第18話:魔王、日常に戻る
翌日。
嫉妬の魔王が消えた街は、驚くほど早く日常を取り戻していた。
近くの公園にはもう仮設テントの商店が立ち並び、焼きそばやたこ焼きの匂いが漂っている。
瓦礫の山を横目に、露店が“営業再開”している光景は、この国の逞しさを否応なく感じさせた。
まるでダンジョン門の被害に慣れてしまったように。
——人間は、生きることに順応しすぎている。
◇
一方その頃、新宿の高層マンションでは——
魔王ベルフェが、クッションの山にうずもれて微妙に拗ねていた。
「魔王様、どうされたんですか?」
交代で見張りについた監視ハンターが恐る恐る声をかける。
天音は苦笑しながら肩をすくめた。
「昨日の戦いで、魔王様のレベルが84から184に上がったらしいの」
「い、一気に100も!? 」
その場がざわつく。
しかし問題はそこではなかった。
「でも、権能の封印……ひとつも解けてないんですよね」
視線が一斉にベルフェへ向く。
当の本人は、クッションの中で膝を抱えていた。
「……面倒だ」
完全に拗ねていた。封印はまだ三つ。
解除条件すら不明で、最低でも二百以上は必要かもしれない——そう思うと、怠惰の理が働きすぎて動く気が消し飛ぶのは当然だった。
「ぶっちゃけ、封印なくても魔王様なら倒せそうですけど」
「……そんな甘いもんじゃない」
ベルフェのぼそりとした声が、場の空気を一変させた。
「レヴィアタンとは相性が悪かっただけだ。理が噛み合わなかったから勝てた。本来の魔王は……桁が違う。仲間全員で挑んで、やっと“封印”まで持っていけたんだ」
“倒す”ではなく、“止める”。
その言葉に、天音もハンターたちも息を呑んだ。
ベルフェの視線が窓の外をかすめる。
朝陽を反射するビル群が、静かに輝いていた。
——神に蘇らされた理由が、少しだけ重く胸に落ちる。
◇
「……そういえば、その嫉妬の魔王……アラームちゃんは?」
天音の言葉にベルフェが尻尾をぴこりと動かし、床の方を指した。
そこには小さな水蛇がいた。
レヴィアタン——今やあだ名が“アラーム”となった存在が、地球儀の周りをぐるぐると回りながら何やら呟いている。
「あれ、何してるんですか?」
「世界中の黒門を探ってもらってる」
「せ、世界丸ごと!? 力、失ってるんじゃ……」
「腐っても元は魔王だからな」
ざわつくハンターたち。
アラームの周囲には、かすかに魔力の揺らぎが漂っていた。
『ふむ……いまのところ新たな黒門の反応はないようじゃ。少しの間は静かかもしれぬのう』
次なる理はまだ動かない。
短い静寂——束の間の平和が訪れていた。
「……そうか」
ベルフェは短く呟くと、再びクッションへ沈み込み、赤いウィンドウを開いた。
「あ、またステータス見てますね」
「暇だからな。数字が勝手に変わるのを見るのは……ちょっと楽しい」
淡い光に照らされる横顔。
その様子に、アラームが首をかしげた。
『む?なんじゃその赤い光は?』
「ステータスだ。今の時代の魔力管理システムみたいなもんだ」
『ほう……では妾も……すてーたすおーぷん!』
——沈黙。何も起こらない。
『……出ぬのじゃ!?』
「そうみたいだな」
『なぜお主だけが使えるのじゃ……!』
アラームが不思議そうに首をかしげる。
ベルフェはほんのわずか目を細めた。
「神の気まぐれだろ」
アラームは天音の膝に乗り、尻尾を振りながらぽつりと言った。
『それにしても……お主、権能の“枠”が六つに見えるのじゃが?』
「え?」
天音もきょとんと目を丸くした。
『そもそも魔王の権能は“三枠”が限界じゃ。妾も怨潮共鳴・深淵潮生・嫉望同調の三つのみじゃった』
「そういえばアラームちゃん三つでしたね!」
ベルフェは表示を見下ろし、眉をひそめる。
「……なら封印って、“増える”んじゃなくて……権能三枠分の強化版、ってことか」
『妾にもわからぬ。数千年生きたが、すてーたすとやらも初めて見たのじゃ。……人の魂が関係しておるのかもしれぬのう』
天音が息を呑む。
ベルフェは目をそらして答えなかった。
英雄が魔王へ転生した理由。
封印された権能の正体。その断片が、ようやく輪郭を描きはじめていた。
◇
その時、天音が小さく息を整えた。
誰も気づかないように、そっと胸に手を当てる。
(……神託は、今もまだ途切れ途切れのまま)
確かに声らしき響きはある。
けれど意味までは聞き取れない。
(でも……きっとレベルがもっと上がって、魔力量が“段階”で増えたら……)
彼女は自分の魔力が、昨日より確かに太くなったことを感じていた。
(……いつか、神託もはっきり聞こえるようになるはず。そうしたら……)
ちらりとベルフェを見る。
クッションに沈みながら、どこか深い影を背負った魔王。
(……魔王様のことも、もっと知れるようになるかもしれない)
小さな想いは、そっと胸の奥に沈めた。
◇
「……そういえば天音もレベル上がったんだろ?」
「あ、はい!理核を破壊した影響で……今はレベル354です」
その数字を聞いた瞬間、部屋が凍りつく。
「……聖女様、A級どころかS級に近いじゃないですか……」
「354って、下手したら今の魔王様より強い……」
ハンターたちは青ざめる。
天音は恥ずかしそうに視線をそらし、ベルフェはというと——クッションに沈んだままぼそり。
「働きすぎると疲れるぞ」
「言う人が寝すぎなんですよ……!」
天音が呆れ、ハンターたちが小さく笑う。ほんの短い日常——それでも確かに、“仲間”のような空気がそこに生まれていた。




