④新しい配下
「…ようやく姿を現したか。流転の國最高権力者代理、閃光の大魔術師ルーリよ」
白い翼を広げ、光り輝く剣を携えた天使が不敵に笑う。
ルーリの顔も名前も最高権力者代理であることも知っている目の前の天使。
背格好はルーリと変わらず、琥珀色の瞳と栗色の長い髪を持った美しい女である。
「もっとも、そなたの存在を突き止めたのは我ではない。我が兄アルトが自らの命と引き換えに得た情報だ。…あの黒魔術師にはまんまと騙されたがな」
彼女はそう言って一瞬だけ悔しそうな表情を浮かべると、剣の切先をルーリに向けた。
「さぁ、始めようか。流転の國のNo.2であるそなたを消した後は、兄の仇である黒魔術師から順番にこの國の者共を殺して『大天使』の恐ろしさを教えてやろう」
流転の國の情報を得ただけで既に勝った気でいる天使の長い話を黙って聞くルーリ。
「…さて、閃光の大魔術師ルーリよ。雷系統魔術に対する完全な耐性を持つこの我とどうやって戦うか教えてくれぬか?」
そう言うと、彼女は魔術の詠唱を始める。
たぶんそれはそれなりに高度な魔術なのだろうが、詠唱破棄が基本の流転の國においては後手に回るだけだ。
彼女が詠唱を始めた時、ずっと黙っていたルーリが口を開く。
「…とりあえず、貴女が今使うべきは『暴露』魔法だと思うわよ?」
「……?」
「あら、気付いていなかったの?」
「え…?」
天使は思わず詠唱を中断して目の前のルーリを見る。
黒いドレスを身に纏い、ブロンドのウェーブヘアに灰色がかった碧い瞳、透き通るような白い肌をした絶世の美女。『流転の閃光』を自在に操る雷系統魔術の天才。兄から受け取った情報に間違いはないはずなのに…!
っていうかアルトさん、実は絶世の美女に会いたかったのでは?
しかし、彼女はそれどころではない。
「まさか…偽者なのか…!?」
戸惑う天使を前に、ルーリは指を鳴らす。
その瞬間、一番恐ろしい人物が姿を現す。
「私の『変化』魔法はいかがだったかしら、天使さん?…それはそうと、名前を聞いていなかったわね。どうせ、こちらの情報は全て知っているのでしょうけれど」
天使達がそういう奴らであることはよく知っている。
「ふふ、本当に気付かなかったのかしら?…では、改めて名乗りましょう。我が名はマヤリィ。流転の國の最高権力者にして、この世に存在する全ての魔法を司る魔術師よ」
マヤリィがそう言うと、宙色の耳飾りが光り輝く。
「…さ、さようであったか。…そなたとは最後に戦いたかったが、まぁいいだろう。我とて、ここまで来て退くわけにはいかぬからな。…我は天界より参りし大天使。そなたの配下に追い詰められ自害したアルトの双子の妹ティーメだ。言っておくが、我が持つ耐性は雷魔術だけではない。…果たして、魔術師であるそなたが我にダメージを与えることは出来るのか?」
台詞がいちいち長い。
「それはやってみないと分からないわね。『潮騒の幻惑』」
マヤリィは手っ取り早く済ませたいので、幻系統魔術を発動する。
詠唱破棄の発動に驚いたティーメは瞬く間に潮風に包まれる。
「ま、幻系統魔術など、我には効かぬ!このような潮風など……」
必死に抗おうとするが、次第に身体の力が抜けていく。
ティーメさん、本当に耐性あるの?
「くっ…。我は…水なんて嫌いだ!!」
潮風とともに迫る波の音。言うまでもなく幻だが、ティーメは耳を塞ぐ。
しかし、その程度で防げる魔術ではない。
「…そう。貴女は水が苦手なのね」
天使が惑わされているのを冷静に観察しながら、マヤリィが呟く。
「本当なら、バイオに魔術を使ってもらうところなのに」
ティーメの双子の兄であるアルトによって『星の刻印』を刻まれ、ユキとともに殺されたバイオ。
その時、マヤリィは桜色の都にいた為、彼女達を守ることが出来なかった。
「『流転のクリスタル』よ、亡き主の遺志を継ぎ、私に力を与えなさい」
力を与えられなくても魔術を発動することは出来るが、敢えてバイオに授けたマジックアイテムを取り出すマヤリィ。
「『流転の水刃』!愚かな天使を切り裂け!!」
えっ?マヤリィ様、殺すつもりですか??
「くっ…。殺すなら殺せ!」
ティーメはその場に崩れ落ち、床に手をついてうなだれる。
幻惑の次は水系統魔術。偉そうなことを言ったはいいが、どちらの耐性も持ってはいない。
「いいえ、私は貴女を殺したくないわ。私が甘すぎる支配者だということは知っているでしょう?…残念だったわね」
「いや、しかし…今、我はその刃で切り裂かれたのではなかったか?」
ティーメはそう言いながら自分の手を見るが、どこにも傷はない。身体の痛みもない。最初からマヤリィはティーメを傷付けるつもりはなかったらしい。
「されど…確かにそなたは水系統魔術を発動した…」
混乱するティーメにマヤリィは残酷な事実を告げる。
「ええ、私は確かにこの水刃で切り裂いたわよ。…貴女の髪の毛をね」
「なっ…!」
その時、初めてティーメは自分の髪を触る。
水刃からあふれ出す水に気を取られて、髪を切られたことには全く気付かなかった。
「そんな…!」
周囲を見回すと、大量の髪が散乱している。濡れた床に落ちた髪の毛はとても触る気にはなれない。
「我の髪が…!」
ティーメの髪は無造作に切られていた。
そんな彼女を見て、マヤリィは言う。
「やはり貴女も天使の女性なのね。以前、ユキが言っていたわ。長く美しい髪は天使の女にとって、とても大切な物だとね」
「くっ…」
既に幻系統魔術も解けているが、ティーメは髪を切られたショックで完全に戦意喪失していた。
「…仕方ないわね。後で色々喋ってもらうとして、これから貴女をヘアメイク部屋に連れて行きましょう」
マヤリィ様、やはり行き着く先はそこなんですね?
ティーメが何を仕掛けてくるか分からないので、マヤリィはとりあえず『能力強奪』魔術を使い、彼女から『星の刻印』を発動する力を奪った。さらに、念の為ヘアメイク部屋には結界を張り、ルーリを呼んだ。
「お呼びでしょうか、ご主人様」
「よく来てくれたわね、ルーリ」
嬉しそうなマヤリィに対し、ルーリは深く頭を下げたまま言う。
「畏れながら、ご主人様。私は貴女様に合わせる顔がございません…」
「そんなこと言わないで、顔を上げなさい。これから貴女に頼みたいことがあるの。命令よ」
「はっ。畏まりました、ご主人様」
その時、『能力強奪』魔術のせいで意識が朦朧としていたティーメがようやく本物のルーリに気付いた。
「そなたが…流転の國のNo.2…!」
「ああ。私の情報は既に抜き取られているんだったな。…いかにも、私がルーリだ。流転の國最高権力者代理にして雷を司る魔術師。そして、今からお前の髪を切る美容師でもある」
「っ…!」
本物のルーリは威厳に満ちた声でそう名乗ると、椅子に『拘束』されているティーメを見下ろす。
「そなたが…本物のルーリ…」
ルーリは先ほどマヤリィが『変化』していた時と全く同じ格好をしていた。
黒いドレスは喪服を表しているのだろう。
「ルーリ、わざわざ悪いわね。シェルが留守だから、貴女しか人の髪を切れる人がいないのよ」
「とんでもございません、ご主人様。貴女様のご命令とあらば、無謀にも我が國に侵入した罪人の髪だとしてもお切り致します」
ルーリはそう言って恭しく頭を下げると、打って変わって厳しい表情になる。
「まさか天使の髪を切ることになるとはな。…自慢の髪だったのだろうが、身体が無事なだけ有り難いと思え。偉大なるご主人様の温情なのだからな」
そして、ルーリは手早くティーメのざんばら髪を切り揃え、ボブヘアに仕上げた。
「こちらでよろしいでしょうか?ご主人様」
「…ご苦労だったわ。相変わらず貴女は器用ね」
「勿体ないお言葉にございます、ご主人様」
二人が話している間、ティーメは自らの変わりように戸惑っていたが、騒ぎ立てることもなく、静かに自分の運命を受け入れているようだった。
「…さて、これでようやく落ち着いて話が出来るわね」
マヤリィはティーメを『拘束』したまま、自分も椅子に座って話し始める。
「最初に聞きたいことがあるわ。昨日、貴女のお兄さんは何の為にここに来たの?」
「それは…自分の魔術の強さを測る為だ。しかし、天界で発動するには兄の魔力は強すぎた。それゆえ、その場にいた天使の助言で、流転の國を吹っ飛ばす勢いで全力で魔力を使うと言って出かけて行ったのだ」
ティーメは素直に何でも話した。
「我と兄は『脳内伝達』によって情報の共有が出来るゆえ、兄が死んだことを知った私がそなた達を殺しに今日ここに来たというわけだ。兄は情報収集が得意だった為、我はそなたが秘匿しているルーリの存在も突き止めた。そして、同時に宙色の大魔術師が不在であることを知り、まずはルーリを葬りにやって来たというわけだ」
「…………」
マヤリィはしばらく黙っていたが、静かな声でティーメに言う。
「貴女のお兄さんはそんな理由で私の大切な配下を殺したのね…。しかし、彼は私の配下である黒魔術師に追い詰められ、自ら命を絶った。そして、貴女は兄を自害に追い込んだ流転の國を滅ぼす為にここに来た。…けれど、貴女は間違っているわ。これ以上お互いに殺し合って何の意味があると言うの?報復を続けたところで、憎しみや悲しみが増えるだけよ」
マヤリィは諭すように話す。
「先ほども言ったけれど、私は貴女を殺したくないの。だから、落ち着いたら天界に帰りなさい。そして、もう二度と私の國に来ないで頂戴」
「いや……我は戻れない」
「……?」
「我はもう天界には戻れないのだ…。自分の魔力を過信し、我ならば兄を追い詰めた魔術師も流転の國のNo.2も殺せると言って、天界を飛び出してきた。…しかし、結果はこのザマだ。今更どんな顔で天界へ帰れと言うのだ?」
同程度の魔力を持つアルトが死んだ時点で歯が立たない相手だと分かっても良さそうなものだが、それでもここに来るしかなかったのだろう。
(本当に馬鹿な奴だな…)
一緒に話を聞いていたルーリはそう思ったが、マヤリィの手前、口にはしなかった。
「宙色の大魔術師よ、どうか我を殺してくれ。我を殺すことで、この無意味な戦いに終止符を打ってくれ」
そう言って頭を下げるティーメだが…
「お断りよ」
マヤリィは彼女の望みを一蹴すると、物凄い勢いで魔力圧をかける。
「貴女、私の話を聞いていなかったの?」
「っ…!」
ヘアメイク部屋に亀裂が入るほどの魔力圧に震え上がるティーメ。
「私は貴女を殺したくないと言ったでしょう?」
「ど、どうしても…我を殺してくれないのか?」
「ええ。殺してあげない」
やっとの思いで声を出すティーメに対し、マヤリィは珍しく偉そうに言う。
「自害することも…許されないのか?」
「…貴女、まだ自分の立場が分かっていないようね」
マヤリィはそう言うと、アイテムボックスから取り出した水をティーメに浴びせる。
「うぅ…」
よほど水が苦手なのか、ただの水だというのに弱っている。
(こいつは何なんだ…?)
ルーリは不思議そうにティーメを見る。
(水に弱いとか、魔術以前の問題じゃないか…?)
そう思いつつ、二人の会話を黙って聞く。
「そうね…帰る場所がないと言うのなら、私の配下にしてあげてもいいわ」
マヤリィは言う。
「ユキとバイオを殺した天使の妹である貴女を皆が素直に受け入れてくれるかどうかは分からないけれど、最高権力者の私が認めたと言えば逆らう者はいないから大丈夫よ。…本来ならば殺人未遂の罪でこの國に拘束、拷問の後で処刑するべきなのでしょうけれど、この私が許可しない限り、誰も貴女にそんなことしないわ」
優しい声に反して、魔力圧は強くなる一方だ。
「結局、貴女に残された選択肢は二つよ。恥を忍んで天界へ帰り二度と我が國の者に危害を加えないと約束するか、流転の國に留まり私に絶対の忠誠を誓うか、どちらかを選んで頂戴」
ティーメは今すぐにでも自爆したいが『星の刻印』の能力は先ほど取り上げられてしまい、他の魔術さえ発動出来ない状況にある。それに、いくらお願いしたところでマヤリィは自分を殺さないだろう。
これ以上、憎しみも悲しみも重ねたくない。
先ほどのマヤリィの言葉を思い出し、ティーメは決断する。
「…宙色の大魔術師…様」
ティーメは必死で慣れない敬語を使おうとする。
「我…いえ、わたくしを…貴女の配下に加えて下さい、ませ…」
丁寧な言葉遣いは苦手である。
マヤリィはそれを聞くと、
「ティーメ。今の貴女の言葉は、この私に絶対の忠誠を誓い、これから先何があっても私に従うという解釈でいいわね?」
有無を言わさぬ勢いでティーメに迫る。
「は、はい…。約束、致します…」
「では、そこに跪きなさい」
弱々しい声で答えるティーメに対し、マヤリィは初めて厳しい声で言う。
「これより、ティーメを私の配下とする。最高権力者である私の命令に従い、流転の國の為に貴女の全てを捧げなさい」
「はい…!」
ティーメは素直に頭を下げた。
「…それと、私のことは名前で呼ばないように」
元はと言えばアルトの情報収集能力で知られた名前。それを覚えているマヤリィはまだティーメには名前を呼ばれたくない。
「分かりました、ご、ご主人様…」
まだ魔力圧は解けていない。ティーメは震えながら返事をする。
「…では、貴女が流転の國に不法侵入したこと、並びに私を殺そうとした罪に関しては不問とするわ。これから先、私の為に働いて頂戴」
「はっ!や、約束します…!」
その瞬間、魔力圧は解け、同時にマヤリィは指を鳴らしてティーメの服を『正装』に変えた。
「こ、これは…?」
「いつまでも濡れた服を着ているわけにもいかないでしょう?…あと、翼は大事にしなさいね。貴女は今も天使なのだから」
ティーメはそう言われて気付く。
髪は切られたが、白く大きな翼には傷一つ付いていない。
そして、マヤリィはティーメの翼に魔術具を装着する。
「これは『自傷不可』のマジックアイテムよ。…二度と自害するなんて言わないでね」
そのマジックアイテムが必要なのってマヤリィ様の方では…?
「分かりました…ご主人様…」
ティーメは跪いたまま、頭を下げる。
とりあえずは自分の運命を受け入れたらしい。
その後、マヤリィは第4会議室にティーメを連れて行った。ここには強力な結界が張ってある為、万が一にも逃げることは出来ない。
「貴女は当分の間、ここで過ごして頂戴。必要な物があれば持ってくるわ。…色々と、考える時間も必要でしょう?」
「はい…。ありがとうございます、ご主人様」
ティーメはそう言うと、
「先ほど、ご主人様はわたくしの罪を不問とすると言って下さいました。…されど、二人の命を奪った我が兄の罪は消えません。どうか、兄が犯した罪はわたくしがご主人様に尽くすことによって償わせて下さい…ませ…」
マヤリィの前にひれ伏す。
「…ティーメ。貴女の言葉、然と受け取ったわ。兄の代わりに罪を償うと言った貴女の決意を他の配下達にも伝えましょう」
マヤリィはそう言って微笑んだ。
これで少しは皆のティーメへの印象が変わるかもしれない。
「ありがとうございます、ご主人様…!」
そんな彼女の様子を見て少し安心したマヤリィは、大人しくしているようにと言い残して玉座の間に『転移』するのだった。
相変わらず心優しいマヤリィ様。
…ですが、それも今回までです。