⑤支配者の変貌
マヤリィ様。「報復は無意味」だとティーメに語りかけた貴女はどこへ…?
……気が変わったのよ。
玉座の間にはルーリが待機していた。
他の皆は下がらせたので、二人だけで話をする。
「マヤリィ様…」
ルーリはマヤリィの姿を見ると、その場に跪いた。
「ご主人様。此度は誠に申し訳ございません。最高権力者代理というお役目を与えられていたにもかかわらず、私は流転の國を守ることが出来ませんでした。天使の侵入に気付けなかったばかりでなく、大切な仲間を死なせてしまいました。全ては私の判断ミスによって起きた大惨事にございます。本来ならば重い罪を犯してしまった私は投獄されて然るべきですが、本日は非常事態ゆえに貴女様のご命令に従わせて頂きました。…ご主人様。もはやこの私に最高権力者代理を務める権利はございません。どうか、ユキとバイオを死なせてしまったこの愚かな配下に罰をお与え下さいませ」
そう言ってひれ伏すルーリ。
彼女のこんな姿を見るのは初めてだ。
「ルーリ……」
「あの時、侵入者の元へ二人を行かせてしまったことは悔やんでも悔やみきれない事実にございます。私はこれからずっとこの罪を背負って生きて参ります」
「顔を上げなさい、ルーリ」
マヤリィは優しくルーリに語りかける。
「…ルーリ、此度は本当にご苦労だったわね。私が國を離れていたせいで貴女につらい思いをさせてしまったこと、本当に申し訳なく思っているわ」
そう言いながらルーリの手を握るマヤリィ。
「ネクロから話は聞いているわ。貴女はユキとバイオの意思を尊重して、侵入者の拘束を命じたとね。貴女はそれを判断ミスだと悔いているようだけれど、私がその時その場にいたとしたら同じ判断を下していたと思う。だから、これは不運としか言いようがない。相手は予想外の魔力を持ち、ユキとバイオを凌駕する天使だったのだから。……本当は、こんなことを言ってはいけないのでしょうけれど、二人を殺した残忍な天使をネクロが自害に追い込んでくれてよかったと思っているの。皆も知っている通り私は誰も殺したくないし、傷付けることもしたくない。…でも、あのアルトと言う天使だけは今生きていたら間違いなくこの手で殺すわ。ユキとバイオが受けた以上の苦痛を与えた上でね。…私は誰に対しても優しいわけではないのよ、ルーリ」
優しい声で恐ろしいことを言う。
「二人のことは本当に残念だったけれど、その責任を貴女が一人で負う必要はないの。此度の出来事の全ての責任は、貴女の主人である私にある。それだけは忘れないで頂戴。…それと、悪いのは貴女でも私ではなく、二人を殺した天使だけよ。……あいつだけは許さない。いいえ、あの者を流転の國に嗾けた天界だって、許すことは出来ない…!」
途中まで冷静に話していたマヤリィは、急に殺気立ったかと思うと、すぐに落ち着きを取り戻した。
「私が話したこと、分かってくれたわよね?貴女は最高権力者代理の役目を立派に果たしてくれた。だから、もう自分を責めることはしないで頂戴。これは私の命令よ」
「はっ!」
それ以上何も言えず涙を流すルーリ。そんな彼女を優しく抱きしめるマヤリィ。
「貴女は何も悪くないの。それはこの國にいる全員が知っているわ。…つらい思いをさせてごめんね、ルーリ」
「マヤリィ様ぁ…!」
いつもと変わらないマヤリィの優しい微笑みと慈悲深い言葉は、悲しみと苦しみと後悔の海で溺れていたルーリを救った。
「マヤリィ様、私は…」
ようやく落ち着いたルーリが何か言おうとすると、
「今は何も言わないで頂戴」
マヤリィに止められた。まだ謝り足りない彼女の気持ちが分かっているから。
「…ねぇ、ルーリ」
代わりにマヤリィが話し出す。
「これから皆を玉座の間に集めてくれるかしら。二人目の天使の処遇について、私から皆に説明するわ」
「はっ!畏まりました、マヤリィ様」
「私は…もう少し用事があるから……。皆には急がなくて大丈夫だと伝えて頂戴。…任せたわよ、ルーリ」
「はっ!これより皆に『念話』を送らせて頂きます」
ルーリはそう言って頭を下げると『念話』を発動した。
「マヤリィ様。私はこちらで待機させ……。マヤリィ様?」
『念話』を送っていた僅かな間にマヤリィの姿は消えていた。
「マヤリィ様…。貴女様は今、どちらに行かれたのでしょうか…?」
不思議に思って『魔力探知』してみると、マヤリィの魔力は今この國の中には感じられない。
「マヤリィ様…貴女様はもしや……」
ルーリは先ほどのマヤリィの言葉を思い出す。
『「あいつだけは許さない。いいえ、あの者を流転の國に嗾けた天界だって、許すことは出来ない…!」』
(いや、まさかあのマヤリィ様が…。私の考えすぎだよな?少し用事がある…それだけ…ですよね、マヤリィ様…!?)
そうです。少し用事があるだけです。
『宙色の魔力』を使って天界を滅亡させるというちょっとした用事があるのです。
「お、お前は…!」
「まさか…宙色の大魔術師…!?」
ティーメの帰りを待っていた天使達は思わぬ人物の登場に恐れ慄いた。
「さぁ、教えてもらいましょうか。『双子の大天使』を流転の國に嗾け、私の大切な配下達を死に至らせたのは誰かしら!?」
「…………」
天使達は恐ろしさのあまり口も利けない。
「…こんなことなら、あの時バイオの計画を後押ししてあげるべきだったわね。私も…判断ミスを犯したのかもしれないわ」
マヤリィはそう言うと、天界全体に魔力圧をかける。
「お、お願いです…もう二度と貴女様の國を脅かすようなことはしません…!」
「どうか、お助け下さい!慈悲深き宙色の大魔術師様……!」
天使達は必死で命乞いをする。
が。
「悪いわね。貴女達と交渉する気は全くないの。黙って死んで頂戴」
その瞬間、宙色の耳飾りが今までにないほど眩い光を放つ。
「悪魔よりも遥かに残忍な天使達に然るべき報いを与えましょう。『宙色の呪印』発動せよ」
マヤリィはそう言うと、魔術の行方も確かめずにその場を離れたが、度重なる爆発音が天使達の最期を告げていた。
「…ティーメ。悪く思わないで頂戴…。流転の國を脅かす元凶は最初に潰しておくべきだったわ…」
その頃、玉座の間では皆がマヤリィの登場を待っていた。
「ルーリ、この音は何なの?遥か上で爆発が起きているような音だけど…」
ミノリがルーリに訊ねるが、彼女は黙って首を振る。予想はつくが状況は分からない。
「これは…まるで『星の刻印』が連続で爆発しているような音ですわね」
シャドーレが言う。
「『星の刻印』の上位互換…といったところでございましょうか。だとすれば、なかなか恐ろしい魔術ではありますが、標的は我々ではないようですな」
ネクロが言う。
「皆様、念の為『硬守壁』を顕現致します。今度こそ、全員を守らせて下さいませ…!」
ランジュが言う。
皆よりも長い時間を訓練所でともに過ごしてきたバイオを失ったランジュ。彼は『流転の斧』を取り出し、壁を作ろうとする。
しかし、
「ランジュ、その必要はないわ。大丈夫よ」
マヤリィが現れ、彼を止める。
「ご主人様…!」
皆はマヤリィの姿を見ると、すぐに整列してその場に跪いた。
「皆、此度のことはルーリとネクロから聞いているわ。大変な時に流転の國を離れてしまっていたことを許して頂戴」
「はっ!」
マヤリィの言葉に皆は頭を下げる。
既に爆発音が止んでいることに注意を払う者はいない。
「ユキとバイオがこの國の為に戦ってくれたことは聞いているわ。…本当に残念だった」
マヤリィは沈痛な面持ちで話す。
「…シロマ。全力を尽くして二人の蘇生にあたってくれたこと、感謝しているわ。…ミノリ。二人の亡骸を丁寧に扱ってくれてありがとう。…皆。この國でユキとバイオと過ごした時間を決して忘れないで頂戴。…私も、絶対に忘れないわ。二人はいつまでも私の大切な配下よ」
「ご、ご主人様ぁ…!」
それを聞いて一番に泣き出したのはミノリだった。
「ご主人様…。お二人を助けることが出来ず…申し訳ありません…」
シロマも涙を堪えきれない。
「…………」
ルーリはもう何も言えなかった。
「畏れながら、マヤリィ様。首脳会談は二日間の日程だったのではございませんか?それに、ジェイ様はどちらに…?」
皆の様子が落ち着いてきた頃、シャドーレが不思議そうに訊ねる。
確かに、マヤリィと一緒に桜色の都に行ったはずのジェイがいない。
「『変化』よ」
シャドーレの問いにマヤリィが答える。
「二日目は会談というより、王宮を案内してもらったり『クロス』の訓練所を視察する予定になっていたから、ジェイを私の姿に『変化』させたの。だから、ヒカル王は今もマヤリィと一緒にいるわ。偽者だけれどね」
「そういうことにございましたか…!」
特に難しい話をする予定のない二日目だったからこそ、マヤリィは帰ってくることが出来たのだ。
それにしても『変化』率が高くないですか?
一瞬とはいえマヤリィに『変化』したアルト。
素でマヤリィのふりをしていたネクロ。
ルーリに『変化』したマヤリィ。
そして今現在もマヤリィに『変化』しているであろうジェイ。
「私がルーリに『変化』したのは、天使がどこまで私達の情報を掴んでいるか知る為よ。…もっとも、すぐに『忘却』魔術をかけるつもりでいたけれど」
マヤリィの話を聞きながら、ネクロは今朝の会話を思い出していた。
側近のジェイは急に体調を崩した為、先に流転の國に帰したという言い訳を用意して、朝早くに流転の國に帰還したマヤリィ。
その時、アルトと戦ったネクロが詳細を説明したのだ。
「…では、もう一人が今日攻めてくる可能性が高いということになるわね」
「はっ。昨日のように私が応戦する予定にございますが…ご主人様には何かお考えがあるようですな」
「ええ、その通りよ。…ネクロ。これから現れるであろう侵入者との戦いを私に譲ってくれるかしら」
いつになく真剣な表情でネクロを見据えるマヤリィ。
「畏まりました、ご主人様。…それでは、私は『魔力探知』に集中させて頂きますぞ」
「…そうね、そうして頂戴」
マヤリィはそう言うと、まずはアルトが侵入したという水晶球の間に『転移』したのだった。
(そういえば…天界の『魔力探知』が出来ない…?)
皆が今度はジェイの心配をしはじめた頃、ネクロは天界の魔力が感じられないことに気付いた。先ほどまではご主人様の話に集中していたので気にも留めなかったが、話がひと段落した今、ネクロの高度な『魔力探知』はとんでもない事実に行き着いてしまった。
(ご主人様…!貴女様はもしや天界を…!?)
ネクロは硬直するが、皆は何も気付いていないと見える。
「…マヤリィ様に『変化』したジェイ様も見てみたいですわね」
「ミノリもご主人様のお姿になりたいです!」
「…いや、それはあまりに畏れ多い。ジェイは任務の為にマヤリィ様から許されたんだし」
「許可したというより命令したのだけれど…まぁ、どちらでもいいわね」
微笑みながら皆と会話するマヤリィ。
そんな主を見てようやく笑顔になる配下達。
気高く美しく優しすぎる流転の國の主様。
しかし、彼女は容易く天界を滅ぼす支配者へと変わってしまった。
突然ですが、マヤリィの病気の説明を。
双極性障害は躁状態と鬱状態を繰り返す精神病です。
何にも興味を持てず気力もなく落ち込んだ鬱に対し、躁は気持ちが高ぶったり急に活動的になったり衝動的に何かをしてしまうことがあります。
どうしても天界を許せなかったマヤリィ様ですが、まさかここまでやるとは誰も思わないことでしょう。
ついさっきティーメを諭したばかりなのに…。
前回→「私は貴女を殺したくない。報復を続けたところで何の意味があるというの?」
今回→「あいつら絶対許さねぇ(意訳)」
前回ティーメに言ったことと今回やったことがこんなにも乖離してしまっているマヤリィはやはり正常な精神状態ではありません。
既に爆発音の正体に気付いているルーリ。
『魔力探知』の結果を知って恐れ慄くネクロ。
ある意味、ようやく支配者らしい厳しさを見せたマヤリィ様ですが、確実に人間味は薄れてきました。