⑨悩むマヤリィ
流転の國。
ここは誰もが心穏やかに健やかに過ごせる自由の國である。
そんな流転の國を統べる最高権力者マヤリィは『宙色の大魔術師』と名高い世界最高の魔術師でもある。
誰よりも気高く美しくそして優しすぎる支配者と呼ばれてきた彼女だが、その優しさはいつしか自分の配下達にのみ適用されるようになったらしい。
天よりの侵入者に配下二人を殺された後、静かな怒りを内に秘めたマヤリィは、人知れず天界を襲撃し、その場にいた天使達を一人残らず葬った。
今、この世界に存在する天使はただ一人。
マヤリィに絶対の忠誠を誓い、配下となった女天使ティーメだけである。
彼女は、流転の國の仲間であるユキとバイオを殺した天使アルトの妹で、無謀にもマヤリィに戦いを挑んだが敗北。自害することも許されず、兄が犯した罪を償うと決意してマヤリィの配下となった。
その後、攻撃魔法を全て手放したティーメだが、白魔術の適性があることが分かり、白魔術大国である桜色の都の魔術学校への留学を命じられたのだった。
「…そういえば、姫。今更ですが、ティーメは『国家機密』の存在を知っていますよね?彼女が留学中に誰かに話す可能性については考えてあるんですか?」
ティーメを送り出した後、ジェイが思い出したようにマヤリィに訊ねる。
『国家機密』とは、勿論ルーリのことだ。流転の國のNo.2でありマヤリィの切り札であるルーリの存在は、桜色の都のヒカル王にさえ教えていない。
「当たり前でしょう?ティーメには『黙秘』の魔術をかけてあるわ。例えば、誰かに流転の國について聞かれて知っていることを説明しようとしたところで、話すことは出来ないの。ルーリのことは勿論、他の者達に関する詳しい情報もね。それと、ヒカル殿にはティーメが私の直属の配下であることは伏せてある。設定はこうよ。流転の國に顕現したはいいが全くの未熟者なので、当面の間はクラヴィスが上司として面倒を見ることになり、まずは魔術を習得させる為に留学させることを希望した。…クラヴィスの頼みとあらばヒカル殿は絶対に断れないでしょうから」
マヤリィは説明を終えると、哀しそうな目を向けて、
「…あの時、彼女を殺しておけばよかったかしら」
ジェイに問う。
「何が正解なのか分からないのよ。…かつてバイオの『天界滅亡計画』を阻止したことで、今回の悲劇が起きてしまった。そして、ティーメを生かしたことで皆を…特にシロマを悩ませることになってしまった。…ジェイ、教えて頂戴。私は間違っているの…?」
マヤリィはため息をつく。
「…姫。この世界では、何が正しくて何が間違っているかを最終的に決められるのは貴女だけですよ。流転の國の皆はそれぞれの価値観を持ちつつも貴女の命令だけに従いますが、異世界から来た僕達とは違う常識を持っています。そんな彼等の気持ちを考えながら、今回のような出来事に対して皆が納得する判断を下すのは難しい。僕もこの世界に来てから色々考えましたが、結局のところ流転の國は貴女の一存でどうにでもなるんです。今回は貴女がティーメを生かしたことでシロマが意義を唱えたそうですが、本来ならば『私の決定に従え』の一言で黙らせることが出来たんですよ。だから、女王である貴女が優しすぎる支配者であろうと残酷な絶対的君主であろうとどちらでも構わないと僕は思います」
ジェイはそう言ってから、急に話の方向性を変える。
「長々と話してしまいましたが、これだけは忘れないで下さい。僕は姫を心から愛している。貴女の病気を治し、貴女に幸せな日々を送ってもらいたい。それを実現する為に僕はここにいるんです」
マヤリィはそれを聞くと、
「ジェイ…。貴方の心だけは真実ね…」
そう呟いてジェイを抱き寄せた。
「私も…貴方のことが大好きよ。ずっと傍にいて頂戴。この先何があっても、私を支えていて」
「はい。約束します。僕は貴女から絶対に離れません」
マヤリィを優しく抱きしめるジェイ。
もう言葉は要らなかった。二人はしばらくの間、そのまま動かなかった。
それから、ひと月あまり経った頃。
「ご主人様…!急ぎ報告したいことがございます。この場で申し上げることをお許し頂けますでしょうか!?」
流転の國と桜色の都を繋ぐ連絡係を務めるクラヴィスが玉座の間に駆け込んでくる。
「落ち着け、クラヴィス。マヤリィ様の御前だぞ。…桜色の都で何かあったのか?」
マヤリィの代わりにルーリが応対する。
「はっ!ティーメのことにございます」
「いいわよ、話しなさい」
その名を聞いて、マヤリィが許可を出す。
「はっ!畏れながら、申し上げます。先ほど、桜色の都から書状が送られてきたのですが…」
「見せて頂戴」
「はっ!」
クラヴィス宛の手紙を開くマヤリィだが、その内容を見て思わず手が止まる。
「っ…」
「マヤリィ様、いかがされましたか?」
僅かな表情の変化を見逃さず、ルーリが心配そうに聞く。
「…ティーメが、死んだそうよ……」
その瞬間、玉座の間は静寂に包まれた。