表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/18

第12話:魔王、クッションを失う

 ——その部屋は、もはや“クッションの楽園”だった。


 床にも、ソファにも、棚の上にもクッション。

 ふかふかの布に包まれ、中心で眠る怠惰の魔王ベルフェは、まるで天上の安息にいるかのように穏やかな寝息を立てていた。


「……魔王様って、ほんとにクッション好きなんだな」

「いやもう、これは愛だな。信仰の域だ」


 監視ハンターたちは小声で囁き合いながら、ふわふわの山の中心で眠る“人類最強の寝相”を見守っていた。


 テレビからはニュースが流れている。


『各地で“緑門”ダンジョンの出現が確認されています。ブレイク発生件数は増加傾向に——』


 ハンターのひとりが顔をしかめた。


「……物騒だな。そろそろブレイクが出てもおかしくない」

「まさか、ここらで起きたりしないよな……?」


 不安が混じる声が途切れた——その瞬間。


『速報!東京都内・第⚪︎区エリアでダンジョンブレイク発生!』


 警報音が鳴り響いた。


「——って、この近辺じゃねぇか!?!?」


 外ではサイレン、地鳴り、逃げ惑う人々の叫び。

 しかし——


 部屋の中心ではベルフェが、まだ寝ていた。


「……あの人、どんな音でも起きませんね……」

「世界が滅んでも寝てそう……」


 そこへ白いローブを翻して、聖女・天音が駆け込む。


「魔王様は!?」

「ご覧の通りです!!」

「えぇぇぇぇ!?」


 叫ぶ彼女の背後で、空気を裂くような咆哮が響いた。


 次の瞬間、壁が粉砕された。


 爆風と共に飛び込んできたのは、炎をまとう飛行型の魔物。そして——炎の熱が部屋を包み、クッションの山の半分が燃えた。


 ふわふわの布が、ゆっくりと空を舞いながら焦げていく。まるで時が止まったように。


 天音もハンターたちも、息を詰めたまま固まった。

 その青ざめた表情は、魔王の危機ではなく、“クッションの消失”への恐怖。


「……」


 静寂の中で、山の中が微かに動く。


 ゆらり、と。


 黒い髪が浮かび上がり、その奥から覗く双眸が赤く灯る。


「……クッションを壊したやつはどいつだ」


 穏やかだった空気が、一瞬で凍りついた。

 低い声。怒りでも激情でもない、底なしの静寂が世界を支配する。


 赤い光が、彼の全身から溢れ出した。


【怒りによって“怠惰の理”が一時的に抑制】

【存在律:静止 → 解放】


 “怠惰の理”——それは、彼に刻まれた存在の根。

 彼が眠る時、世界は静まり、彼が動く時、理は外れ、混沌が解き放たれる。


 その瞬間、空気の重みが変わった。

 床がうねり、炎が逆流し、飛行型の魔物が怯えたように羽ばたく。


 圧倒的な存在感。

 まるで“生きる災厄”そのものがそこにいた。


 ◇


 ベルフェ——いや、久禮 尊の顔に、初めて“魔王らしい”表情が浮かんだ。


 冷たく、しかし燃えるような光。

 それは千年前、戦場で幾億の魔物を葬った“英雄”の面影だった。


「……逃すわけ、ねぇだろ」


 低く呟いた瞬間、空気が裂けた。


 床から立ち上る金属の音。

 黒い影が伸び、そこから無数の刃が形成されていく。


 ——第一権能……無為鍛成アーク・フォージ


 しかしそれは、いつものように“怠惰な創造”ではない。

 剣が一瞬で百本、千本と形を取り、炎の残骸を巻き上げながら空へ舞い上がった。


「おぉぉぉぉぉっ!!!」


 怒号と共に、ベルフェが跳躍。

 その動きは疾風のようで、“怠惰”の影もないほど鋭かった。


 飛行型魔物が防御の構えを取る間もなく、刃の雨が空を裂いた。


 翼が砕け、悲鳴が上がり、その巨体がビルを貫いて崩れ落ちる。


 爆風の中、ベルフェは一歩も退かず、炎の剣を握り締めたまま、その眼光だけで残りの魔物を震え上がらせた。


「……死んで詫びろ。俺のクッションに」


 冷たく、無慈悲に放たれた言葉。

 その一言と同時に、影から生まれた刃が一斉に突き上がり、魔物たちは跡形もなく消滅した瞬間、空気が一変した。


 ——ゴウンッ……!


 向こうで禍々しく輝いていた緑門のダンジョンが震え、青く澄んだ光へと変わった。

 青は最も安定した安全色。

 

 街を覆っていた重苦しい気配がすっと消え去り、人々は安堵の息を漏らす。


 ——静寂。


 風が吹き抜け、焦げた匂いだけが残る。

 ベルフェは肩で息をしながら、焦げた布片を拾い上げた。


「……クッション、半分消えたな」


 その低い呟きに、天音とハンターたちは凍りつく。


「再購入を要求する」


「っ、す、すぐ手配します!!」

「高品質で、触り心地優先のものを!!」


「……うむ」


 短く頷くと、ベルフェは燃え残った数個のクッションの上に腰を下ろした。

 その瞬間、空間に静かな音が響く。


 ピロン——。


 赤いステータスウィンドウが、ふわりと浮かび上がった。


【感情値安定】

【“怠惰の理”再起動】

【Lv:50 → 84】


 表示を見た天音が思わず目を丸くする。


「……一瞬で、そんなに……!?」

「……働いた分だけ上がるらしいな」


 ベルフェはあくびをしながら言い、燃え残ったクッションを抱きしめた。


「……面倒だ。寝直す」


 再び理が働き、空気が柔らかく沈んでいく。

 天音はその光景を見つめながら、ふと心の中でつぶやいた。


(“怠惰の理”……この人が眠ることで、本当に世界が落ち着く気がする……)


 彼が目を閉じた瞬間、外の風が静まり、騒がしかったサイレンが遠ざかっていく。


 ——まるで世界そのものが、ベルフェの眠りに合わせて息を整えたかのようだった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ