第1話 お師匠様は解せなかった
――微かに聞こえたのは、誰かの声。
深く沈んでいた意識が浮上する。
一筋の光が目の前の闇を横一直線に割ったかと思うと、薄ぼけた景色が視界に広がった。ぼやけていた視界の輪郭が、ゆっくりと形を取り戻す。
ここは……どこ?
この天井、見覚えがあるんだけど……
頭が痛い。長い時間寝過ぎてしまったような怠さもあって、考えがまとまらない。何だかボーッとしちゃう。
身体も重い。全身に重しが乗せられているみたいに重くて熱い。
それに私……何かもの凄く大切なことを忘れてる気がする。
とりあえず、自分が何者か、そして今まで何があったのかを振り返ってみようかな。
*
私の名前は、リベラ・ラシェーエンド。
『魔王』を倒すため、『神』から特別な力を与えられた存在――『勇者候補』の一人だ。
魔王というのは、まあ一言で言えば、激ヤバモンスターのこと。
約三百年周期で発生し、それ自体には知性がなく発生した場所から動くことはない。けれど『魔素』と呼ばれる邪悪な力を吐き出し、それが大地を汚染したり、動物たちを凶悪なモンスターへと変貌させたりするため、とっても迷惑な存在なのだ。
そんな中、魔素の被害から人々を守り、全ての元凶である魔王を倒すため、神から特別な力を与えられた証――左手の甲に浮かび上がる『片翼の痣』をもって産まれてきたのが私たち――勇者候補と呼ばれる存在だ!
……とドヤった私の左手に、片翼の痣はないんだけど。
じゃ、勇者候補は普通の人と何が違うの? っていうと、勇者候補の魔法は普通の人たちと比べて段違いに強い。何か根本的に違うよねーと思うほど強い。威力も効果も桁外れ。なのに勇者候補たちの中には、私のように、さらに特別な能力をもって生まれてくる者もいるし、魔力を込めた道具――『法具』も作り出せるんだから、不思議としか言いようがない。
私たち勇者候補たちは、勇者候補研究養成機関、通称『アカデミー』に所属しており、ここを通じて依頼された魔素被害の救済にあたりながら、魔王討伐を目指している。
そして魔王を倒した者が『勇者』と呼ばれ、後世に語り継がれる存在になる。
私も十二歳の時から勇者候補として人々を助けながら己の力を磨き続け、二十歳の今、満を持して、魔王――エレヴァと対峙した。
でも結局、負けちゃって、死んだはずなんだけどなー。
何で生きてるんだろ、私。
確か魔王エレヴァが自身の生命力を削りながら、術者を倒さないと死んじゃう系の魔法を私にかけたんだっけ。
いやでもそんな魔法、私が常時発動していたクッソ分厚い魔法障壁が通すはずがないんだけど、何でかかっちゃったんだろ。
……ああ、思い出してきた。
シオンが――私の弟子である少年が人質にとられたからだ。
魔王エレヴァは歴代魔王の中で最も強いと言われていたけれど、刺し違える覚悟で挑めば倒せると思っていた。現に、結構いい線まで行っていたと思う。
これで終わりだとばかりに、特大魔法をお見舞いしてやろうとしたとき、魔王は、戦いの巻き添え食わないように街に置いてきた弟子のシオンを、人質として連れて来たのだ。
いや、卑怯すぎん?
こっちは今まで山ほど修行してきて時間も命も削って戦ってるのに、ここで人質出してくるとか、魔王という称号に相応しい悪の所業すぎん?
あれさえなければ、後十五分ぐらいで倒せてた予定なんだけど。
「俺に構わず早く魔王を倒してくださいっ、お師匠様っ!!」
私の姿を見つけたシオンは、恐怖で顔を歪ませながらも、私に戦い続けるよう必死に訴え続けていた。
もちろん、私もそのつもりだった。
だって、彼が私の弟子になりたいと頼み込んできたとき、弟子にする条件としてハッキリと伝えていたから。
大勢の命とシオンの命、どちらかを選べといわれたら前者を選ぶって。
あの子は笑って頷いてた。
そんな条件で弟子にしてくれるんですか? と言いたげな表情で。
だから彼は当初の約束通り、自分を見捨てるよう私に言った。そして青い瞳を閉じ、静かに最期の時を待っていた。
だけど……私は迷ってしまった。
動揺して、
焦って、
悩んで、
いつも困ったときに使う、気持ちを落ち着かせる方法を試すことすら頭になかった。
――結局、この身を守っていた魔法障壁を解除してしまい、死の魔法をかけられてしまった。
魔法をかけられ、激痛とともに倒れた私の耳に、シオンの絶叫が届く。その叫びが次第に大きくなってきたかと思うと、私の身体が抱き起こされた。
視界の先にシオンがいた。もう用無しだと魔王が彼を解放したのだろう。
紺色の短い髪に、いつまでもクマが取れない少し目つきの悪い青い瞳。今まで生きてきた辛い境遇のせいで一見大人びて見えるけど、私と一緒に旅を続ける中で、少しずつ十四歳という少年らしい表情を現すようになった顔。たくさん食べさせているのに、いつまで経っても頬がシャープなままなのが羨ましかったっけ。
いつの間にか私よりも背が高くなって、力も強くなって。
作ってくれる料理は温かくて美味しくて、魔法もたくさん覚えて、気づけばたくさん私を助けてくれていた、大切な弟子。
「いや、だ……嫌だ、おししょう、さ、ま……死なないで……俺を、おいていかないで……あなたが死んだら、おれはもう……」
私が魔王と刺し違えて死んだ後、幸せに生きて欲しいと願って置いていった弟子が、ボロボロと涙を流しながら私を抱きしめていた。
そんな彼に私は、登録した場所に移動できる魔法の道具――転移珠を渡しながら告げた。
「……に、げて」
だけどシオンは泣きながら首を横に振ると、強く私を抱きしめた。
すっかり大きくなってしまった身体から伝わってくる体温はとても温かくて、これから死ぬというのに、私を穏やかな気持ちにさせてくれた。
こんな終わりも悪くないなって……
私の最期、魔王と刺し違え肉片になっているか、五体は保っていても死んで一人冷たくなっているかの二択だと考えてたから。
早く逃げて欲しいと思いながらも、私の命が尽きる瞬間まで、この温もりを感じていたいと思う自分がいた――
…………
…………
…………
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いや、だからこの流れだと絶対私死んでるじゃん。
え? 私、生きてるよね?
最後の記憶が記憶なだけに、生きているのか、だんだん自信がなくなってきたんだけど。
解せぬ。
それにしても、さっきからずっと身体が重い。重いし熱いし、ゴソゴソモゾモゾと私の上で動いているし、唇に何か柔らかいものを押しつけられている感じも……
…………
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いやいやいやいやいやいやっ、ちょ、ちょちょちょっと待って!
何か知らん男の人に私、押し倒されてキスされてるんですけど――――っ‼