残されたかのように——。




