ドアの向こうの不審者
早朝――ヴォルトは懲りもせず、廊下へ続く玄関ドアの前でのぞき穴を覗いていた。背後でルナが不思議そうにそれを眺めている。
「また見てるの?」
「まぁな……」
なにかがのぞき穴の先に見えるのか、ヴォルトは一向にそこから動こうしない。
「なにか見えるの?」
「ドアに向かってなんか呟きながらニヤニヤしてる奴がいる」
思わぬ不審者情報を聴いて動揺するルナ。
「え!? 何それ――」
ヴォルトはのぞき穴から視界を外して、玄関扉のドアレバーに手をかけると、振り返って言う。
「ルナは部屋の奥で待っててくれ、俺が対処するから」
「わかった――気を付けてね?」
頷いたルナはヴォルトに促されるように小走りでリビングを通り、寝室の方へ隠れるように入って行った。それを確認したヴォルトは、気を落ち着けるために息を吐いたあと、外開きのドアを思い切って開ける。
――開いたドアの先、セミロングの黒髪の少女の姿が見える。彼女は緊張しているのか引きつった笑顔をヴォルトに向けた後、上ずった声で、
「お、おはようございます!」
と挨拶をした後、深々と頭を下げてお辞儀した。
彼女は黒のブレザーに赤のネクタイを締めたワイシャツ、黒のプリーツスカートと、昨日、正門前ですれ違ったヴォルトを『変な格好』呼ばわりした少女に服装が似ていた。
勢いに気圧されたヴォルトは、つられて挨拶をする。
「お、おはよう――」
少女は頭を上げると引きつった作り笑みを湛えた顔のまま、直立で固まり、まじまじとヴォルトの顔を見つめた。
「あなたが……ヴォルト――ちゃん?」
「ちゃん?」
彼女の瞼が、その紫色の光彩の輪郭まではっきり見えるほど、カッと見開かれた。
「どうして――こんな所に――!?」
手が震えている。酷く動揺しているの伝わる。
黒髪の少女は表情を変え、キッと鋭く睨んだかと思うと、次の瞬間ヴォルトは足払いでもされたかのように後方に倒れ、仰向けに玄関の床に叩きつけられた。
(転ばされた!? いや、投げられたのか!?)
唐突過ぎて、理解が追い付かない。叩きつけられた背中がジンジンと痛む。それでもヴォルトは、すぐに身体を起こそうと腰に力を入れる。だがしかし――。
(――起き上がれない――)
身体の自由が利かず、顔を苦痛に歪ませる。
半開きになった扉の隙間から、冷淡な表情の彼女が覗いているのが見えた。
茂みに隠れた獲物を追い詰める捕食者の如く、少女は自重で閉まろうとしている扉を掴んで、勢いよく全開に開く。
蔑むような眼差しが倒れているヴォルトに注がれている。すぐに立ち上がらなければ、彼女に何をされるかわからない。しかしヴォルトの身体は何度やっても起き上がれない。発想を変え、今度は拳を握り、開く。
(手は動く――身体自体のコントロールが奪われたわけじゃない)
次に右手の中に極小の黒い魔力の光を形成する。
(魔力も封じられてない基礎魔術防護を剥がされたわけでもなさそうだ。となると物理的に押さえつけられているのか――?)
もがいているヴォルトを見下ろす少女は、冷たく言い放つ。
「何をしても無駄よ。動けるはずがない」
丁度、その言葉を言い終えた後だった。
「よっと」
ヴォルトは何事もなかったかのように上体を起こし、立ち上がった。
訳が分からず少女は眼を見開いたまま固まっている。
「そんな――確かに掴んでるはずなのに、一体どうやって……」
「その様子じゃあ感覚共有もしてなかったんだな。それでよくあんな力で押さえつけられたな。これだろお前が俺を張り付けにしてたのは――」
――ひも状の何かがヴォルトの手に握られている。それは髪の毛程の太さの紫色をした魔力の糸だった。その長さは三メートルを優に超えておりヴォルトの手からはみ出た両端が床にダラリと垂れていた。
「自ら形成魔術で作り出した生成物はより強い力で操作する事が出来る。お前はこれを俺の服に縫い合わせて魔力操作によって転倒させて、地面に押し付けた。そんな所だろ?」
少女は魔力の糸に向かって、右手を突き出し、何かをしようとするが、上手くいかなかったのか表情を曇らせた。
「操作が利かない。まさか妨害魔術?」
「さぁどうだろうな」
とぼけるヴォルトに苛立った様子の少女は右手をグッと握り締める。
「だったらこれはどう?」
そう言った瞬間――少女は目にも止まらぬ速さで地面を蹴り、前方に低姿勢で飛んだかと思うと、ヴォルトの懐に潜り込む。突然の出来事で何もできずにいるヴォルトのガラ空きになったその腹に、少女の拳が強烈に抉り込まれた――それは渾身のボディブロウだった。
「ぐはっ!」
腹から背中に突き抜けるんじゃないかというくらい凄まじい勢いで見舞われたその一撃に、ヴォルトの身体は玄関からリビングまで吹っ飛び、床を転がり、机に激突したところでようやく止まった。
横転した机の横で彼の身体はぐったりと仰向けにしたままピクリとも動かない。
「うぅ――」と辛うじて呻き声を上げる事しかできず、虚ろな目で天を仰いでいる。
衝突音を聞いて、寝室に隠れていたルナがリビングに飛び出してきた。床に倒れて伸びきっているヴォルトを見つけると大慌てで駆け寄る。
「何があったの!? 大丈夫!?」
その言葉にヴォルトは呻くだけで返事をする事もできない。あれだけの一撃を真面にもらったのだから無理もない。
そこへ黒髪の少女は止めを刺さんとばかりにリビングにまで上がり込んで来た。少女は状況が全く掴めず慌てているルナの事を見て、なぜか、
「良かった……」
と小さくつぶやくと、今度はルナに向かって、
「貴方がヴォルトちゃん? なにもされてない? 平気だった?」
そう心配するように聞いてきた。どうも何かを誤解しているのだと察したルナは率直に言う。
「ヴォルトはこの人の名前だよ!」
それを聞いた少女は思考停止という言葉がしっくりくるほど締まりのない表情でポカンと口を開けたまま動かなくなる。
「――え? で、でもヴォルトちゃんは――女の子のはずじゃ……」
ようやく口が利けるまでに回復したヴォルトが、吐血でもしそうなほど弱り切った声を漏らす。
「女の子って……名前でも……ないだろ……」
その言葉を聞いて少女は文字通り頭を抱えている。
「で、でも――この部屋にいるってことは……だって――ここは――」
そこまで口にした後、混乱しきった少女は、核心を突く一言を吐き出す。
「――女子寮なのよ!?」
時間が止まったような気がした。空気が凍り付いて、真夜中のような静寂が辺りを包み込んだ。
憤りを隠せず、ヴォルトは静けさを切り裂くように、精一杯、それでも弱々しさが残る声で怒号を飛ばした。
「ジルフの野郎……!」
玄関の方から手を叩いて笑う声が聞こえる。
「いやぁ面白いものを見せてもらったよ」
悪意の塊のようなその声の正体は、もちろんジルフだった。満面の笑みを浮かべながらリビングにやってくると、床から起き上がろうとしているヴォルトを見下ろしながら言う。
「ルナ君を男子寮に泊めるわけにもいかないと思って配慮したつもりだったんだけど、そっちの方がよかったかな?」
正直その一言に対してヴォルトは何も言い返せなかった。が、その様子を見たジルフは、
「まぁ、そもそも男子寮の方は空いている部屋がなかったんだけどさ」
と冗談めかしてからかうように続けた。
「この野郎……」
と力なく嘆いたヴォルトはやってられないとばかりに大きく溜息を吐いた。
+
黒髪の少女とジルフが訪ねて来たのは、どうもヴォルトに用件があるかららしい。
「ここじゃあなんだし場所を変えようか」
ジルフのその提案飲むかたちで、ヴォルトは部屋を出ることになった。
「気を付けてね」
不安げな表情を隠そうとして、変に困り眉毛になっているルナに、
「行ってくる」
とだけ伝えて、ヴォルトは部屋を後にすると、二人に連れられて騎士団本部本館にある取調室を訪れた。
無機質な石造りの壁に、重厚な金属製の入り口扉、中央に金属製の机が一つ置かれた、いかにもな雰囲気の部屋。机の周囲に3つ配置された背もたれ付きの椅子の1つに腰かけるヴォルト。机を挟んで反対側にはジルフと少女が隣り合って座っている。傍から見たら女子寮へ不法侵入した男の取り調べ風景にしか見えない。そんな気まず過ぎる空気を一蹴するようにジルフはいきなり口火を切った。
「単刀直入にいうと、君に頼みごとがあるんだよね」
ヴォルトはジルフのその言葉にため息を吐く。だがそれは苛立ちや不満から出たものではなく、安堵から発せられたものだった。前日、拘束された際のジルフの様子からヴォルトが思い描いていた最悪の未来は、騎士団の秘密を知ったことによってルナ共々始末される事だった。だがその最悪は現状とは遠い場所にあるらしい。
頼みごとの内容にもよるが、少なからず、従順であればその限りではないのだとヴォルトはジルフの一言で悟った。
余計なことなど口を挟まず。こちらも率直に尋ねる。
「内容は?」
「学園については知ってるよね?」
「騎士団の養成機関のことだよな?」
「彼女はルドア=S=F君。その学園の生徒だ」
ルドアと呼ばれた少女が軽く会釈する。
「実は彼女――先月あった実務研修に諸事情あって出られなくてね。君にはその研修の手伝いをしてもらいたいんだよね」
耳なじみのない言葉に首をかしげるヴォルト。
「実務研修?」
「今の騎士団の主な仕事は治安維持だ。学生のうちにそういった職務を学ばせよう! というのがこの実務研修の趣旨なんだけど、内容としては実際の事件現場に行って報告書を書いて提出するっていう、ただそれだけのものさ」
「で俺は何をすればいいんだ?」
「単純明快さ。ついて行くだけでいい」
正直拍子抜けだった。もっと無理難題を押し付けてくるものだと思っていたヴォルトは、気が抜けたように背を背もたれに預ける。
「だったら俺は必要ないだろ」
ジルフが珍しくため息を吐いて話し始める。
「まぁそうなんだけどさ。本来ならば実務研修は三人一組のグループで行うものらしいし、一人でやらせるのは酷じゃない? それに学園側が『最低でももう一人用意しろ』なんて無茶苦茶言うんだよね。しかも用意できないなら退学にするとまで言ってきてる」
「なんだそれ」
どうやらジルフも困っているようだ。上司に理不尽に怒られた部下みたいに肩を落としている。
「ボクへの当てつけだよ。学園長からなんか目の敵にされててね」
その原因に心当たりはあるんじゃないか? などと内心思っているがヴォルトはそれを口には出さない。
「そもそもなんで、その学園長とやらは副団長のアンタにそんな話を吹っかけて来るんだ?」
「彼女をスカウトしたのがボクだからだよ。それが気に食わないのかもね」
そこまでずっと黙っていたルドアが突然椅子から立ち上がって口を開く。
「やるんでしょ? だったらもう行きましょ?」
「は? 今からかよ」
「外で待ってるから、さっさと来てよね」
それだけ言い残すと、彼女は足早に取調室から出ていった。
「せっかちな奴だな……」
呆れながら座り続けるヴォルトは、ルドアが取調室から出ていったのを確認した後、隙を見つけたとばかりに話を切り出す。
「なぁ、一つ聞きたいんだが――ノードの件、結局俺たちをどうするつもりなんだ?」
ジルフと二人っきりになって、ようやく聞くことができた。彼もそこまで物騒なことを考えているわけではなさそうだという所までは分かっている。だが、やはり明確に聞いておかなければ安心する事はできない。
神妙な面持ちのヴォルトに対して、ジルフはハハッと笑ってから返す。
「あれは詭弁だよ。あぁでもしないと、あのまま野宿でも強行しそうな感じだったからね。それではサタナさんに申し訳が立たない。だから今回の事が終わったらちゃんと解放してあげるよ」
それを聞いてもヴォルトは肩の荷が下りた気はしなかった。今もポケットの中に入れている記憶魔石のことが頭をよぎる。
(ノードは『よろしく伝えてくれ』と言っていた。それはつまりこれを騎士団に渡してほしいという意味合いだったんだろう。犯罪予告か、はたまた何か策略があるのか、それは俺にはわからない。ノードの過去に同情するわけじゃないが――どちらにせよ、これは俺が持っていても仕方がないものだ)
ヴォルトは立ち上がると徐にポケットから取り出した赤い記憶魔石のネックレスを机の上に置く。
「記憶魔石ですか?」
「あぁ、俺の服に気付かないうちに入っていた。ラカリナの放火犯が忍ばせた物だと思う」
「中身は?」
ジルフの試すような質問にヴォルトは即答する。
「見てない」
「賢明な判断です。預かります」
ニッコリと笑うジルフを背にヴォルトは取調室の外へ出た。