第98話:魔王、再開の配信をみる
色欲の魔王アスモデウスによる“世界規模の配信侵略事件”から、数日後。
世界は驚くほど早く日常を取り戻していた。
ギルド本部では「いや普通に国家転覆未遂案件では?」とか「しかし被害の大半はシステム障害で済んだのは奇跡では?」とか、各所で頭を抱える声が飛び交っていたが、当の元凶たちはというと——わりと平和だった。
◇
「で、なんでお前、そこにいるんだ?」
ベルフェはソファに沈み込みながら、目の前の光景に心底どうでもよさそうな声を出した。
都内某所。
榊原慧の研究室である。
資料の山。
古文書の束。
床には論文らしき紙が散らばり、壁際には年代不詳の土器と最新型ノートPCが並ぶという、考古学者の部屋なのかオタクの魔窟なのか判別しづらい空間。
その部屋の中央、ふわふわのクッションの上にちょこんと座っているのは——白と黒の毛並みを持つ、小さな羊マスコット。
元・色欲の魔王アスモデウス。
現在はすっかり羊(?)の姿に落ち着いていた。
『ここが居心地いいから?』
「疑問形で返すな」
ベルフェの隣で、天音も苦笑している。
「でも本当に、なんで榊原さんのところなんですか?」
『だってぇ』
羊マスコットは前足で自分の頬をもふりと押しながら、さらっと答えた。
『顔だけは、那由多とちょっと似てるんだもん』
室内が静まり返った。
「…………え?」と、固まったのは榊原だった。
「えっ、私ですか!?」
『うん』
「那由多って、あの“那由多”ですよね!?」
『そうだよぉ』
榊原は眼鏡の位置を直しながら、明らかに動揺していた。
「そ、そんな歴史上の重要人物と私の顔が!?」
「いやそこに食いつくんですか……」
天音が引き気味にツッコむ。
『顔“だけ”ね』
ラムちゃん——もといアスモデウスは、さらっと追撃した。
『性格も雰囲気も全然違うけど、たまに角度によっては“あっ”ってなる』
「角度限定なんですか!?」
『あと黙ってるとちょっと似てる』
「じゃあ普段は似てないじゃないですか!?」
榊原が大声で返した直後、ポメ様がやれやれと首を振る。
『うるさい時点でもう別人だろう』
「それはそうですね……」
天音も小さく頷いた。
だが当のラムちゃんは、そんなやり取りを気にした様子もなく、榊原の机の上に積まれた本の山を眺めて尻尾を揺らしていた。
『でもここ、退屈しないんだよねぇ。次から次へと知らない資料が出てくるし、質問したら勝手に三時間くらい喋ってくれるし』
「勝手にとはなんですか!非常に有意義な知識共有ですよ!?」
『あと、研究対象を見る目がキラキラしてて気持ち悪いくらい純粋』
「褒めてます!?それ褒めてます!?」
ベルフェは深くため息をついた。
「……まあ、研究し甲斐があるならいいんじゃないか」
「でも実際、非常に興味深いんですよ!」
眼鏡をきらりと光らせ、榊原は拳を握った。
「色欲の元魔王!しかも完全に消滅したわけではなく、知性も記憶も残したままマスコット化!これは考古学的にも理論魔術学的にも民俗学的にも革命です!!」
『そういうとこは那由多と似てないねぇ』
「会ったことないですよ私は!!」
研究室に、わちゃわちゃした声が響き渡る。
◇
ちなみに元・色欲の魔王アスモデウスの呼び名については、しばらく混乱があった。
アスモちゃんでは、過去の配信侵略を思い出してやや物騒。
アスモデウスは長い。羊マスコット化した今となっては、いまひとつしっくり来ない。
結果。
「で、今後の呼び方どうするんですか?」
天音が何気なく聞いたとき。
『ラムちゃんでよくない?』
本人がそう言った。
「軽っ」
蒼真が思わずツッコむ。
『羊だし、角あるし、語感も可愛いし。今の私にぴったりでしょ?』
「いやまあ……似合ってはいますけど……」
そんなわけで、色欲の魔王アスモデウスは、まさかのラムちゃんというあだ名に落ち着いたのである。
『安直すぎるのじゃ!!』
アラームだけは最後まで不満げだったが、本人が気に入っているのでどうしようもなかった。
◇
そして、ラムちゃんはあれ以降——
配信を再開していた。
ただし今度は、世界侵略のためではない。
純粋に、楽しむための配信である。
「いや、再開って言い方が怖いんですよ」
ギルド本部の一室で、天音はそう言いながらタブレット画面を見せた。
そこに映っているのは、小さな羊マスコットそのままのアバター。
ふわふわの毛並み。
ちょこんとした角。
まん丸の目。
時々ぴょこんと跳ねる耳。
背景もやたら可愛らしい。
しかも妙に配信慣れしている。
『はーい、こんばんはぁ。今日もゆるっと雑談していくよ〜』
『この前教えてもらった人間界のお菓子、想像以上にカロリーの暴力だったんだけど、あれ大丈夫そ?』
コメント欄は流れに流れていた。
【かわいい】
【声がずるい】
【羊なのにトーク強い】
【なんか知らんけど惹かれる】
【今日も来ました】
「……人気ですね」
蒼真が少し引き気味に呟く。
「かなり、らしいです」
天音が頷く。
「元々トークの引きが強いというか、見せ方が上手いというか……」
「そりゃ色欲だったんだから上手いだろ」
ベルフェが興味なさそうに返す。
実際、支配や侵略のためでなくとも、ラムちゃんの配信には不思議な吸引力があった。
それは理で強制しているわけではなく、純粋に話術と間の取り方と、相手の欲しがるものを察する感覚が飛び抜けているせいだった。
配信を見ていた榊原が、なぜか腕を組んで頷く。
「これは理論上当然です。相手が今なにを求めているかを察知する能力が、元魔王級の精度で残っているわけですから」
『これでも魔王だったからねぇ』
研究室の隅で本人ラムちゃんがふふんと胸を張る。
『もう支配とか抜きで、普通に楽しいし』
「楽しんでるなら何よりですけど……」
天音は複雑そうに笑った。
「元・世界侵略魔王が、今や人気配信者って字面が大変なんですよね……」
「いまさらだろ」
ベルフェはクッションに頬を埋める。
「うちの周り、だいたい字面が大変だぞ」
それは否定できなかった。
◇
だが、この状況に最も強い衝撃を受けていた者がいる。アラームである。
『ぐぬぬぬぬ……』
タブレット画面を食い入るように見つめながら、アラームはしっぽをぴくぴく震わせていた。
『なんじゃあの理想のムーブは……!視聴者の心を掴み、自然に求めさせ、しかも押しつけがましくない……!元・色欲の魔王、やはり恐るべしなのじゃ……!』
完全に対抗心を燃やしていた。
しかも厄介なことに、嫉妬の魔王である。
対抗心を持つと、かなり面倒くさい。
『ベルフェ!』
アラームが勢いよく振り向く。
「……なんだ」
『妾も配信機材を揃えるのじゃ!!』
室内が静まり返る。
「やめとけ」
ベルフェが即答した。
『なぜじゃ!?』
「またろくなことにならない」
『支配とかしないのじゃ!純粋に見られたいだけなのじゃ!』
「言い方がもう危ない」
蒼真が真顔でツッコミ、天音も苦笑した。
「でも確かに、アラームちゃん絶対コメント欄気にしそうですね」
『気にするに決まっておる!“かわいい”が少なかったら落ち込むのじゃ!』
「面倒くさっ」
蒼真の本音が漏れた。
ラムちゃんはそんな様子を見て、ころころと笑う。
『あー、それは向いてないかも。配信ってね、見られたいだけじゃ続かないんだよ?見られた上で、楽しませるのが面白いの』
『くっ……!』
アラームが言葉に詰まる。
目の前で理想的な“見られ方”を披露された元嫉妬の魔王は、完全に火がついてしまっていた。
『やはり機材じゃ……!まずは形から入るのじゃ!!』
「そこなんだ……」
天音が呆れ半分で呟く。
ベルフェはクッションに埋もれながら、静かに目を閉じた。
「……面倒がまた増えるな」
だが、その声には以前ほどの緊張感はなかった。
色欲の魔王はもういない。
残っているのは、研究室に住み着いた羊マスコットと、妙に人気の配信チャンネル、そしてそれに対抗心を燃やす蛇だけである。
世界は、たぶん平和だった。少なくとも、今この瞬間は。
——もっとも。後に“嫉妬の魔王、配信機材を揃えようとしてギルド経費申請を出す”という、別方向に頭の痛い事件が起こるのだが。
それはまた、別の話である。




