第1話:魔王、再誕する
東京都・新宿東口。
午後五時。夕暮れの街がざわめきを飲み込んだ。
突如、地鳴りが響く。
アスファルトが波打ち、信号機が悲鳴を上げる。
交差点の中央で、空そのものが歪んだ。
黒い渦。
その中心から、冷たい風が吹き出す。
渦はゆっくりと円を描き、やがて“門”の形を成した。
漆黒の門――“黒門”。
青黒い靄が脈打ち、空気が震える。
『緊急速報! 警戒レベル:伝承級——“黒門”出現! 近隣住民は直ちに避難を——』
モニターが一斉に赤く染まり、報道ヘリが上空を旋回する。
逃げ惑う人々、信じられないというようにスマホを掲げる者。
SNSは瞬時に炎上し、「#黒門再臨」「#新宿消滅説」が世界のトレンドを埋め尽くした。
——だが、奇妙なことに。
門の中から魔物の影は一切現れなかった。
ただ、青黒い靄がゆらゆらと立ちこめるばかり。
その沈黙は、むしろ不気味だった。
◇
政府直属《対異界特務庁》。
新宿防衛管制室には緊張が走っていた。
「魔物反応なし……だが内部の魔力濃度、通常の一万二千倍です」
「千年前の“黒門戦争”と一致、ですか」
「……確認するしかない。——特別探索隊を送れ」
出動するは五名。
隊長・佐伯、分析官の神崎、重装の藤堂、斥候の中原、魔導技師の秋月。
政府最高戦力の精鋭たちだ。
強化装甲スーツに身を包んだ彼らが黒門の前に立つと、靄の奥には光すら飲み込む“深淵”が覗いていた。
「——突入」
佐伯の号令で、五つの影が門へ消えた。
◇
内部は闇だった。
光が吸い込まれ、空気が肌を刺す。
だが、足元に広がるのは洞窟ではない。
錆びた作業台、折れた鉄骨、砕け散った工具。
まるで――巨大な鍛冶場の遺跡だった。
「……鍛冶場の跡、か?誰かが使っていた形跡があるな」
神崎が金属片を拾い、センサーを走らせる。
「古代魔力鋼だ……しかも加工痕、千年前の英雄が残した武具と一致する」
「つまりここは、鍛治の英雄が最後に戦った場所……?」
「座標照合完了。……一致。“第零戦域”です」
静寂が落ちた。
千年前の黒門戦争を終結させた英雄が、消息を絶った“終焉の地”。
まさにその中心へ、彼らは足を踏み入れたのだ。
◇
やがて隊は巨大なホールへ出た。
中央には黒鉄の台座と、一つの棺。
剣と槌が交差する紋章。
周囲には古代文字が祈りのように刻まれている。
「……“英雄葬送歌”の文様と一致。祀られた墓です」
「英雄の遺体が……千年、眠っているのか」
敬意が満ちた、その瞬間。
ぎ……と棺が軋んだ。
「だれも触ってねぇぞ!」
「内部から魔力波!上昇中!」
青黒い靄が噴き出し、棺を呑み込む。
それは煙ではない。濃縮された魔力そのものが、物質としてあふれ出ている。
その中で、錆びついた古代の鎧がゆらりと、ゆっくりと起き上がった。
さらに、靄が兜にまとわりつき、鹿角飾りを溶かすように変質させていく。
枝角のような異形の角が形成され、古代の姿は“別の存在”へと作り替えられていく。
「……角が変質して……る?」
さらに棺の後ろに飾られていた三叉槍が震えた。
靄に包まれ、まるで意志を持ったようにひとりで持ち上がる。
——ひたり。
槍が鎧に触れた瞬間、金属がなめらかに、肉体のようにうねりはじめた。
骨の芯が伸び、しなり、尻尾へと姿を変えた。
「槍が……尻尾に!?」
誰も理解が追いつかない。
その時、面頬の奥で“瞳”が開いた。
紋章が光を描き――怠惰の魔王紋が浮かび上がる。
「ひ、光った!?あれ……魔王紋だ!」
「ま、ま、魔王だァァァ!!」
銃が火を噴くが、弾丸は鎧の表面に触れた瞬間霧散する。
誰もが混乱し、恐怖に飲まれた。
その中で、鎧の“それ”は、まるであくびを耐えるかのようにゆっくりと息を吐いた。
「……ふぁ、寝過ぎたな」
千年ぶりの声は、あまりに静かだった。
男は重い腕を持ち上げ、周囲を見渡す。
焦げた鉄と、雷が落ちた後のような匂いが漂う。
「……にしても……なんだこの格好。趣味が悪いな」
足元の棺へ視線を落とす。
祈りを刻んだ装飾は、確かに“敬意”の形だった。
「……誰かが、祀ってくれたのか」
その呟きには、わずかに寂しさが混じっていた。
「撤退!対象、伝承級を超える“復活個体”だ!」
「秋月、帰還ゲート起動!」
「了解ッ!」
秋月の腰装置が青白く輝き、空間に裂け目が走る。
強制転移用ゲートが形成された。
「転移路確保!全隊、急げ!!」
白光が隊員たちを包み、姿は消えた。
◇
静寂。
青黒い靄だけが揺れている。
鎧の男は、遠ざかる警報音を聞きながら静かに呟いた。
「……面倒な時代に起きちまったか」
その名を知る者は、もう誰もいない。
だが後に世界は、この日をこう記すことになる。
――“黒門、再臨”
――“魔王、東京に顕現す”




