第14話:魔王、嫉妬と相まみえる
——東京・臨海区。黒門出現地点。
空は鈍い灰色に沈み、潮の匂いが風に混じっていた。
翡翠色の“魔力海”は、ビル街の1階部分をじわりと満たしつつあったが、住民はすでに全員避難済み。
今ここにいるのは、軍とハンター部隊だけだった。
黒門から次々と溢れ出す海魔型の魔物を、海上と陸の両面でなんとか押し返している。
銃火と魔力光が混じり合い、空気は塩と鉄の匂いで満ちていた。
そこへ、黒い専用車両が滑り込む。
後部座席では、怠惰の魔王ベルフェがアイマスクをつけたまま、普通に熟睡していた。
サイレンにも爆音にも、全く反応しない。
「魔王様!着きました!出番ですよ!」
「……あと五時間」
「絶対だめです!!」
聖女・天音の悲鳴が車内に響く。
運転していた監視ハンターたちは、(どんな神経してんだこの人……)と無言で顔を見合わせた。
しぶしぶベルフェはアイマスクを外し、眩しそうに片目を細めた。
すぐに特務庁隊員が駆け寄る。
「聖女様、魔王様!状況を説明します!黒門から海型魔物が途切れず出現し、海上戦は劣勢です!」
「——ただし、魔力海の広がりは半径三百メートルで安定しています。外側に“魔力境界”があるらしく、これ以上侵食しません!」
魔力海は液体のようでありながら、明らかに“水”の挙動ではなかった。
不気味に光りながら、一定範囲でぴたりと停止している。
「液体なのに……本当に広がらないんですね……」
天音の呟きに、隊員が頷く。
「自然法則は完全に無視されています。ただし——主である魔王本体が動けば、状況は変わります!」
ベルフェは眠気を残したまま、翡翠色の海を見やった。
「……加減してるな、あいつ」
「えっ、“あいつ”って……?」
「嫉妬の魔王レヴィアタン。魔王の中で一番“人間らしい”奴だった。怒るし、拗ねるし……まあ、情はあったがな」
天音が目を丸くする。
「じゃ、じゃあ……本当に知り合いなんですね……?」
「昔は海を守ってた“王”だ。こっちから手を出さなきゃ、悪いやつじゃない」
ベルフェの穏やかな声にどこか懐かしさが混じるが、隊員はすぐさま本題へ戻る。
「ですが魔王殿!あの黒門の奥の“主”を倒さねば魔物の出現は止まりません!」
「ふむ……要するに、あいつをここまで出させればいい」
「え?どうやってですか?」
ベルフェはちらりと天音へ視線を向けた。
「……ちょっと手、貸せ」
「へっ……?」
ベルフェは静かに天音の手を取った。
軽く触れただけ——それだけなのに。
「っ!?はわわわわわぁぁぁ!?」
白いローブの袖をぶんぶん揺らし、天音の耳まで真っ赤に染まる。
周囲のハンターたちまで動揺し始める。
「聖女様の“はわわ”見るの初めて……」
「この破壊力……純度100%……」
——その時。
ピタッ。
黒門から溢れ出ていた海型魔物が、全員動きを止めた。
「……え、魔物止まった?」
「なんか……海のやつらの目が……すごく泳いでません?」
魔力海の上で、魔物たちがざわざわと震え始め——
ザザザザザァッ!!
黒門へ続く“一本道”を作るように左右へ散った。
「勝手に道あけた!?!?」
「いやいやいやいや、魔物が自主的に避けるとか聞いたことねぇぞ!?」
「どんだけ恐れられてんだ嫉妬の魔王!!」
天音は手を握られたまま、赤くなって叫ぶ。
「な、なんで道ができるんですか!?!?」
「嫉妬の眷属は、こういう行為に敏感だ。怒られたくないんだろう」
「余計な生態系!!」
その瞬間——海が唸りを上げる。
黒門の奥から、巨大な影が浮かび上がってきた。
——ザパァァァァッッ!!
海を裂きながら姿を現したのは、青黒い鱗を持つ巨大な龍。
全身を覆う青黒い鱗が光を反射し、翠色の瞳がベルフェ達を睨みつける。
『お主ら!!妾の前でいちゃつくでないわぁぁぁ!!!』
「いちゃついてません!!」
兵士たちまでもザワつく。
「……え、怠惰の魔王と聖女って、そういう……?」
「現場恋愛……?」
ベルフェ、額を押さえる。
「……誤解が広がるな」
「あなたのせいです!!」
レヴィアタンの尾が魔力海を叩き、大波が飛び散る。
その瞳がベルフェを捉えた瞬間——波が震え、空気が揺らぐ。
『……ぬ?その気配……お主、あの鍛治の……久禮 尊!?』
波が震え、空気が張りつめた。
『人の身で妾を封じた者が……何故“魔王の理”を纏っておる……!?』
ベルフェは静かに歩み出る。
その顔は冷静そのもの——だが、どこか艶のある精悍な笑みを浮かべた。
「……さあな。知りたきゃ神に聞け」
『神、だと……!?お主を魔王にしたのも……神の意志というわけじゃな!!』
怒りと嫉妬が世界を震わせ、黒門が脈動する。
天音が息を呑む。
「……“理”が共鳴してます……怠惰と、嫉妬が……!」
「ふむ……ようやく起きたか」
『千年の封印を解かれ、黙っておれるか!妾の“嫉望”が、この街を呑み尽くすのじゃ!!』
海が立ち上がる。
空が反転し、世界が青黒く染まる。
——“嫉妬の理”が、現世に解き放たれた。




