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第5章 過去との対峙

奈央は、とうとう幼馴染の住所を突き止めた。古い卒業アルバムや家族に尋ねた記憶を辿り、町の役所で公開されている資料を調べることで、ようやく彼の名前と現在の居場所を突き止めたのだ。


名前は「影山翔」。幼い頃に一緒に遊んでいた「影のような存在」を思い出させるその名前を口に出すたびに、奈央の胸には懐かしさと不安が入り混じった感情が湧き上がった。


彼の住む場所は町の外れの小さなアパートだった。薄曇りの空の下、奈央は足早に階段を上り、指定された部屋の前に立った。ドアの前で深呼吸をし、意を決してインターホンを押す。


しばらくして、ドアの向こうでかすかな足音が聞こえた。そして、鍵を開ける音とともに現れたのは、少しやつれた青年だった。


「奈央…?」


影山翔だった。成長して顔つきは変わっていたが、あの写真に写っていた幼い少年の面影がそこにあった。


「翔…君なの?」


奈央の声は震えていた。彼もまた驚いた表情を浮かべたが、次第にそれは微笑みへと変わった。


「やっと、君が僕を見つけてくれたんだね。」


その言葉に奈央の胸はざわついた。「影のフォロワー」がなぜ自分を執拗に追ってきたのか、その理由を聞かなければならない。


「どうして…あんなことをしたの?」


翔は奈央を部屋に招き入れ、小さなテーブルを挟んで座った。簡素な部屋には、古びた家具と、ところどころに子どもの頃を思い出させるような物が飾られていた。


翔はテーブル越しに奈央をじっと見つめ、静かに口を開いた。


「奈央、君にとってはただの子どもの頃の思い出だったかもしれない。でも、僕にとっては違ったんだ。」


奈央は息を飲んだ。その声には、長年積もり積もった寂しさがにじみ出ていた。


「君がいなくなってから、僕の周りには誰もいなかった。学校でも、家でも、どこでもずっと一人だった。君だけが、僕の世界を明るくしてくれたんだ。」


翔は苦笑しながら続けた。


「でも、君は僕を忘れた。仕方ないってわかってるんだ。君には新しい生活があったんだもん。でも、僕は忘れられなかったんだよ。奈央、君のことが僕のすべてだったんだ。」


奈央は彼の言葉に胸を締め付けられるような感覚を覚えた。翔の孤独と執着。その重さが、痛いほど伝わってきた。


「影のフォロワー」になった理由を尋ねる前に、翔は自ら答えを語り始めた。


「ある日、SNSで君の写真を見つけたんだ。すぐにわかった。あの頃の君が今もここにいるって。だけど、君は僕のことなんて覚えてないだろうって思った。」


彼は視線を落とし、拳を強く握りしめた。


「だから、どうにかして僕を思い出してほしかったんだ。君にとって僕がどれだけ大事な存在だったか、あの頃みたいに一緒にいられた時間を思い出してほしかった。…それだけだったんだ。」


奈央は言葉を失った。翔の行動の裏にあるのは、復讐や悪意ではなく、歪んだ形の愛情と孤独だった。ただ、自分の存在を認めてほしい、思い出してほしい――そんな切実な願いだった。


「翔…ごめんね。」

奈央は小さな声で呟いた。


「ごめんだなんて言わないで。」

翔は首を横に振った。

「君が悪いんじゃない。ただ、僕がどうしても諦められなかっただけなんだ。」


奈央は深呼吸をし、彼の目を見てはっきりと言った。


「翔、私は確かに忘れてた。でも、今は思い出した。あの頃、私にとっても君との時間は特別だったよ。」


翔の表情に、一瞬だけ安堵のようなものが浮かんだ。その瞳には、長い間抱えていた感情が解き放たれたような静けさが宿っていた。


「ありがとう、奈央。」

その言葉は、どこか吹っ切れたように聞こえた。


奈央は翔の願いを受け入れ、彼がずっと抱えていた孤独を理解することで、二人の間にある歪みが少しずつ解けていくのを感じた。翔の「影」は彼女の記憶の中で再び形を取り戻し、物語はようやく真実に辿り着いたのだ。


***


奈央は翔の話を聞き終えると、静かに立ち上がり、部屋の窓際に目をやった。薄曇りの空がアパートの狭い窓から見える。長い間蓄積された翔の孤独と執着。それを知った今でも、奈央の胸には消えない違和感があった。


「翔、あなたがどれだけ孤独だったか、今なら少しだけわかる気がする。」

奈央は振り返り、彼を見据えた。


「でもね、それでも…こんな方法で私に思い出させようとするのは、間違っているよ。」


翔の顔が一瞬歪む。奈央はその表情に怯むことなく言葉を続けた。


「私を追い詰めて、恐怖を植え付けて、生活を壊してまで何を得たかったの?思い出してほしいっていうのが本当の理由なら、どうして普通に連絡をくれなかったの?」


翔は目を伏せた。拳をぎゅっと握りしめ、その震えが彼の心の動揺を物語っていた。


「連絡なんて、できるわけないだろ…!」

突然、翔が声を荒げた。奈央は少し驚いたが、じっと彼の言葉を待った。


「君の中で、僕のことなんてとうの昔に忘れられてたんだ。そんな僕が急に『覚えてる?』なんて聞いて、どう答えられる?僕の存在なんて、君にとって意味のないものだったんだよ!」


翔の言葉には怒りと悲しみが入り混じっていた。彼の中で抱えきれなかった感情が、奈央の前でとうとう溢れ出したのだ。


奈央は一歩近づき、翔の目をまっすぐに見つめた。


「翔、私は確かにあなたを忘れてた。それは事実だし、あなたを傷つけたことは謝りたい。でも、それでも、こんな怖がらせるような方法じゃなくて、ちゃんと伝えてほしかった。話し合うことだってできたはずだよ。」


翔はしばらく何も言わなかった。部屋には重苦しい沈黙が流れた。やがて、彼は肩を落とし、椅子に深く座り込んだ。


「…僕には、それができる自信がなかったんだ。普通に話すなんて…怖くて、できなかった。」


奈央はその言葉を聞いて、胸が痛むのを感じた。翔がどれほど追い詰められていたのかが伝わってくる。それでも、彼の方法を肯定するわけにはいかなかった。


「翔、あなたがずっと苦しかったことはわかる。でも、私はあなたがしたことを許すことはできない。人を怖がらせて、支配するような方法で繋がろうとするのは、誰にも幸せをもたらさないよ。」


奈央の言葉に、翔は小さく頷いた。瞳に浮かんでいた怒りの色は薄れ、代わりに深い後悔の影が宿っていた。


「わかってるよ…奈央。でも、もう遅いんだ。僕には、これ以外の方法がわからなかったんだ。」


奈央はため息をつき、少し距離を取るように座り直した。


「遅いなんてことはないよ、翔。これから変わればいい。私たちの過去は確かに大切だったけど、今と未来を作るのは、あなた次第だよ。」


翔はその言葉に静かに頷いた。奈央は彼の目の奥に、かすかな希望が灯るのを感じた。彼を変えられるかどうかはわからない。それでも、奈央は彼にその可能性を信じてほしいと願っていた。


***


奈央はアパートのドアを閉め、冷たい外気を吸い込んだ。翔との対話が終わり、少しだけ肩の荷が降りた気がしたが、それでも胸には複雑な思いが残っていた。彼の孤独、執着、そして自分の無自覚な罪。それらすべてを抱えながら、彼女は帰り道を歩いた。


「これで…終わりにしなきゃ。」


奈央はそう呟いた。翔が彼女に与えた恐怖は、意図しなかったにせよ現実の傷となって残っている。それを癒すためには、この出来事と完全に決別する必要があった。


帰宅後、奈央は部屋の電気をつけ、カバンをソファに置くと、静かにスマホを手に取った。SNSのアイコンが画面に表示される。これまで楽しみだったそのアプリが、今ではただの不安の象徴に思える。


「これがなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。」


けれど、それが原因ではないことも奈央は理解していた。翔の苦しみや孤独はSNSが生まれるずっと前から存在していた。ただ、それが表に出る手段としてSNSが利用されただけだ。


奈央はアプリを開き、自分のアカウントにログインする。数週間前までの楽しい投稿の数々が画面に並ぶ。旅行先の写真、友人との時間、そしてたくさんの「いいね」とコメント。それらが今では別の意味を持つように見えた。


「ありがとう。」


奈央は小さく呟き、アカウント削除のページを開いた。画面には「本当に削除しますか?」という確認メッセージが表示されている。その一文が、彼女の中にわずかな迷いを生じさせた。


しかし、奈央は深呼吸をし、迷わず削除ボタンを押した。画面が切り替わり、「削除が完了しました」という文字が表示された瞬間、彼女は長く張り詰めていた何かが解けるのを感じた。


これで「影のフォロワー」とも、過去とも決別できた。恐怖の元凶だったSNSがなくなった今、奈央は少しだけ自由を手に入れた気がした。


スマホをテーブルに置き、窓の外を見つめた。外は静かな夜。何も変わらない景色がそこに広がっている。それでも、奈央の中には新しい決意が芽生えていた。


「もう少し、自分を大事にして生きてみよう。」


奈央はそう思いながら、部屋の灯りを消してベッドに入った。過去は過去として受け入れ、前に進むこと。それが、彼女自身が見つけた答えだった。


これで終わり――そう信じて、奈央はゆっくりと目を閉じた。


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