⑲私の黒魔術師さん
「…そう。そんなことがあったのね」
流転の國の休日四日目。
ネクロは水晶球の間での出来事を主に報告した。
「はい。…されど、ランジュ殿には『忘却』魔術をかけさせて頂きましたゆえ、もうこのようなことは起こらないかと存じます」
ネクロはそう言うが、マヤリィは難しい顔をする。
「貴女、このままでは『隠遁』のローブを外せなくなるわね。ランジュの好みがこの顔だとしたら、また同じことが起こるかもしれないわ」
マヤリィもルーリと同じことを考えていた。ランジュが無意識にマヤリィに恋をしているとしたら、ローブを外したネクロが形代になってしまう危険性があると思ったのだ。
「でも、とりあえず今はローブを脱ぎなさい。ここにはルーリと私しかいないから大丈夫よ」
「はっ。…では、失礼致します」
そして現れたネクロの素顔は、マヤリィと並べてみても区別が付かないほど似ていた。
「…ルーリ、大丈夫ね?」
「はっ。二度と間違えることは致しません」
その場にいたルーリが跪き、頭を下げる。
「それならいいわ。…話を続けましょう」
今、三人が話しているこの部屋は第7会議室(仮称)。ルーリが室長を務めるヘアメイク部屋として新設されることが決まっているが、主に天使達のせいで、ここ暫くは準備どころではなかった。
それでも、美容院の待合席のような空間は定まりつつあり、立派なソファや座り心地の良い椅子なども揃っている。…さすがに雑誌は置いてないが。
ヘアメイクに用事があるわけでもないのにマヤリィがこの部屋を選んだのは、現段階ではルーリとネクロしかここに来たことがないからである。
その為、出来れば玉座の間以外の場所で内密に報告したいことがあると申し出たネクロと、既にネクロから事情を聞いているルーリから話を聞くには、まだ誰も来ない第7会議室が良いのではないかとマヤリィは思ったのだ。
本来ならば結界部屋として使っている第4会議室でも良かったのだが、まだティーメの持ち物が残っていることもあり、今はあまり使う気になれなかった。因みに、ティーメ関連の後片付けはクラヴィスの管轄である。『弔いの小箱』に灰を納めるところまではマヤリィが行ったが、遺品整理はクラヴィスに全て任せた。
「…そういえば、この間『念話』で言ってたよな?整形がどうとか…」
ルーリは真夜中の『念話』を思い出す。
『《ルーリ殿〜!怖かったですー!私は…整形を考える必要があるかもしれませぬ…!》』
「まぁ、あの時はかなり切迫してたから覚えてないかもしれないが」
ルーリの言葉に、ネクロは首を振る。
「いえ、ルーリ殿にそう言った記憶はございます。されど、それは許されることなのでしょうか…?畏れ多くもご主人様と似た姿を変えてしまうなど…」
ネクロは葛藤していた。せっかく美しいマヤリィと同じ顔で顕現したのに…。
「…難しい話ね。そもそも、整形したら元に戻せないのではないかしら」
マヤリィは今一つ話についていけない様子で腕を組む。二人から整形などという言葉を聞くとは思わなかった。
「ネクロがそれでいいと言うなら構わないわ。私に遠慮する必要なんてない。…けれど、それってどんな魔術を使うの?」
その言葉を聞いてルーリが聞き返す。
「マヤリィ様でもご存知ないことがあるのでございますか…?」
「当たり前でしょう。一時的な『変化』で姿は変えられても、永続的にとなると何をどうしたらいいか分からないわ。魔術書を探すところから始めないとね」
マヤリィはそう言うと、
「それはそれとして、ネクロは本当に顔を変えたいの?私に間違えられて困っているから仕方なく変えるの?…貴女の気持ちを教えて頂戴」
「はっ。私は……」
ネクロは一瞬言い淀んだが、マヤリィの目を見て話す。
「確かに、ローブを外せば皆が私をご主人様だと言います。それによってランジュ殿に襲われるのは困りますが…出来れば整形は避けたいと思っております。私は…貴女様と同じ顔で顕現したことに誇りを持っているのですから」
「ネクロ…そんな台詞を言えるお前が羨ましいよ。マヤリィ様と同じということは、すなわち宇宙一の美女だってことだからな」
ルーリはネクロの言葉に感心した。
一方、マヤリィは少し驚いていた。
「貴女がそんな風に考えていたなんて知らなかった…。私と同じ姿が本当は嫌なのではないかと思っていたわ…」
「とんでもございません!私は貴女様と同じこの顔が大好きでございます!ただ、畏れ多いと感じていただけで…嫌などと思ったことは一度もありませぬ」
ネクロは白い肌を紅潮させ、マヤリィに気持ちを伝える。
「大変不謹慎なことにございますが…あの時私は嬉しかったのでございます。一人目の天使が侵入した際、ご主人様として応戦出来たことが…私はとても嬉しかったのです」
あの日、アルトを油断させる為に『隠遁』のローブを身に付けずに戦うようルーリに命じられたネクロ。『変化』魔術を使ったのは声だけだった。
「しかし、運命とやらに我儘を言わせて頂けるならば、姿だけでなく声もご主人様と同じがよかったです。貴女様の綺麗なお声が…私は大好きです」
そう言って笑顔を見せるネクロ。
そんな彼女を愛おしそうに抱きしめるマヤリィ。
「…ネクロ。貴女の笑った顔、初めて見た気がするわ。…これから私は貴女の笑顔を独り占めするかどうか真剣に考えなくてはいけないわね。だって、こんなに可愛いんだもの。ねぇ、ルーリ?」
「はっ。おっしゃる通りにございます、マヤリィ様。貴女様と同じ顔ではありますが、ネクロにしかない表情は貴重にございます」
「そうよね、私にはこんな可憐な表情は出来ないわ。ネクロはきっと…清らかな乙女なのね」
「い、いえ。ご主人様、実は…」
ランジュには襲われずに済んだが、結局ルーリに抱かれた、と言おうとした瞬間、
《ネクロ、あのことは黙ってろ》
死神から『念話』が飛んできたので大人しく従った。
女同士とはいえセックスを経験し、エクスタシーを知ってしまったネクロは、ルーリに抱かれる以前の自分にはもう戻れないと分かっている。が、何も知らないマヤリィはネクロの純粋な笑顔を見て、同じ顔でも自分とはまるで違うと感じていた。実際、一晩ルーリに抱かれただけのネクロとは全然違うけど…。
そして、
「決めたわ、ネクロ」
唐突に宣言する。
「皆の前ではこれまで通り『隠遁』のローブを被りなさい。…けれど、私と二人きりの時は素顔を見せて頂戴」
「えっ…」
「いいわね?これは命令よ」
マヤリィ様が職権濫用してる。
「畏れながら、マヤリィ様。私にもネクロの素顔を見ることをお許し頂けませんか?決して貴女様と間違えるようなことはしないとお約束致しますゆえ、何卒お願い申し上げます」
ルーリは結構必死に許可を求めている。
「…いいでしょう。では、ネクロの笑顔は私達だけの秘密ね」
「はい!マヤリィ様♪」
(結局、ローブは必要にございますな…)
今日の相談に意味があったかどうかは分からないが、とりあえず結論が出たことにネクロは安堵した。整形することにならなくてよかった。
そんなことを考えていると、マヤリィが優しく微笑みながらネクロを見る。
「これからも頼りにしているわよ、私の黒魔術師さん」
「そ、その呼び方は……。やはり照れますな」
久方ぶりにそう呼ばれてネクロは顔を真っ赤にする。シャドーレが流転の國に来る前、マヤリィがネクロをそう呼んだことがあったのだ。
それを覚えていたネクロもまた前と同じようにマヤリィを呼ぶ。
「本日、時間を作って下さったことに感謝致します、私の…愛するご主人様」
マヤリィとネクロの会話、
「私の黒魔術師さん」
「私の…愛するご主人様」
これは流転の國vol.1第13話の最後に出てきます。
まだ桜色の都の全貌が明らかになる前の流転の國。
今はもう還らない時間です。