見通す蒼眼
あの人気のない路地裏を去り、帰路に就くヴォルトとルドアは、二人並んで南大通りを騎士団本部の方へ歩いている。夕方に差し掛かってきたせいか、辺りの人通りも一層多く。オレンジ色した夕日に照らされた大通りに人がひしめき合っている。
人混みがどうしても苦手で険しい表情になっているヴォルトに、何の前触れもなくルドアは言葉を投げた。
「ねぇ貴方って魔術師階級はいくつなの?」
魔術師を管理する団体――魔術師協会は、技術及び知識の向上と魔術師の管理の双方を目的として、魔術師に階級を割り当て、認定する魔術師試験を定期的に執り行っている。魔術師試験を合格した者だけに階級は与えられ、しれが実力を測る一種の指標として用いられている。クラスFから始まりクラスA、そして最大階級のクラスSと7段階に分かれており、言わずもがな階級が上がれば、試験難易度がそれだけ上昇する事になる。最大難易度のクラスS魔術師試験には現在五名しか突破者が存在せず、その高みを目指して、多くの魔術を志す者が挙って参加する魔術師の登竜門のような存在だ。
魔術を教える教員となるにはクラスE以上の階級が必要であったり、階級によって閲覧制限のかけられた――主に魔術書を扱う階級制図書館の利用権限など、多くの権利や補助などの恩恵を得られるため、一概に実力を測るためだけに存在するものではないのだが――。
ヴォルトは思った。階級を聞くという事は、ルドアは自分の実力を測ろうとしているのか? と。
あまり答えたくないのかヴォルトは低い声色で質問に質問で返す。
「なんでそんなことを聞くんだ?」
「いや、だってどう考えても魔術知識に明るすぎるから――もしかしたら私よりも上なのかなって……。私、ちょっと悩んでる事があるのよ。何度受けてもクラスEから昇級できないの。だから何かアドバイスでも貰おうかと思って……」
それを聞いたヴォルトは意外だとばかりに驚いた様子で目を見開いた。
「クラスE? お前が?」
そんな彼を見て、邪推したルドアは唇の端を歪ませる。
「なによ。私がクラスEに相応しくないって言いたいの?」
失礼ね。とあからさまに不機嫌な態度になっているルドアを見て、自分の発言の意図がしっかり伝わっていないことに気が付いたヴォルトは訂正をするために言葉を尽くす。
「逆だ――もっと上なのかと思ってた。お前ほどの魔力操作が可能ならクラスCくらいは簡単にいけるものなんじゃないのか?」
急に褒められたのが余程恥ずかしかったのか、ルドアの顔は夕日に照らされてもわかってしまうほど、はっきりと真っ赤に染まっていた。それを誤魔化すように、すこしだけ顔を背ける。
「魔術師試験で問われるのは、主にその知識と応用力よ。私みたいに魔力操作が得意なだけじゃ、とてもじゃないけど上へは行けないの!」
赤らむ顔は隠せても彼女の声は少し上擦っていた。それに自分でも気付いて照れ隠しとばかりにルドアは矢継ぎ早に話す。
「で、貴方の階級はなんなの? 勿体ぶらないで言いなさいよ」
肘で軽く小突いて、返答を急かしてくるルドアに背中を押されて、ヴォルトの口から、
「俺は――」とそこまで言葉が漏れたが、そのあと間を開けて、「――実は受けたことがないんだ……」
そう自信なさげに、口籠った。
そんなヴォルトの様子に、何かに感付いたとばかりに顔をしかめたルドアは、口から大きめの溜息を零す。
「まさか貴方も反魔術派が怖いクチ?」
反魔術派という単語を聞いたヴォルトは図星を突かれたとばかりに一瞬驚いた表情をしたが、すぐに平静を装って返答を返す。
「まぁそんな所だ……」
ヴォルトのその答えに再び大きなため息をついたルドアは、突然立ち止まると、周りにいる通行人など気にも留めず、いきなり辺りに響き渡るほどの大声を張り上げた。
「反魔術派なんて放っておきなさいよ。他人の足を引っ張る事しかできないゴミなんだから。試験会場にまで押しかけてきてギャーギャー騒いじゃって、ここをどこだと思ってるのかしら? ここは魔術によって発展してきた都市なのよ。お門違いも甚だしいわ」
辺りは時間が止まったかのように静まり返った。おそらく他人同士であろう人々が互いに顔を見合わせ、何とも言えない気まずい空気感が一帯に広がる。
思わず、ヴォルトは額に冷や汗を噴き出させながら乱れた口調でたしなめた。
「お、おい! 公衆の面前でそんなバカでかい声を出すなよ!」
しかしルドアは気にしないと言った感じで澄ました顔をして腕組みをしている。辺りにいた他人も、大して気に留める必要はないと思ったのか、一斉に時間が動き出したかのように再び歩き出した。
「ね! 誰も何も言ってこない。これくらい堂々としてたら、あんな陰気臭いやつらだって寄ってこないわよ。だから貴方も勇気を出して魔術師試験に臨みなさい」
ルドアはニッと笑顔を見せつけてくる。
ヴォルトは無茶苦茶だと思いつつも、それが自分を鼓舞するために取った行動だとわかって、呆れの中に微かにうれしさを孕んだ複雑な感情を抱いた。
「今度勉強に付き合うよ。何か力になれるかもしれない」
「そう? ありがとう」
二人は再び帰路に就くべく南大通りを騎士団本部の方へ歩みを進めた。
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一日の終わりを告げるかの如く、沈みかけの夕日に照らされて色付いた茜空。それを鏡のように反射して同じ色に染められた銀城。その前面を守る神殿めいた真っ白な建造物。
それらが目に入って、今日は色々あったなと、改めて疲労を実感し少々項垂れて歩くヴォルト。
ルドアはというと、その隣で疲れなど感じさせぬほど姿勢よく歩を進めている。
そんな似ても似つかない二人がようやく正門の手前までたどり着いた時、ふとヴォルトの目に見た事のある少女の姿が映った。
学園の制服を身に着けた金髪のロングヘア。金色の両目を持つ少女が、正門の前に呆然と立ち、ヴォルトの事を凝視している。
そんな彼女を視界にとらえた途端、ルドアは足を止めて呟いた。
「イーファ……」
金髪の少女とルドアは顔見知りらしい。しかし、ルドアは少女に対してあまり良い感情を抱いていないようだ。不快感をむき出しにした顔で彼女を見ている。
そんなルドアが気がかりでヴォルトも遅れて足を止め、振り返りながら尋ねる。
「知り合いか?」
尋ねた後、そこでヴォルトは昨日の事を思い出した。
(そういえば昨日も正門の前にいたな。変な格好――だとか言われて……。でもあの時は確か――)
左の瞳が蒼色だったはず。そう思い出してヴォルトが怪訝な表情になる。
「気を付けて。彼女はイーファ=エクトユース。学園の生徒の間でも、悪い話しか聞かないわ。無言で付き纏われたとか、突然殺してほしいって言ってきたとか、ちょっと前にも階段から突き落とされたなんて子がいたり……」
ルドアが出してきた無茶苦茶なエピソードを聞いてヴォルトの口から困惑気味に言葉が漏れる。
「なんだそりゃ。明らかな問題児じゃないか。学園側は何も対処してくれないのか?」
「彼女がゼルクだから誰にも止められないし、学園も放置してるのよ」
「ゼルク――光の純血人種か――」
昨日見たあの蒼色の瞳の事がヴォルトの脳裏に過る。
「――じゃあ昨日の左目は――魔眼……」
ヴォルトのその呟きを聞いて、イーファの眉が一瞬ピクンと跳ねた。
「『神は愛するために人を創った。己が十の羽根を以て肉体を成し、瞳を分け与え魂を注いだ』」
そう何かの引用のような語りを静かに口にしながら、ゆっくりとヴォルトの方へ歩み寄って来たイーファは、彼のすぐ手前で立ち止まると、その人形のような端正な顔立ちを崩さぬまま、抑揚のない声でささやく。
「僕たちが信仰する神話にも出てくる……神眼は僕たちにとっての魂。それを魔眼呼ばわりする混血は嫌い」
彼女の気配は荘厳そのもので、得も言われぬ威圧感に気圧されたヴォルトは全く動けなくなっていた。その迫力にルドアですら固まっている。
時間が止まったような静寂の中で彼女は無表情のまま消え入りそうなささやき声で徐にその魔眼の名を呼んだ。
「見通す蒼眼」
途端、イーファの左の瞳が水に絵の具が混じった時のようにドロドロと蒼く変色する。
吸い込まれそうなほど澄んだ蒼い瞳がヴォルトの事を映し出している。それまで抑揚のなかった彼女の声が、急に無邪気な少女のように高くなった。
「まだ――悩んでるんだ」
嬉しそうに微笑んだ彼女のその表情は、確かに笑顔のはずなのに、そこに得体の知れない何かが潜んでいる。そんな不気味極まりないものだった。
ヴォルトは喉を締め付けられているかのように息苦しそうに言う。
「俺の何を見た。どこまで見られた――」
ヴォルトは知っていた見通す蒼眼がいかなる能力を持ち合わせるかを――それは対象の思考を、記憶を、すべてを見ることができる。
一体何を見られたのか、それがわからないストレスで、胃液が食道を伝って登ってくるのを感じる。強い吐き気を覚え、ヴォルトは思わず左手で口元を押さえる。
「定形型魔術陣――丙型乙式。それが本当に君の魔術壁を破れる程のものだったのか、ずっと頭の片隅にある。答えは君の中にあるのに、それをずっと否定してる」
イーファが口にしたのは、昨日のノードとの戦闘でヴォルトが感じた違和感についてだった。
自分の魔術が本当に通用しなかったのか。ヴォルトの脳裏にこびり付いていて離れなかったそれをイーファは言い当てて見せた。
魔眼の力は本物だ。もしかしたら、それ以外にも知られたくない過去まで見られたのではないかと、ヴォルトは気が気ではなかった。
狼狽しきって動けなくなっているのをいいことに、イーファはいきなり彼の口元を押さえていた左手を右手で掴み、それを自分の胸元に持っていこうとする。
「だったらいっそ試してみたらいいのに――実際にしてみないと分からない事だってあるんだから……」
「ちょ、ちょっと――」
見てられないとばかりにルドアは彼女を止めるためにその肩を掴もうとする。が、しかしその瞬間ルドアの身体は何の前触れもなく。真横に二メートルほど吹き飛んだ。突然の事で状況がつかめずルドアは受け身を失敗して地面を転がる。
ルドアは倒れ込んだまま、先程触れようとしたイーファの肩を見る。うっすらと鎧の肩当てのような見た目をした黄金の装甲が現出している。しかしそれが姿を現していたのは一瞬で、途端に空間に溶けるようにして見えなくなってしまった。
ルドアには興味がないとばかりに目もくれず、イーファは尚もヴォルトの手を引いている。彼女が何を考えているのか、全くわからず、逃れなくてはという感情でいっぱいになったヴォルトは掴まれた左手を思い切り引っ張り、彼女から離れようとした。
「やめろ……!」
そんな時だった。イーファは唐突に掴んでいた彼の手を放した。その反動ですっぽ抜けるようにヴォルトは真後ろに吹っ飛んで尻もちをついた。
イーファはそんな彼から距離を取るようにふわりと背後に飛び退く。羽でも生えているのかと思えるほど、その跳躍は緩やかな軌道を描き、十メートルもの距離を飛んだところで彼女は音もなく着地してみせた。
直後、イーファは右手を前方に出し、その先に赤い魔力で魔術陣を描く。そこに作り出されたのはノードとの戦いで見たものと同じ簡素な魔術陣――丙型乙式だった。しかしそれは時を経るごとに変貌していく。イーファの手によって次々に装飾が成され、魔術陣自体が肥大化していく。その見た目は中央の簡素な魔術陣を彩るように複数の複雑な図形や文字が集合したまるで別物といって差し支えないものになっていた。
イーファはその凶悪な様相に魔改造された魔術陣を、何の躊躇もなく座り込んでいるヴォルトに向け、そして起動する。
赤い魔術陣に光が走る。複雑な図形を縫って魔力が行き渡り、その全てに充填されると、前方に人の頭部より巨大な火球が生み出され――それは即座に射出された。
が、イーファの仕込みはそれだけではなかった。放たれた火球の進路上に輪状の魔術陣が追加で四つ連なるように描かれ、火球はそれを通過すたびに加速して行き、四つ目の輪を潜る頃には既に火球の原型はなく、その猛烈な速度故に流星の如く、真っ赤な尾を引きながら流線形へと無理やりに変形させられていた。
脈絡のない一連の出来事にヴォルトの頭の中は真っ白になっている。今の彼は完全な無防備だ。防げなければ、待っているのは最悪の結末だろう。彼だけではない。その周囲にいるルドアや、その先にいる無関係な通行人にまで被害が及ぶかもしれない。余裕など微塵もない。そんな状況で咄嗟に思い浮かんだのは、ノードと対峙した時――あの時使ったのと同じ――水属性の魔術壁だった。
考えるよりも早く、ヴォルトは右手を突き出し、その先に水色の魔術陣を完成させていた。瞬く間に魔術陣に光が灯る。
魔術壁が構築されたのは、そこに変形した火球が到達するのとほぼ同時のことだった。耳を劈くほどの爆発音と共に、衝突の衝撃で辺りに土煙が舞い上がる。
土煙に視界を奪われて情報が得られない。あの後どうなったのか――自分はイーファの火球を防げたのか――ヴォルトの心に止めどなく不安が押し寄せる。
土煙が収まり、晴れた光景に聳え立つ水色の魔術壁。そこには亀裂など一切なく、それが完璧に防ぎきっていたことを証明していた。足元の大きく抉られた石畳の地面が、彼女が放った火球の威力を物語っている。彼女は手加減など一切しなかった。
「大丈夫!?」
それまで地面に倒れて動けずにいたルドアが慌てて立ち上がり、ヴォルトに駆け寄ってきた。
しかし、今のヴォルトにはルドアの姿など見えていなかった。防ぎきれたという安堵感と噴き上げる怒りで情緒が乱れ、彼は感情が昂って思わず吠えた。
「こんな場所であんな魔術を使うなんて何考えてやがる!」
ヴォルトの激昂など意に介さないとばかりに、イーファはあの微笑みを顔に張り付けている。
「わかったでしょ? 君の魔術は確かに通用する。でもあの場ではそうじゃなかったんだ。一体何が違ったんだろうね」
イーファはそれすらもお見通しといった含みのある言葉を残して、気付けば遠巻きに三人を取り囲むようにできていたやじうまの間を抜けて大通りの人混みの中へ消えていった。
「なんなんだよ――」
昂った感情をぶつける先を失ったヴォルトは、座ったまま地面に拳を叩きつける事しかできなかった。