③悲劇
ここは流転の國。水晶球の間。
天界からやってきた大天使アルトは、流転の城の中に入り込んだと同時に僅かな魔力を放出し、その存在を流転の國の皆に知らしめた。
「この魔力は…天使!?」
侵入者の魔力を感じて、一番に声を上げたのはユキだった。
「ユキ殿の言う通りですな。天界からの侵入者は今、水晶球の間におりますぞ」
ネクロはすぐに居場所を特定する。
「ルーリ様、お願い致します!侵入者を捕らえるお役目をこのユキにお命じ下さいませ!ご主人様からマジックアイテムを賜り習得させて頂いた魔術を今こそ役立てるべきと存じます!」
配下達の中では依然ユキの魔力は低いが、それでも天使だった頃と比べれば桁違いに強くなった。だから、天界の者であれば自分一人でも戦えると思ったのだ。
「しかし……」
ルーリが迷っていると、
「ルーリ様!私もユキとともに水晶球の間に参ります!どうか、お許し下さいませ!」
その声はバイオだった。彼女もユキと同じく元天使で、複雑な立場ではあるが今は水系統魔術を使える。
「…悩んでいる時間はなさそうだな」
ルーリは二人の意思を尊重し、行かせることを決めた。
「分かった。すぐにユキとバイオを水晶球の間に『転移』させる。そこで侵入者を拘束し、第4会議室に連れて行け」
「「はっ!」」
二人は跪き頭を下げると、すぐに立ち上がった。
「ユキ。バイオ。油断は禁物だ。気を付けて行ってこい」
「はっ!」
「畏まりました、ルーリ様!」
そして、戦いは始まった。
「『毒鎖拘束』!!」
「『流転の水刃』!!」
ユキの放った毒系統魔術によって動きを封じられた天使は、バイオが水系統魔術で顕現させた刃を喉元に突き付けられた。
「これはこれは…お二人とも、元は私と同じ天使なのですね?」
侵入者アルトはこの状況でも余裕の微笑みを浮かべている。
「観念しろ!何の目的で流転の國に侵入したかは知らないが、我々を見捨てた天界の者を私は許さない!!」
「バイオ!殺しては駄目!!」
今にも『流転の水刃』で侵入者の首を斬りそうなバイオを見てユキが叫ぶ。
ルーリの命令は「拘束した上で第4会議室に連れて行くこと」だ。
「バイオ、すぐに『転移』の宝玉を…」
ユキの魔術が解けないうちに会議室へ連れて行かなければならない。
しかし…。
「ふふ…二人とも、上手に魔術を扱えるようになったわね。嬉しいわ」
「ご、ご主人様…!?」
いつの間にか『毒鎖拘束』で身動きが取れなくなっている天使はマヤリィの姿に変わっていた。
「…ねぇ、貴女達の力はもう分かったから、そろそろ魔術を解いて頂戴」
マヤリィは微笑みながら二人に命じる。
「か、畏まりました、ご主人様!」
「待て、ユキ!!」
バイオが止める。しかし、遅かった。
ユキが魔術を解いた途端、マヤリィの姿は再び天使に戻ったのだ。
「天界から『変化』の能力を取り上げられたあなたには、ご主人様と私の区別もつかないのですか?哀れなことですね…」
そう言うと、アルトは魔法陣を展開する。
「種族を変えてまで生き延びようとした可哀想なあなた達にはこれを差し上げます。何か分かりますか?『星の刻印』ですよ」
「っ!?」
その瞬間、二人の首に『星の刻印』の紋様が刻まれた。
突然の『変化』と突然の『星の刻印』。二人は動揺して『念話』を送ることも出来ない。
「あなた達に用はありません。私はこれから流転の國の主様を殺しに行きます」
アルトはそう言って立ち去ろうとする。
「ま、待て…!」
バイオはアルトを追いかけようとするが、身体が動かない。
「では、さようなら」
アルトが笑顔でそう言った瞬間『星の刻印』は爆発した。
「出来れば、もう少し強力な魔術を使いたかったのですが。…仕方ない。宙色の大魔術師を探しに行くとしましょう…」
爆発四散した二人を横目で見ながらアルトは呟いた。
そこへ、甲高い声が響く。
「やはり、魔力を隠し持っているのね」
「っ…?」
人の気配を感じなかったことに驚いたアルトが振り返ると、探していた人物がすぐ傍に立っていた。
「『魔力探知』をすり抜け、自分の持つ強大な魔力さえも隠すとは、只者ではないわね。…けれど、私の大切な配下を殺した貴方を許すわけにはいかないわ。覚悟しなさい」
「これはこれは、流転の國の主様。わざわざ私に殺されに来て下さったのですか?」
アルトはマヤリィの姿を見て嬉しそうに笑う。
「私の名はアルト。天界では『双子の大天使』などと呼ばれております。封印から目覚めたばかりですので、お手柔らかにお願いしますよ」
「…そう。天界にも高い魔力を持つ天使がいたのね」
マヤリィはそう言うと、即座に魔術を発動する。
「『毒鎖拘束』発動。『最大強化』せよ!!」
「これは…先ほどと同じ魔術…!?」
アルトはあっさり拘束される。
「なるほど、あなたはこの世界に存在するあらゆる魔術を使えるのでしたね」
彼は既にマヤリィに関する『情報収集』を終えていた。
「ええ、私も毒系統魔術は得意なの。それと…ここからは拷問の時間ね!!」
そう言って大きな鎌を取り出すマヤリィ。
「なっ、なぜ…!?流転の國の主様は人を傷付けない甘すぎる支配者ではなかったのですか…!?」
「あら、貴女の情報収集能力って凄いのね」
笑うマヤリィ。動揺するアルト。
「まずは解体作業から。その後で『死霊使役』魔術の実験台になってもらうわ!」
「『死霊使役』!?」
アルトはようやく思い当たる。これは偽者だ。
はい、そうです。
「くっ…!『暴露』!!」
アルトは魔力を振り絞って『暴露』魔法をかける。これで偽者の正体を暴くことが出来る。
しかし、マヤリィの姿は変わらない。
「あら?今、何をしたのかしら?」
「そんな…!本物なのですか…!?」
そう言っている間にもアルトの身体に毒が回る。もはや立ち上がることすら出来ない。
「ふふふふ…自らの力を過信し、無謀にも我が國に侵入した貴方には、とっておきの黒魔術をあげましょう」
「!!!???」
絶望するアルト。笑うマヤリィ。
「くっ…私はここまで、ですか……」
アルトはそう言うと、自らの身体に『星の刻印』を刻んだ。
《ティーメ…。後は頼みます…》
『脳内伝達』で妹に全ての情報を託し、アルトは自爆した。
「『シールド』!!」
アルトの身体に表れた刻印を見たマヤリィは咄嗟に『シールド』を張り、爆発に巻き込まれずに済んだ。
「…やれやれ。まさか自爆するとは…。もう少し情報を引き出すべきでしたな」
無惨な遺体を前にそう呟くマヤリィ。
…ではなく、ネクロ。
《こちらネクロにございます。申し訳ありません、ルーリ殿。…自爆されてしまいました》
《こちらルーリ。了解した。すぐに行く》
ルーリが『転移』してくる前に、ネクロは『隠遁』のローブを身に纏う。
そう、ネクロの素顔はマヤリィと瓜二つ。それゆえ、アルトから偽者と疑われ『暴露』魔法をかけられた時も姿は変わらなかった。『変化』していたわけではないから当たり前だ。
慈悲深く優しい支配者マヤリィを前に油断したアルトは、まさか自分が拷問されるとは思わなかったのだろう。偽者だと見破ったはいいが、相手が悪すぎた。ネクロは天使が最も苦手とする悪魔種に属する黒魔術師。それも、宙色の大魔術師マヤリィから直々に鉄壁のネクロマンサーと認められた恐るべき人物である。
「ネクロ、ご苦労だった。お前はよくやってくれた」
「はっ。勿体ないお言葉にございます。…されど、二人の救出に間に合わず、侵入者は自害してしまいました…」
「それはお前の責任ではない。私の判断ミスだ。…それにしても、よくマヤリィ様の言葉遣いを真似することが出来たな、ネクロ」
ルーリは悲しそうな顔をしつつ、俯くネクロを褒める。
「はい。今回、一番苦労したのはそこにございます。素が出ないように頑張りましたぞ」
ネクロはそう言うと、ローブの下で微笑んだ。
そして、ルーリはアルトの遺体を見る。
「確かに、こいつの魔力値は高いな。…しかし、魔力を隠していたとは予想外だった…」
ルーリは改めて自分の判断ミスを悔いる。
その時、ユキとバイオを回収して蘇生を試みていたシロマから念話が入る。
《こちらシロマにございます。ルーリ様、ユキさんとバイオさんですが……》
《…そうか。蘇生は不可能だったか…》
《申し訳ありません、ルーリ様。手の施しようがない状態にございました…》
シロマの声は震えていた。
二人の身体は『星の刻印』の爆発によってバラバラになっていた為、目にするのもつらかったことだろう。
《…そうか。シロマ、ご苦労だった。すぐにミノリを呼び、二人の身体を然るべき状態にしてやってくれ》
《畏まりました、ルーリ様》
(ユキさん、バイオさん…。助けてあげられなくて、ごめんなさい…)
シロマは涙を堪えて、ミノリに念話を送るのだった。
「しかし…ご主人様には何と報告するべきか…。あの者は『双子の大天使』と名乗っておりました。恐らく、同程度の魔力を持つ天使がもう一人存在するのでしょうな」
ネクロは戦いの最中の会話についてルーリに話す。
「双子の片割れが死んだと分かれば、もう一人もここに来るはず。情報取集能力に長けていたようですので、もしかしたら戦闘中にルーリ殿の存在をも突き止めた可能性がございます」
「そうだな…」
ルーリはそう答えたきり、しばらく黙っていたが、
「マヤリィ様は私のことを国家機密だとおっしゃった。そんな私の情報が簡単に抜き取られるとはな…。もう少し慎重に動くべきだった…」
いつになく険しい表情で、自分に言い聞かせるように呟く。
「それに、天界からの侵入者を捕らえると言ったユキとバイオを止めていれば、二人を死なせることもなかった。天使如きならば、本人達の希望通りに行かせても大丈夫だと思ってしまったんだ…。油断していたのは私の方だったか…」
以前ユキが話していたように、天使の魔力量が低いことを前提として侵入者の拘束を二人に許したルーリ。しかし、アルトは自分の魔力の値を隠しており、実際はバイオよりもかなり強い魔力を持っていた。さらには『星の刻印』を仕掛け、瞬時に発動するという想定外の行動に出た。
「…ルーリ殿。あの時、お二人の意思を尊重し拘束をお命じになった貴女様の判断は間違っていなかったと思います。ただ、あの者が規格外の天使だったのが不運にございましたな…」
天界からの襲撃を受け、ユキとバイオの二人を失った流転の國。
二人の亡骸はミノリの魔術によって火葬され、骨壺に収められた。
一方、アルトの遺体は『鑑定』を行った後で灰にされ、抹消された。
「ユキ、バイオ…すまなかった…」
玉座の間に運ばれた二人の骨壺を前にして、ルーリは自分を責めた。
「ルーリ様……」
そんなルーリを見て、皆は何も言えずにいたが、彼女が玉座に戻ったのを見て並び直すのだった。
「ネクロによれば、二人を殺した侵入者は『双子の大天使』と名乗ったそうだ。つまり、もう一人の天使が近いうちにやって来る可能性が高い」
ルーリはネクロに聞いた話を皆と共有する。
「奴は刻印を仕掛けた直後に爆発させた。そして『魔力探知』に引っかからないように自分の魔力を隠していた。仮に、もう一人も同じ能力を持っているとすれば、かなり厄介な相手ということになる」
「はい。あの者が発動させた『星の刻印』はかつてバイオ殿が桜色の都で食らった物とは比較にならないほど強力でした。お二人の身体が一瞬で飛散するとは完全に予想外でございました」
念の為、二人が危険な状態に陥った場合には援護するようルーリに言われ、水晶球の間の近くまで来ていたネクロ。しかし、刻印を仕掛けてからのアルトの行動は素早かった。
「…ところで、シロマから聞いたんだけど、ネクロはどうしてご主人様の姿で戦ったの?」
ミノリが不思議そうな顔で訊ねると、ルーリが答えた。
「それは私が命じたことだ。天使共はマヤリィ様がお優しい支配者であると思い込んでいるはずだから、侵入者を油断させる為に『隠遁』のローブを脱いで戦えと伝えた」
「その通りにございます。つまり、我々は天使の魔力を低いと想定し、天使はマヤリィ様が殺人などしないと思い込んでいた…。お互いに隙を見せてしまったわけですな」
ネクロは説明する。
「私は声だけを『変化』させ、ご主人様の話し方を真似させて頂きました。…が、果たして意味はあったのでしょうか?ルーリ殿」
今更ながらネクロは首を傾げる。
「そ、そうだな…。思い付いた時は良い作戦だと思ったんだがな…」
今更ながらルーリも首を傾げる。
二人が黙り込んだその時、笑顔で手を挙げた者がいた。
「ルーリ!ネクロ様が戦っていらっしゃる時の『記憶の記録』はありませんの?私、ネクロ様ver.マヤリィ様を見たいですわ!」
シャドーレの言葉にネクロは頷いて、
「私は『記憶の記録』を常時発動しておりますゆえ、侵入者との会話も全て記録に残っていますぞ。…でしたら、それを皆に見せた方が早かったですな」
『記憶の記録』を使えば、アルトとの会話についてルーリや皆に口頭で説明しなくても済んだことに今更気付くネクロ。そして全然気付かなかったルーリ。
「…シャドーレ。後で私の反省会に付き合ってくれ」
ルーリは意気消沈した様子でそう言うと、ネクロに『記憶の記録』を発動するよう命じるのだった。
一方、本物のマヤリィは桜色の都にいたが、既に流転の國で起きている異変に気付いていた。
ちょうどアルトが『星の刻印』を発動した時のことだ。
「どうかなさいましたか?マヤリィ様」
一瞬だけマヤリィの表情が変わったのを見て、国王のヒカルは不思議そうに訊ねる。今は首脳会談の真っ最中だ。
「…いえ、何でもないわ。話を進めましょう」
しかし、マヤリィの心の中は会談どころではない。
(ユキとバイオの魔力が途絶えた…。それに、得体の知れないこの魔力は…まさか天界の者が攻めてきた?……今はネクロが応戦しているようね)
遠く離れた桜色の都から、常時無意識に発動している『魔力探知』によって流転の國に何かが起きたことに気付くマヤリィ。しかし、会談の最中とあってはこれ以上『魔力探知』に集中するわけにもいかない。
《こちらマヤリィ。…ジェイ、早急に流転の國と連絡を取って頂戴》
仕方なく、王宮の貴賓室で待機しているジェイに念話を送る。
《こちらジェイ。畏まりました、姫。流転の國で何かが起きているということですね…?》
《ええ。細かいところまでは分からないけれど、天界の者が攻めてきたかもしれないわ。皆に『長距離念話』を送ってユキとバイオの安否を確かめて頂戴。任せたわよ》
《ユキとバイオですね?畏まりました!》
「ジェイ殿、いかがなされましたか?」
貴賓室でジェイの相手をしていた白魔術師が訊ねる。
「失礼。我が國から『長距離念話』が入ったもので…。しばしの間、話を続けさせて頂けますか?」
マヤリィからの念話とは言えないので、ジェイは適当に言い繕う。
「畏まりました。私は席を外した方がよろしいでしょうか?」
「いえ、その必要はございません。…では、少し失礼します」
白魔術師が頷いたのを見て、ジェイは『長距離念話』を送る。
《こちらジェイ。桜色の都から『長距離念話』を発動している。誰でもいいから応答してくれ。流転の國で何が起きているんだ?》
(ジェイ…!?)
(なぜ、ジェイ殿がこのことを…!?)
ルーリとネクロは一瞬思考が止まる。
その時、
《こちらシャドーレですわ。先ほど、水晶球の間に魔力値の高い天使が侵入致しました。ネクロ様が応戦し、その者は自害したとのことにございます》
シャドーレが念話に応じる。
《そうか…ユキとバイオはどうしてる?無事か?》
《いえ…それが……》
言葉に詰まるシャドーレ。
《二人に何があったんだ…!?》
《申し訳ございません。お二人は…》
シャドーレがその先を言おうとした途端、ルーリが話を代わる。
《こちらルーリ。ジェイ、マヤリィ様にお伝えしてくれ。天界からの侵入者が発動した『星の刻印』によってユキとバイオが殺され、その後ネクロが拘束を試みたが侵入者は自害したと》
ルーリは悔しさを押し殺しながら話す。
《姫が探知した通りだったか…》
《そうか、マヤリィ様はユキとバイオの魔力が消えたことに気付かれたんだな?そして、侵入者の存在にも…》
《ああ。今は会談中だが、流転の國に連絡を取るよう指示があったんだ》
《そうだったのか…。すまない、ジェイ。つらい報告になるが、取り急ぎマヤリィ様にお伝えしてくれ。…夜にまた連絡する》
《了解した》
ジェイは念話を終えると、何事もなかったかのように白魔術師に話しかける。
「申し訳ない。私が担当している仕事を任せてきてしまったので、それに関する連絡でした」
「そうでございましたか。マヤリィ様の側近ともなれば、担当する仕事も多いのでしょうね。…お忙しい中、都まで来て下さり、本当に有り難いことにございます」
白魔術師はそう言って微笑む。
実際のところ、一番忙しく働いているのはミノリなのだが。
(姫…貴女の魔力探知は恐ろしいですね…)
ジェイは白魔術師の話に適当な相槌を打ちながら、マヤリィとヒカルの話が終わるのを待った。