炎の塵
これで何度目だろうか。何かあれば無謀無策に突っ込んで行くルドアに置いて行かれたヴォルトは、なぜジルフが今回の件を依頼してきたのか、それを痛感していた。ルドアの暴走ぶりはとてもじゃないが制御ができない。とどのつまり単純に面倒を押し付けられたのだ。
「何が『ついていくだけでいい』だ。こっちはそのついていくのがやっとなんだよ」
静かに愚痴をこぼしながら路地裏を駆ける彼は苛立ちからか、はたまた疲労のせいか、地面を打ち鳴らすような重い足取りで奥へと進み――そのうちにようやく最奥の空間までたどり着いた。
本来、一色であろう石畳の床の灰色を赤茶けた錆のような砂状のものが浅く積もって覆い隠している。
真四角なその空間を形成する黒く煤けた壁の前に、立ち尽くしているルドアの姿が目に入って、その瞬間赤いコートの人物を取り逃したことを悟った。
ヴォルトは何とも言えない安堵感から大きく溜息を吐いた。内心、彼女の身を案じていたのだろう。もし万が一、赤いコートの人物と衝突しようものなら、ルドアが相手取るのは恐らくあの炎の柱を生み出した張本人だ。彼女の事だ。無理に突っ込んで――怪我で済むかは分からない。
遅れてやってきたヴォルトに気付いたルドアは彼の事を横目で一瞥するなり、
「やっと来たの? 本当にノロマね」
彼の心配など露とも知らず、憎まれ口を叩いた。そんな彼女の態度に苛立ちを覚えたヴォルトは一瞬顔をしかめたが、それをグッと堪えて押し黙る。
彼女はメモ帳を片手に右手で床に積もった赤茶色した砂状の何かをつまみ上げ、親指と人差し指の腹の間で弄ぶようにそれを擦り、パラパラと地面に落としている。
「やっぱり、これも他の現場にあったものと一緒みたいね」
「他の現場?」
「この『事件性のない小火』は、一カ月も前から五度起こっているの。――今回の現場で六度目ね。二度目は三週間前。三度目は二週間前。あとは一週間前と三日前にも同様の事件が起こっているの。どの現場もここと同じような人気のない路地奥の空間で、その全てにこの砂状の何かが撒き散らされていた。報告書には『赤土』だなんて書いてあったわ」
メモ帳のそれが書かれているだろう部分を指先でなぞりながら語るルドア。その言葉の一つがどうにも引っかかってヴォルトは眉間にしわを寄せる。
「撒き散らされていた? まるで見て来たような口ぶりだな。まさか他の現場にも行ったのか?」
それを聞いた彼女は呆れたとばかりに溜息を吐く。
「な訳ないでしょ? 騎士団の報告書には現場を調査した団員の記憶を記した記憶魔石が一緒に添付されてるの。それをただ見ただけよ」
「見ただけって、学園の生徒とはいえ、部外者がそんな報告書なんて見せてもらえるものなのか?」
「言ったでしょ? これは実務研修。実際に職務を経験するのが目的なのよ。見せてもらうのは当然の権利よ」
「俺にはお前がそれを知的好奇心を満たすために悪用しているように見えるんだがな」
「うっ――」
図星を突かれたのか、ルドアは声にならない声を発して一度口を噤んだ。
直前のやり取りを取り消すみたいに、
「そんな事はいいでしょ!」と大声を張り上げたルドアは、話題を戻して話し始める。
「すべての現場に同じようにこの赤土と呼ばれるものがある以上、あの炎の柱と赤土の間に何らかの因果関係があるのは明白。私、この赤土について一つ掴んでることがあるの」
ルドアは得意げに笑みを見せつけながら話を続けた。
「二件目の事件現場にあった赤土は、他のものとは違ったのよ。具体的にはもっと透明度が高くて、まるで魔石を粉末状にしたみたいだった。この赤土の正体は安直に言えば爆薬のようなもの。ただしその火力は、貴方も見た通り、天を突く炎の柱を作り出すほど。もっともこの場所の状況を見るに、この空間の形に沿うように炎が上がった結果、柱状に成ったというのが正しいのだろうけど」
ルドアは間髪入れずに言葉を連ねる。
「使用後はきっと今の赤茶けた土のような外見に変わってしまうけれど、使用前は二件目の現場に残されていたものと同じ、透明度の高い姿をしているんじゃないかしら。二件目の現場は他とは違って排管が壊されていて辺り一帯が水浸しだったの。だから二件目の赤土は上手く燃焼できずに、ここにあるもののように色が変容しなかった」
それまでずっと黙っていたヴォルトが徐に口を開いた。
「じゃあお前は、何のためにこの赤い砂状のものが使われたんだと思う?」
「え?」
それまで得意げだったルドアが不意に虚を衝かれて、あからさまに目を泳がせている。
「人間、動機が無ければ行動には移せないものだ。今回の一件は特に場所を選んでいる節すら見受けられる。俺はそれをどう考えてるか聞きたいんだ」
唐突に真剣な口調で話す彼に気圧されつつも、ルドアは一瞬考えた後、思考が纏らないままそれに答える。
「何かの実験――とか? 例えば国が秘密裏に開発した魔石を利用した新種の爆薬じゃないかしら。私が考えるに『事件性のない小火』と銘打って、些事な一件に見せかけたい理由は、騎士団が今回の件にかかわってるからじゃないかって思うの。あの赤いコートだってまるでフレイムブレイカーみたいだったし」
それにしても歯切れが悪い。それまでの饒舌はどこへやらだ。的を得た回答が聞けずヴォルトは肩を落とした。
「なんだか急に陰謀論めいてきたな。そんな実験を街中でやるわけはないし、そもそもそんなものの絡んだ報告書を学生に見せるはずがないだろ」
正論を浴びせられて彼女は怯んだ様子で目を丸くしている。
「た、確かに」
「最初からこの事件を調べたいようだったが、まさかお前騎士団の粗を探してるのか?」
「ご、誤解よ。この事件が調べたかったのはただの好奇心で――隠されてるものはみんな見たいと思うものでしょ!」
疑いをかけられて焦ったのか彼女の口から漏れ出てきたのは本音丸出しのそんな言葉だった。それを聞いてヴォルトは顔をひきつらせたまま絶句してしまった。
彼のその反応を見て、ここぞとばかりに責め立てるようにルドアは食ってかかる。
「じゃあ貴方はどう考えてるのよ? そこまで言うんだから貴方なりの考えがあるのよね? それを聞かせてもらえるかしら?」
捲し立てるように言葉を投げつけてきた彼女に対して、ヴォルトが静かに言い放ったのは意外な一言だった。
「俺はこの一件――騎士団の見解通り『事件性のない小火』とするのが妥当だと思う」
「は?」
言葉を失った彼女を余所に、ヴォルトは話を続ける。
「こいつの正体は恐らく炎塵」
聞きなれない単語に、ルドアは小声で復唱しながら首をかしげた。
「フレイムダスト?」
「いわゆる魔術生成物質の一種だ。文字通り魔術でしか作り出すことができない。その特性は――作成者の魔力を検知すると、爆発的にその魔力を増幅させる――お前の見立て通り爆薬と言えなくもない代物だ。使用前は魔石を粉末状にしたような透明度のある赤い砂だが、使用後はここに散乱している赤土のような見た目に変化する」
「まさにそれじゃない――」
そうボソリと零したルドアは、急に眉間にしわを寄せてヴォルトを睨む。
「もしかして、知ってて私の話を聞いてたの? だとしたら不快なんだけど」
癪に障ったのか、不機嫌に腕組みをする彼女を見て、ばつが悪そうにヴォルトは苦笑いする。
「悪いな。惜しいことを言ってたから、思わず聞き入ってしまっただけなんだ」
「で? まだ『事件性のない小火』としておくのが妥当だ。なんて思えないわよ?」
苛立った様子を見せつつも、話の続きが気になるのか、言葉の端々に好奇心を覗かせている彼女に急かされてヴォルトは本題を話し始めた。
「炎塵の生成には、とある魔術器官が必要なんだよ」
魔術器官――人間に備わった魔術を使用するための機能を司る臓器。または生体組織の総称である。
しかし、その魔術器官という言葉は一般的にはほぼ使用されることがない。なぜならこの世に存在するほとんどの人間が、体内の魔力を特定の一属性に選り分ける魔力フィルター以外に魔術器官を持ち合わせていないからだ。
ヴォルトがわざわざ魔術器官と発言した意図を悟って、ルドアは焦りにも似た感情を抱き、額にじっとりと汗を掻いた。
「私たち混血が持つ魔術器官は魔力フィルター以外に存在しない。まさか犯人は純血人種だっていうの?」
純血人種――人間の始祖にして神が最初に作った十の血族を指す言葉だ。神から与えられた特殊な魔術器官と優れた魔術適正、圧倒的な身体能力を有し、彼らはそれを祝福と呼んでいる。しかし、たとえ純血同士であっても、その血族が違えば混血が生まれるという制約のために、彼らの数は必然的に少ない。全血族を合わせても全人口の〇・一%にも満たないとまで言われている。
そんな純血人種は混血にとって到底力の及ばない、言ってみれば上位種である。そんな存在が絡んでいるとなれば、話のスケールはルドアの手に負える領域をはるかに逸脱する事になる。
ルドアとしては否定してもらいたくて純血人種という名称を口にしたのだが、ヴォルトは深く頷きそれを肯定する。
「そういうことだ。炎塵を生み出せるのは火の純血人種――フィルドの固有魔術器官――炎痣以外に存在しない」
フィルドという名前を聞いてルドアはますます苦い顔をする。
「フィルドといえば、狂化による暴走と人食いだなんて噂もある奴等じゃない」
「その噂の一部は誤解なんだがな――」
どこか憐れむような表情でヴォルトは言った。
「誤解?」
「その話をするためにも、まずは炎痣の説明をした方が良いだろうな。魔術器官――炎痣は彼らの言葉で『フィルドの』という意味を持つ。地割れを流れるマグマにも似た、燃えるように赤い傷跡状の痣だ。主に背中の皮膚に発現することが多いらしい。その性質は体内の他属性魔力を火属性のみに変換できる――いわば火属性に特化した魔力変換炉と呼べるものだ。その変換効率は驚異の一五〇%。俺たち混血じゃあ似たような魔術を使えても、精々半分程度の効率しか出せない。だがその効率の高さが祟ってか、体内の魔力が過剰になり、結果精神が錯乱して攻撃的になってしまう――いわゆる狂化状態に陥るという致命的な欠点を持つ。狂戦士などと揶揄される所以はそこにある。だが、狂化状態はなにもフィルドだけが陥る症状じゃない。人は魔力が許容量を超えると一様に狂化状態になり、なぜか人を襲う傾向に陥る。嘘か真か人を食ったなんて噂まである始末だ。だがそんな人種なんて関係なくありうる事柄がフィルドの悪評として広まってしまったのは、先の戦争――聖典戦争での成果が原因だと言われてる。要するにフィルドは戦争で活躍しすぎたんだよ。狂化状態を武器に戦場で暴れまわる狂戦士、その悪名を轟かせるほどにな」
「戦場ではそれでよかったという事ね。ただ戦争が終わった今は――」
「さぞかし肩身が狭いだろう。にも拘わらず、炎痣にはもう一つ欠点が存在する。成長期の炎痣は定期的に制御不能になってしまうんだ。意図せず魔力が身体に満たされた結果――望まない形で狂化状態に陥ってしまう。魔力を放出するのに効率が良いのは炎塵を作り出す事――炎塵はいわば魔力を凝縮した物質だからな。今回の一件が引き起こされたのは恐らく炎痣の暴走が原因で間違いないだろう」
ルドアは合点がいったとばかりに頷く。
「人気のない路地でばかり小火が起きていたのは、誰にも迷惑をかけたくなかったから――」
「だろうな。状況を見るに自分がフィルドであることを周囲に隠して生活しているのかもしれない」
「じゃあ騎士団が事件性のない小火として処理しているのは、事情を知っているからなのかしら?」
「恐らくな。今回のようなケースは成長期に限ったもの。俺たちでいうところの思春期みたいなものだ。時間とともに解消されていく。ある意味そっとしておくのが妥当だろう」
それを聞いたルドアは、
「そう――」と、しおらしく呟いて、開いていたメモ帳をパンッと音を立てて閉じたあと、
「帰りましょ――」
なにかを吹っ切るようにそう言った。もう彼女はこの事件性のない小火に関わるのは止めたのだろう。
「いいのか? 実務研修はどうするんだ?」
ヴォルトはその問いを愚問かとも思ったが、あえて彼女に投げかけた。
「言ったでしょ? そもそも調べる事件は決まってる。学園の望み通り、お決まりのつまんない報告書を叩きつけてやろうじゃない」
皮肉を言ったルドアは零れそうなほど満面の笑み浮かべていた。