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日本の境界線

掲載日:2025/10/19

駅前ロータリーの時計は午前零時を回っていた。小さな交差点に灯る街灯が、泥だらけのアスファルトを冷たく照らしている。石黒はタバコに火を付ける代わりにポケットからスマホを取り出し、とあるメモを見返した。メモの一行は何度読んでも震えていた。

「〇〇〇人の男が少女を傷つけ逮捕。執行猶予中、再犯の疑い。」

ニュースは簡潔だった。だが、言葉の後に続く空白が町...否、国を変えた。

翌朝の駅は別世界だった。通勤客の視線が交錯し、外国語を話す者が一瞬で丸裸にされたような気配が走る。コンビニの店員が深く息を吐く。近所の公園からは子供の声が消えた。石黒は原稿を書きながら、いつもの冷めた好奇心とは別の熱を感じていた。怒りだろうか、恐怖だろうか。自分でも判別がつかない。

取材を進めると、事実は幾重にも折り重なっていた。被害者の家族は表に出ないことを選んだが、近所では父親が深い溜息をつきながら通報した日のことを何度も繰り返していた。弁護士は「保護者、被害児童のケアが最優先」と言い、地方議員は記者会見で「厳罰を」と声を張る。だが、石黒が最も気になったのは、法と現場の間にある“穴”だった。

一年前、この男は別件で執行猶予を受けていたという。地域福祉の担当者が言う。

「再発防止のために何ができるか、という話はしていました。ただ、担当者の入れ替わりや予算の不足、言葉の壁——それらが重なって、監視と支援の継続が途切れてしまったんです。」

石黒は通訳を伴って近隣の〇〇〇系商店を回った。店主の眉間には疲労の線が深く刻まれている。隣の席では子どもがアイスを舐め、何も知らない顔で笑っている。

「彼らは皆一緒じゃないよ」と店主は低く言った。「うちの息子も学校で白い目で見られる。事件の当事者は同じコミュニティの人かもしれない。でも、だからって全員に正義という暴力を振りかざすのは違うと思う。」

同時に、SNSのタイムラインは炎上していた。匿名アカウントが断片的な情報を拡散し、次第に憎悪が膨らんでいく。石黒はそのスピードに背筋が寒くなった。人々は手に入る最初の「大義名分」、次に手に入る「敵」を求め、説明責任を果たすべき制度の不備を見落としていた。

裁判のニュースが流れた日、石黒は法廷を出て、市役所の前で話を聞いた。再犯防止プログラムの担当者は記者に向かい、声を絞った。

「我々のシステムは、個々のケースに対応する余地が少ない。特に在留や言語の問題が絡むと、支援は断片的になりやすい。そこに隙間が生まれる。」

被害者の声はビデオリンクで届けられた。石黒は映像を見ながら、言葉よりも沈黙にこそ重みがあることを思った。被害の具体的な描写はいらない。残るのは、消えた日常と取り返しのつかない時間だ。

夜、石黒は原稿を書く。見出しは既に決まっている気がしたが、彼は敢えて長めのタイトルにすることにした。単純な怒りを煽るだけでは何も変わらない。読者が次に何をすべきかを示さなければ意味がない。

原稿の最後に、石黒はこう書いた。

「罰だけでは終わらない。監視と支援の連続性、審査の透明性、被害者支援の実効性——この三つが、今この国が直視すべき課題だ。『誰がやったか』を記すことは事実を伝えることだが、それをもって『みんな悪だ』と断じることは正義ではない。被害を二度と起こさないために、我々がまず問うべきは『どのように社会の隙間を埋めるか』である。」

記事は反響を呼んだ。ある街角では、被害者支援のための募金箱が静かに置かれた。別の場所では、地域防犯会議が開かれ、通訳や福祉官、警察の担当者が席を並べた。もちろん、ヘイトスピーチの書き込みも消えなかったし、恐怖に駆られて差別的な行動を取る者もいた。その現実から目を背けてはならない。

石黒は最後にもう一度、〇〇〇系の商店へ戻った。店の奥で母親が子どもに宿題を見せている。目は疲れているが、どこかしなやかさがある。

「この記事で何かが変わると思いますか」と店主が訊いた。

石黒は煙のない空気を吸い、答えた。「すぐに全部は変わらない。でも、小さな動きが積み重なれば、必ず何かは変わる。怒りをただ消費するだけでは、何も残らないと思います。」

店主は微かに笑った。アイスを持った子どもが足元を蹴って床に走る。外では夕立が始まった。水は舗道の汚れを一度だけ洗い流す。それを見て、石黒はペンを置いた。物語はまだ終わっていない。だが動きは生まれていた。ほんの小さな、無駄な一歩が。

私がこの物語を通じて読者に伝えたいのは、怒りを消費するだけでは何も変わらないということです。

自己満足で終わってしまうので。

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