第3話 お師匠様は疑った
私の上にのしかかり、キスしてきた男性の頭上に思いっきり拳を振り下ろすと、彼は頭を抱えながら起き上がった。
ずっと身体の不調かと思っていた重みがなくなり、身体に纏わり付いていた熱も消えたことで、熱の正体が男性の体温だったと判明する。
それにしても、さも痛そうに呻き声を上げているけど自業自得だから!
むしろ肉体強化魔法を使わなかっただけ、ありがたいと思って欲しいんだけどっ!
いやまあ、私が肉体強化魔法を使った状態でこの人の頭を殴ったら、頭パーーーーンッ!! ってなってただろうからしないけど。
私は身体を起こすと、頭を押さえつつもこちらをチラ見している紺色の髪の男性に命令した。
「……正座」
「えっ? せ、せい――」
男性の視線がチラ見からガン見になったところで、ベッドの脇をクイッと指差すと、ハッキリと言い放った。
「そこに正座しなさいっ!!」
「は、はいっ!」
さっきまで私を押し倒していたとは思えない素直さで、男性はベッドから下りると、私が指差した場所にキッチリと正座した。
私よりも少し上の年齢ぐらいっぽい男性だ。青い切れ長の瞳で、ベッドの上に座っているこちらを見上げている。
この男性とは初対面なはず。なのに、何故か記憶に引っかかるものがある。見覚えがあるというか……
いやでも、これを認めるのは悔しいし、正直納得出来ない気持ちもあるけれど、多分過去に会ったことがあったなら、忘れないと思う。
それほど目の前の男性は、カッコよかった。
あああああ――――認めたくはないんだけどね‼
切れ長の青い瞳は凛々しく、強さを感じる。頬にも顎にも、無駄な肉はなくシュッとしてるし、横の髪の毛の一部が頬骨の辺りに沿って流れているため、私以上に色っぽい。どこか影のある哀愁帯びた雰囲気が、彼の容貌から滲み出ているせいかもしれない。
……いや、哀愁帯びた顔で、何、人を押し倒してんだ? って突っ込みたい気持ちはあるけれど!
彼の身体は、服の上からでも充分分かるほど、分厚い筋肉を纏っていた。相当な時間と努力によって得られた結果だ。これだけで、彼がかなりの努力家であることが分かる。
……いや、努力できるんなら、煩悩に負けない努力しろって、突っ込みたい気持ちはあるけれど!
とにかく容姿に騙されるな、私。
こいつは変質者やぞ。
『目の前の男は変質者』と心の中に深く刻みつけると、私は腕を組んだ。足も組もうと右足をあげたけど、なんか男性の瞳が急に鋭くなってけしからん場所に視線を移動してきたことに気づいたため、足を持ち上げるのをやめて、しっかりと隙間なく両腿をくっつけた。
本当にこの人、反省してる?
やっぱりさっきのげんこつ、肉体強化の魔法かけとくべきだったかな……
「で、あなたは一体何者?」
呆れと怒りを抱きつつ、目の前の男性を睨みつけながら訊ねると、お姫様を前にした騎士のように、彼は胸の上に恭しく右手を置いいた。
「お忘れですか、お師匠様。俺、シオンですよ。あなたの弟子です」
「……えっ? し、シ、オン……?」
私がシオンと口にすると、彼の細い瞳が潤み、僅かに頬が紅潮した。
いや、なにその反応……
どう見ても、初対面の相手に見せる顔じゃないでしょうよ……意味わからん。
目の前の彼の表情とは正反対に、私は眉間に皺を寄せた。
だって、彼がシオンだなんてあり得なかったから。
「あなた、今いくつ?」
大きく息を吐き出し、呆れた気持ちを全面に出しながら問うと、男性の蕩けた表情が一瞬にして戸惑いへと変わった。
「え? あっ、二十四歳……ですが……」
「はぁ……私の弟子であるシオンは十四歳の少年よ?」
「い、いや、これには訳が――」
「それに左手」
無駄な言い訳をしようとしている彼の言葉を無視し、正座したことで、より筋肉の盛り上がりが目立つ腿の上に置いている左手を指差した。
左手の甲に浮き出ている、片翼の形をした痣を。
「私が気づかないと思ったの? あなたには勇者候補の証である【片翼の痣】があるじゃない。私の弟子であるシオンには片翼の痣はない――つまり、普通の人間だった……嘘つくなら、もっと上手い嘘をつきなさい」
勇者候補である証――片翼の痣は、生まれたときからあるもの。この人が弟子のシオンだって言うなら、私の知ってるシオンにも痣があったはず。
でも断言する。
少年シオンに片翼の痣はなかった。
もし片翼の痣があったら、然るべき場所――勇者候補育成機関であるアカデミーに入れていたはずだもん。
だから目の前の男性が、私の弟子である可能性はゼロだ。
「……私ってさ、利口じゃないって自分でも分かってるけど、勇者候補や魔王に関することなら、ちゃんと分かるんだから。それともまだ反論する気? 偽物さん?」
ふっ、決まったな。
本当に私の発言か? と思えるほどの、綺麗過ぎる論理的反論すぎて、自分が怖くなる。
話は終わったと視線を彼から逸らし、改めて周囲を見回して、初めて気づく。
ここ、私の部屋だ。
この家の前に捨てられていた赤子の私を拾い、育ててくれた魔法の師匠――セリス母さんと二十年間ともに過ごした家。
魔王と最後の戦いに向かう前、セリス母さんに一目会うために立ち寄ったときの記憶が蘇り、胸の奥にツキンと痛みが走った。
そういえば、本物のシオンはどこ?
最後の記憶だと、魔王との戦いの場にいたはず。あのあとちゃんと、逃げてる……よね?
弟子を探すため、立ち上がろうとしたとき、
「お師匠様、落ち着いて聞いてください」
私に論破された男性が、おずおずと口を開いた。
まだ何か言い訳するつもりなのだろうか。
ま、どう考えても、あの私の理論的かつ完璧な反論に僅かな隙などないですけど。
どう言い訳するのか見物とばかりに、私は彼に視線を戻した。しかし彼から返ってきたのは、動揺も迷いもない、ただ真っ直ぐな眼差しだった。
高みの見物と腕を組んでいた私の背筋が、無意識のうちの伸びる。
「お師匠様。あなたが魔王エレヴァとの戦いに挑んでから、どれくらいの時間が経っているとお思いですか?」
私が魔王に挑んでから、どのくらいの時間が経ったか?
頭の中にたくさんの疑問符を浮かべながら、私は自分の身体を見た。
最後の記憶では、私の身体には戦いでついた傷がたくさんあったけど、今はどこにもない。
「私にとっては、ついさっきのことなんだけど。だけど傷の治り具合から見て……一ヶ月ぐらい?」
「……十年ですよ」
「……え?」
「あなたが魔王エレヴァに負けてから、十年が経っているのです。今あなたが持っている記憶は、十年前のものなのですよ」
「……ま、待って! じゅ、十年……経って……!? え? えっ、えっ?」
「はい、だからあなたの記憶にある十四歳のシオンは、十年が経って二十四歳になり、今では立派な大人です」
彼の顔を改めてよく見る。
紺色の髪に、少し目つきが悪く、いつまでたっても消えない目の下のクマ。
目の前の男性に、私が良く知っている少年シオンの特徴があることに気づいた瞬間、彼と弟子の面影が被り、大きく心臓が跳ね上がった。
まさか……いや、そんな……
彼――シオンを名乗る青年の口角が、大きく上がった。
「それが俺ですよ、お師匠様」