第11話:魔王、ステータスを開く
——ベルフェの仮住居。
朝。
窓から柔らかな光が差し込み、リビングの中心ではいつものようにソファに沈む男の姿。
怠惰の魔王・ベルフェ。
彼はテレビを見ながら、隣で何やら空中を操作しているハンターをじっと観察していた。
「……お前たち、時々目の前に何か浮かべてるな」
突然の指摘に、監視ハンターが一瞬固まる。
「あ、あぁ、これですか?ステータスシステムですよ。俺たちハンターの基本装備みたいなものです」
「すてーたす?」
ベルフェの眉がぴくりと動く。
ハンターの前方に、淡く光る半透明の立体パネル。魔力で投影された、いわば“能力の窓”だった。
すると、隣でお茶を置いた聖女・白崎天音が慌てて立ち上がる。
「えっ、それなら説明できます!現代ハンターの必須知識ですから!」
少し前のめり気味に、まるで授業を始める先生のようなテンション。彼女は話し始めると、途端に生き生きとした表情になった。
「えっとですね、ハンターが自分の能力を確認できるように、このステータスシステムが導入されてるんです。魔力量、筋力、スキル、称号、レベル、全部この中で数値化されてて!しかもそれぞれの成長も可視化できるんですよ!これがあるおかげで訓練や統計も一括で管理できて——」
「……お、おぉ……」
ベルフェが少し後ずさるほどの勢いだった。
天音の目はきらきら輝いている。説明が好きでたまらないタイプらしい。
「つまり、神様が人間にくれた“成長の記録帳”みたいなものなんです!」
「なるほど……便利だな。魔王にはないのか?」
「さ、さあ……?聞いたことはないですけど……」
ベルフェは顎に手を当て、少し考え——
「……試してみるか。ステータス・オープン」
ピロンッ。
軽快な電子音。
「出たぁぁぁぁ!?」
監視ハンターの叫びが部屋に響いた。
空間に、確かに“ステータスウィンドウ”が浮かんでいたのだ。
——ただし、光は“青”ではなく“赤”。
血のように深く、禍々しく、けれどどこか神聖な輝きすら放っていた。
「……これが、魔王専用の……?」
「赤ウィンドウって初めて見た……!」
天音も息を呑む。
通常、ハンターのシステムは青色。
それに対してベルフェのものは、異質な“赤”。
「なるほど……スキルや権能が一覧で見られるのか。便利だな」
淡々と眺めるベルフェ。
が、途中で首をかしげた。
「……“レベル”ってなんだ?」
ぴこん、と頭上に“?”マークが浮かぶ。
完全に困惑している。
天音が嬉々として身を乗り出す。
「あっ、それはですね!行動や戦闘で上がる“成長値”です!ハンターはだいたいレベルで実力を判断してるんですよ!訓練で経験を積めば効率的に上げられますし、最近はレベル上昇理論も——」
「……熱いな」
「す、すみません……!説明となると夢中になってしまって……」
恥ずかしそうに咳払いして、もう一度落ち着いて言葉を続けた。
「要するに、魔物を倒すと“経験値”が溜まって、それがレベルアップにつながるんです」
「……ふむ。魔物を倒すたびに上がるってことは——」
ベルフェの視線が僅かに鋭くなる。
「倒した魔物の魔力を吸収してるから、か」
静かに呟いたその一言に、天音ははっと息をのんだ。
「……え?」
「ああ、魔力は本来、死ねば空へ還る。だがこの仕組みは“吸収と記録”を繰り返す。つまりこのシステム自体が、魔法体系の延長線にある。神か、それに近い存在が作った理だな」
その声音はどこか懐かしげだった。
聞きながら、天音は思わず息を詰めてしまう。
世界の仕組みを数秒で看破してしまうあたり、やはりこの男は“元・神の隣にいた者”だと痛感したのだ。
◇
ベルフェのステータス画面にはこう表示されていた。
Lv:50
「……ご、50!?え、それC級ハンターの平均値なんですけど!?」
「昨日、魔物を殲滅した人がC級!?!?」
「システム、バグってる……!」
「俺の方が聞きたい。あれだけ働いて50とは」
「おそらく倒した魔物分だけでしょうね……」
「なるほど、働いた分しか上がらない。怠惰に厳しい世界だ」
さらっと言うその哲学に、全員の心が刺さる。
◇
さらに、権能欄を見てベルフェが眉をひそめた。
「……“封印中”?」
そこには、既に確認済みの三つの権能が記載されていた。
——無為鍛成
——惰材変質
——怠縛鎖
しかし、その下に灰色で三つの枠が存在し、【レベル不足により解放不可】と表示されていた。
「……わからなかったのはそういう仕組みだったか」
ベルフェがぼそりと呟く。
「つまり、成長すれば残りも——」
「そういうことだろうな。まぁ、焦る必要もない」
軽く笑いながら画面を閉じる。
普通のステータスってどんな感じなんだ?と聞かれた天音は見ますか?と自身のウィンドウを開いた。柔らかな青色の光が部屋に満ちる。
「……“聖女”……レベル314……A級?」
「えへ……一応、聖職者では上の方です」
誇らしげな笑みを浮かべる天音。
そして彼女のスキル欄には、こう記されていた。
——《神託》《浄化》《回復》《祝福》《怪力》
「……“怪力”?」
ピクッ。
「あっ、それは!!!」
耳まで真っ赤にして慌てる天音。
「聖遺物の荷物運びしてたら、いつの間にか……!副産物で……!」
「信仰の筋肉か」
「ち、違いますぅぅぅ!!!」
監視ハンターたちは笑いを堪えきれず、ベルフェはどこか楽しそうに口元を緩めていた。
「……このシステム。神の領域に近すぎるな」
ベルフェが、赤ウィンドウの残光を指でなぞりながら呟く。
「誰が作った?」
「わかりません。最初から“あった”と言われてます。神すら干渉してない、という説もあって……」
「……なるほど。放置された理か」
その言葉に、天音はふと背筋が冷えるのを感じた。
やがてベルフェは大きく伸びをし、クッションを抱えてソファに沈んだ。
「……ステータス便利だな。だが、見ただけで疲れた。寝る」
「早すぎません!?」
「情報量が多いと眠くなる」
天音が呆れ顔でため息をつき、監視ハンターたちは「魔王、休眠モード入りました」と記録をつけた。
◇
夜。
部屋は静かだった。
ベルフェはソファで眠り、胸の上下に合わせて、淡い赤光が静かに明滅していた。
——ぽわっ。
何の操作もないのに、彼の前に赤いステータスウィンドウがふわりと浮かび上がる。
誰もいない空間で、勝手にピピッと文字列が走る。
【特異存在:怠惰の魔王——コード認証開始】
【データベース:異界コード接続】
【対象個体:蘇生体(久禮 尊)】
【アクセス権限:上位承認】
【封印権能:再構築プロセス起動】
ウィンドウが淡く光を残し、霧のように消えた。
——その光景を見た者は、誰もいなかった。
静かな寝息だけが、神と人の狭間で穏やかに響いていた。




